一目惚れと初恋(No.7)

ユザ

① 鶴城奈帆

 元カレに誘われて参加した人生で初めての合コン。

 現地に用意されていたのは元カレを除く選りすぐりの男前が三人と雰囲気の良い屋上のテラス席、そして友達でもなければ面識もほとんどない女性陣だった。

 日が落ちた平日の店内は思っていたよりも閑散としていて、多少騒いだところで迷惑そうな冷たい視線を浴びる心配もなさそうだった。

「本日はお日柄もよく──」とまるで結婚式のスピーチのような挨拶で乾杯の音頭をとった元カレで幼馴染の熊井健介くまいけんすけは、男女間に漂っていた期待と不安とが入り混ざったようなたどたどしい緊張感をそのお得意の話術で巧みに和らげ、ものの見事に場の空気を温めた。

「乾杯っ!」

 月夜の下でまだ互いのことをほとんど知らない若い男女のグラスが軽くぶつかり合う。その時すでに私以外の三人の女性陣は自然な視線の運びで正面に並んでいる男四人の容姿を観察し、早速それぞれ独自の見定めレーダーを発動させていたようだった。

「じゃあ最初は自己紹介から始めようか」そう言った健介はおもむろにその場に立ち上がり、早速自分から名乗り始めた。「俺の名前は熊井健介。S大学の四年で学部は経済です。今日は飲んで笑って思い切り楽しみましょうっ」

 やがて温かい拍手に包まれた彼は満足げな表情で腰を下ろし、次は隣の人へと自己紹介のバトンが移っていく。そうやって順番に参加者が立ち上がっていくうちに、気付けばいつの間にか隣の席の子まで順番が回ってきていた。

「右に同じくS大学四年の金城さゆりでーす。農学部でーす。よろーっ」

 小動物のような愛くるしい見た目とムラなく綺麗に染められた金髪のボブが特徴の彼女ははっきりと自らの可愛さを自覚していたのか、頬の横にダブルピースを作って手当たり次第に愛想のいい笑顔を振り撒いているように見えた。その姿に私はつい嫌な流れを受け継いでしまったと小さく息を吐き、彼女と入れ替わりで重たい腰を浮かせる。

「同じくS大学経済学部四年の鶴城奈帆つるぎなほと言います。今日はよろしくお願い致します」

 自然と頭を下げていた私は「あっ」と思った。

 どうやらここのところ毎日通っている就活セミナーで身についてしまった癖が抜けていなかったらしい。「なんだよその面接みたいな挨拶っ」とすかさず対角線に座っていた健介から馬鹿にされてしまった。それに合わせるように周囲からもクスクスという笑い声が起こる。ただ、それが好意的なものか侮辱的なものかは聞き分けられなかった。

 序盤こそ私も頑張ってアルコールと下ネタこそが正義のような大学生特有のノリにも必死に食らいついていたが、何かを発言しようとするたびに唐突に沸き起こる「飲んでかーら言え」という悪魔のようなコールによって着々と心は折れていき、さらには「ニョッキ」「ニョッキ」と頭上に手を掲げるだけで何が楽しいのかもよくわからない謎のゲームで吐き気を催してしまうほど酔い潰されそうになったことが癪で、結局は早々に戦線から離脱していた。

 とはいえ、リタイアした私のことをもう一度輪の中に引き戻そうとするような人はこの場には誰一人としておらず、その事実がまるで存在価値のなさを私に突きつけてくるようで、隣で彼ら彼女らが盛り上がるたびに私はどこか寂しさを抱えながら黙々とアルコールに浸っていた。

「……ほんと元気だよなあ」

 突然、真向かいに座っていた男が誰に言うでもなく苦笑いを浮かべながらそう呟いた。

「ほんとだよね」と私はついその声に反応してしまっていた。

 男の名前は天野雷夢あまのらいむ。歳と大学は同じなのだが、彼の場合は医学部に現役合格していて普段から異なるキャンパスに通っているためほとんど顔を合わせたことはなかった。

