第44話 怪盗ラクーンアイ 1/2
高級住宅街の屋根屋根を飛び越えて、ひとりの少女の影が走る。
覆面に顔を隠し、身体には濃紺色のレオタードをぴったりとまとっている。その軽やかな動きは、人間と言うよりもまるで1匹の野生動物のようであった。
「くそっ、捕まえろ! ラクーンアイが出たぞ!」
「絶対に逃がすな! あの書類が流出すればお館様もただでは済まん!」
地上を走って追いかけるのは黒服の男たち。
しかし、夜空を自在に駆ける少女に翻弄され、いくら懸命に追っても距離が縮まらない。それどころか、徐々に引き離されつつある。
「くっ、仕方がない。発砲を許可する! 撃て、撃て!」
リーダー格の男がそう叫ぶと、黒服たちは懐から一斉に拳銃を抜いた。
3Dプリンター製の簡易なものだが、殺傷力は十分にある。おまけに、使用後は焼いてしまえば証拠が残らないため、近頃闇社会で流行っているものだった。
閑静な住宅街に、何発もの銃声が響き渡る。
そのうちの一発が少女の太ももをかすめた。思わず苦鳴を洩らす少女だが、その動きに衰えはない。やがて黒服たちを振り切って、遠く離れた商店街まで逃げ切った。
その一角の、いくらか古びた定食屋の前で、いよいよ少女は力尽きる。
その場に倒れて、動かなくなってしまった。
* * *
【今夜の特集は『怪盗ラクーンアイ徹底解剖! その正体に迫る!』です。お楽しみに】
「おお、リョウコさん、今日はラクーンアイの特集をするみたいですよ!」
「ああン? なんでえ、そのなんちゃらアイってのは?」
少々うらぶれた商店街の一角、間田木食堂では今日も赤髪の女――間田木リョウコと、やたらに入り浸っている巫女服の除霊師――稲荷屋トウカがテレビを見ながら話をしていた。
「ええー、リョウコさん知らないんですか? 近頃巷を騒がしている怪盗ですよ。悪い政治家やお金持ちから悪事の証拠を盗んで、ネットに公開してるんです!」
「ふーん、世直しってやつかねえ。奇特なやつもいたもんだ」
リョウコは興味なさげに手元でなにやら作っている。
といっても実に簡単なもので、丼に盛った白飯に天かすを載せ、自家製のめんつゆをさっと回しかけて小ネギを散らしただけのものだ。
「むむっ、リョウコさん何を作ってるんですか?」
「ああ、もうオメェは本当にめざといなあ。たぬき丼だよ、たぬき丼」
「へえ、おいしそうですねえ。私にも一杯ください!」
「まかない飯で客に出すようなもんじゃねえんだけどなあ……。まあいいや、あいよ、たぬき丼一丁!」
リョウコは、自分用に作っていたたぬき丼をそのままトウカに差し出した。
トウカはそれにさっそく飛びつき、わしわしとかき込みはじめる。天かすのザクザクした食感と香ばしさ、そしてめんつゆのほどよい塩辛さが米の甘みを引き立てる。
「むふー、シンプルですけど、こういうのもたまには乙ってやつですねえ」
「はあ、いっぱしの口を聞くようになりやがって。それでラストオーダーな、ぼちぼち
たぬき丼に夢中のトウカを尻目に、リョウコは暖簾をしまおうと店の引き戸を開けた。すると、そこに茶色の毛皮に包まれた小動物を見つける。
「ありゃりゃ、野良猫か? おうおう、かわいそうに怪我してんじゃねえか。ちょっと見てやっから噛みつくんじゃねえぞ」
リョウコは小動物を抱えると、店の中に戻った。
「あれ、なんですかそれ?」
「野良猫――じゃねえな。こりゃタヌキか。怪我をしてるみてえでよ、店の前でひっくり返ってやがった」
「へえ、こんな町中にタヌキなんて珍しいですねえ」
「ンなこともねえよ。最近は東京のど真ん中でだってちょいちょい見かけるらしいぜ」
話しながら、リョウコはタヌキの具合を確かめている。
左足の付け根近くにえぐれたような傷があり、流れた血が茶色の毛に絡まって固まりかけていた。
「あー、かわいそうに。こりゃなんかで撃たれたな……」
「えっ、撃たれたって!? 銃ってことですか!?」
「鳥撃ち用の空気銃かなんかだろうな。面白半分でやったんだろうよ。どこのどいつか知らねえが、しょーもねえことをしやがる」
リョウコはタヌキをテーブルの上にそっと寝かせると、2階に上がって何やら道具を持って降りてきた。
まず剃刀で傷口周辺の毛を剃り落とし、傷口が見えたら水でよく洗う。そして「ちぃっと痛てぇが、我慢してくんな」とつぶやくと、消毒をして裁縫道具であっという間に傷口を縫ってしまった。
「あとは獣医の先生に診てもらって、抗生物質でも出してもらえば大丈夫だろ」
「ちょっ!? リョウコさん、さらっと何してるんですか!? ブラックジャックみたいじゃないですか!?」
「ああン? そんな大したもんじゃねえだろ。傷を縫っただけだ」
「普通できないですって! なんでそんなことできるんですか!?」
「そうかあ? 猟師ならこれくらいできるんじゃねえの?」
「リョウコさん、猟師じゃないでしょ!」
トウカにそう言われ、リョウコは腕組みをして少し考え込んだ。
そしてぽんと手を打つと「そういや、話したことがなかったか」と続ける。
「うちはひいジイさんの代までずっと猟師の家系でな。ジイさんがこの店をはじめたが、それからも趣味程度だが猟をやってんだよ。それに付き合わされてあれこれ仕込まれたってわけだ。さっきのは猟犬が怪我をしたときのためのやつだな」
「ああ、それで名字がマタギ」
「そういうこった。ついでに名前も漢字で猟師の子、
リョウコがカラカラと笑っていると、タヌキがもぞりと体を動かした。
「おや、気が付いたかい。店に入れてちっとは体があったまったか。あとはまあ、簡単なもんでも食わせてやるかねえ」
リョウコは鍋に白飯を少しよそうと、だし汁をかけて火にかける。
沸いてきたら溶き卵を細く流し入れ、固まったところで火を止めた。平皿にそれを盛り付け、全体にパラパラと天かすを振りかける。動物に食べさせるものだから、その量はかなり控えめだ。塩や醤油などで味付けもしない。
「お待ちどお。間田木食堂特製『たぬき玉子おじや』ってところだな」