 しかし、私は彼のことをあらかじめ認知していた。だが実際に会ってみると想像していたよりもはるかに背は高く、目鼻立ちもバランスよく整っていて、きめ細かい肌は綺麗としか言いようがなかった。特にその青っぽい瞳には見つめられているだけで意識が吸い込まれてしまいそうな魅惑的な引力があった。しかも意外とアルコールは得意ではないらしい。

 乾杯の時こそ周囲に合わせて生ビールを飲んでいたが、二杯目からは誰にもバレないようにコソコソと烏龍茶を頼んでいた。そのせいなのか、ほとんど酔いの回っていない彼は次第に高揚していく周りの面々のテンションに取り残されていくようにその存在感は自然と薄れていき、気付けば私よりも先に輪を抜け出してただ一人で卓上の料理に次々に箸を伸ばし始めていた。私も戦線離脱してからは密かにその姿を肴に酒を飲み進めていたところがある。男前がただ一心不乱に食べ物にがっついている姿は見ていて飽きなかった。

「鶴城奈帆さん、だったっけ?」

 顔を上げた彼と目が合うと私はハッとした。

「……え、あ、うん。名前、覚えててくれたんだね」

「昔から自分のものにしたいって思った子の名前を覚えることだけは得意なんだよ」彼は軽々しくそう言ってニヤリと白い歯をこぼした。

 私は思わず目を伏せてしまう。

「ごめんごめん」と彼は言う。「もしかして引いちゃった?」

 私はテーブルと向き合ったままかぶりを振った。それが冗談だということはなんとなく察していた。「ううん、引いてないから大丈夫だよ」

 それから数秒の間が空いてようやく気を取り直した私は出来るだけ彼を視界に入れないように恐る恐る顔を上げ、ジョッキグラスに残っていたビールを一気に胃の中へと流し入れた。みるみるうちに火照り始めた身体をどうにかアルコールのせいだと思いたかった。

「でもさっきからすごい飲みっぷりだよね。なんかイメージと違ったな」

 天野くんのその何気ない言葉に今度は「えっ」という声が漏れる。

「ああいや、別にそれが悪いっていう意味じゃないんだ。ただ意外だなって思っただけだよ」

 彼の慌てたようなその声に、私は少なくとも彼が気を遣ってフォローしてくれているのだろうということはその姿を見ていなくてもなんとなく察した。気付けばまた私は羞恥心に顔を埋めるように俯いてしまっている。カルーアミルクでも頼んでおけばよかったかな、というどうしようもない後悔が後頭部に重たくのしかかった。

 きっと彼の目には私の姿が人見知りで冗談も通じない扱いにくい女として映っているかもしれない。一度そう思ってしまうと、より卑屈になったもう一人の自分があーだこーだととことん私のことを内側から責め立てた。

 それでも勇気を振り絞って「あのさ」となんとか会話を続けようとしたのは、横目に見える自分よりも可愛い女の子たちが今だけは山手線ゲームに夢中になってこちらの様子が一切眼中にないように思えたからなのかもしれない。いくら合コン初心者の私でも、敵のいない今こそ天野くんとの仲を深めておくべきチャンスだということは容易に理解していた。

 私は一旦あーだこーだと自虐的な言葉ばかりを並べようとするもう一人の自分を羽交い締めにし、辛うじて隅の方で生き残っていた前向きな自分に無理やり背中を押してもらった。

「あ、天野くんって、き、休日は何してるの?」

 心臓の音がやけにうるさい。顔はまだ上げられなかった。

「ん、基本的には家にいるかな」

「へ、へえ、そっ、そうなんだね……」

 私は相槌を打ちながら会話が止まらないように必死に次の言葉を探し回った。

 しかし、結局引き出しの中を漁って出てきたのは「相手の話に耳を傾けろ」とか「相手の目を見て笑顔で話す」とか「相手に喜んでもらえる話・興味を持ってもらえる話を心がけよう」などという私が事前に会話が上手くいくようにと思ってネットでかき集めていた抽象的な会話のコツばかりで、具体的にこれから何を話せばいいのかに関しては全く参考にもならなかった。

 すると、その様子を見兼ねてか天野くんはふんっと視界の外で鼻を鳴らして「もしかして僕に全く興味ないでしょ?」と笑った。

「そっ、そんなことないよ」

 私は慌てて顔を上げてかぶりを振った。

「あ、やっと顔上げてくれたね」

 そう言って微笑む彼と不意に目が合うと、私はまた反射的に目を逸らしそうになった。その直後に「ちゃんとこっち見て話して欲しいんだけどなあ」と言う彼の不貞腐れるようなその声のせいでなんとかしばらくの間は視線がかち合った状態のままを保っていたが、それも長くは続かなかった。

「い、家では何してることが多いの?」

 私はなんとか平静を装って会話を続けようと試みる。心臓の音は耳のすぐ裏で鳴り響いているみたいだった。

「うーん」と唸った彼は宙に視線を浮かせて人差し指で顎を掻く。「趣味で創作活動をしてることが多いかなあ」

「へえ」

 意外だった。私は勝手に創作という言葉は文系の人間にしか当てはまらないと思っていた。個人的に医学や科学などの理系の世界には何かを創り出すという行為よりも研究や実験という言葉の方が腑に落ちた。だからこそ純粋に興味が湧いたのかもしれない。さっきまでよりも幾分か自然に会話を引き出せたような気がした。

「それって音楽とか小説とか?」

 ううん、と彼はかぶりを振った。

「厳密に言えば違うんだけどさ、あえて言うならフィギュアみたいなものを作ってるんだ」

「えっ、フィギュアって家で作れるものなの?」つい声が弾んでしまった。

「厳密に言うと全くの別物なんだけどね」

 彼は謙遜するような苦笑いを浮かべながら肯いていた。

「それでもすごいよっ」と興奮気味の私はその後も早口に続ける。「ちなみにどこまでが手作りなの?」

「全部だよ」と彼は当たり前のような口調で答えた。「素材の調達とかその下準備も全部自分の手でやってる」

「へえ、フィギュア作りにも下準備とかあるんだ。なんか料理作ってるみたい」

 私はふと思ったことを何気なく声に出したつもりだったが、彼はまるで核心に迫られたように目を瞠って「奈帆ちゃんって意外と勘が鋭いタイプでしょ」と驚いていた。私はその反応がなんだか褒められたみたいに嬉しくて、いつの間にか彼を質問攻めしてしまっていた。

「作ったものはどうしてるの? もしかしてネットで販売してるとか?」

「そんなことはしないよ」と彼は笑った。「僕の場合は完全に自己完結型っていうか、自分で創作した作品は部屋に並べてそれをじっと眺めているのが好きなんだ。だから作品を他の人に売ったり譲ったりすることはこれまで一度もないし、誰かに僕の作品たちを見せたこともない」

「……ふうん」

 そんな相槌を打ちながら、勢いに身を任せて「じゃあ今度私に見せてよ」と口にできない自分自身の理性の強さに歯痒さを覚える。その代わりに私は「どういったフィギュアを作ることが多いの?」と彼に聞いていた。

「そうだなあ、多いのは主に動物系って言えば伝わるのかな。まあもっと大まかに言えば生き物全般って感じだよね」

「ああ、もしかしてアレみたいな感じかな?」

「アレって?」と彼は小首を傾げた。

「ほら、最近流行ってる動物のフィギュアあるじゃんっ。あのアゴがしゃくれてるやつ」

 そう言っても全く手応えを感じなかったのは、目の前でしかめ面をしている天野くんにはまるでピンときていなかったように見えたからだ。

「もしかして知らない?」

 私がそう聞くと、彼は申し訳なさそうに肯いて「ごめん。僕、そういう世間の流行とかにはすごく疎いんだよね」と言った。

「ううん、違うの。私が勝手に一人で盛り上がっちゃったから悪いの」

「また次会う時までには勉強しておくよ」

 何気ないその一言で心が弾んだ。「また次も会ってくれるの?」とはさすがに恥ずかしくて聞けなかったものの、それでも明らかに舞い上がっていた私は自分らしくないことを思わず声に出していた。

「もしよかったら今度は私に似せたフィギュアとかも作って欲しいな」

 言葉が舌の上を滑り落ちてしまった後にようやくハッとした。

 私は一体何を言っているんだろう。

 その時、それまでせっかく滞りなく進んでいた会話が一瞬だけ止まったように思えた。

 天野くんは誰も手をつけていない卵焼きに箸を伸ばし、それを一味唐辛子と和えたマヨネーズに付けて一口に頬張った。そしてそれをまだ飲み込みきれていないうちに「できるとは断言できないよね」と呟いた彼はやがて卵焼きを胃の中に収めると、「まあ、それでなくとも人型のものっていうのはそもそも他のものに比べて、ものすごく難しいんだよ」と苦い顔をした。

「僕も最近になって何体か試してみたんだけどさ、なかなか上手に作れなくて困ってるんだ。もちろん中には上手く出来た作品もあったけど、だとしても時間をかけてようやく手に入れた素材を一瞬で無駄にしてしまう可能性とかを考えたら成功する確率はすごく低いんだよね」

 渋っているような彼の表情に気付いた私は「そっか、そうだよね」とすぐに肯き、顔の前で手を合わせる。「ごめんね、急に変なこと言い出しちゃって」

「全然っ」と彼はかぶりを振った。「でもまあ、奈帆ちゃんが協力してくれるって言うなら話は別なんだけどねー」

「えっ?」

 不意に名前を呼ばれた動揺と、あまりにあっけなく彼が前言撤回しようとすることへの困惑を同時には隠しきれなかった私はつい声を上擦らせてしまう。

「だから、今度奈帆ちゃんが僕の創作活動に協力してくれるって言うんなら話は別ってこと」

「もちろん何でも協力するよっ」私は食い気味に返事をしていた。

「じゃあ、もしよかったら連絡先交換してくれない?」と彼は言った。

「え、いいのっ!?」

 その声があまりに大きかったのか、すぐ隣で目には見えないホウレン草を互いに渡し合うというこれまた謎のゲームをしていた他の合コン参加者たちの手が止まり、やがて遠くから「どうかしたのか?」という健介の怪訝そうな声が聞こえてきた。

「あっ、いや、ごめん。なんでもない」

 一瞬のうちに各方面から集まってくる視線に居た堪れなくなった私は反射的に防衛本能が働き、顔を伏せてしまった。しかし、内心では今すぐにでも人目もはばからずにみんなの前で堂々と天野くんと連絡先を交換したかった。テーブルの下ではすでにQRコードの画面を開いたスマホを準備していた。

 しかし、その直後に思いがけない出来事が起こった──

 正面でスマホを手に待ち構えている天野くんのもとに、隣の席から私と全く同じ画面がスッと伸びてきたのだ。

「ねーねー。ウチと連絡先交換しようよ、ライくん」

 ……ライくん?

 私は思わずその声の主を確かめようと顔を上げていた。

 何の躊躇いもなく天野くんのことを「ライくん」呼ばわりしていたのは農学部四年の金城さゆりだった。金髪のボブに笑うとえくぼのできるその可愛らしい見た目は相変わらず魅力的で羨ましい。

 彼女は私のことを押しのけるようにしてテーブルの上に身を乗り出し、あっという間に私の連絡先を読み取るはずだった彼のスマホに自身のQRコードを読み込ませていた。

「ありがとっ。ってか今度の日曜とか空いてる? 友達に映画の試写会のチケットを二枚もらったんだけどさ、もしよかったら──」

 そのあまりのスピード感に気付けば私はただ呆然として見ていることしか出来なくなっていた。一瞬のうちに相手の懐に入ることができたのはきっと彼女の愛嬌がそうさせたのだろう。私には到底出来るはずのない芸当だった。

 もちろん天野くんのことをまんまと奪われてしまったことが悔しくなかったわけじゃない。それでもふと、目に映る彼らの姿がどこかお似合いに見え、彼女と会話をしている時の彼の方が随分と楽しそうに笑っているように思えた。

 やっぱり合コンなんて参加するんじゃなかった。

 私はいつしか彼らの会話を邪魔しないように息を潜め、誰にもバレないようにテーブルの下で準備していたスマホの電源を落としていた。

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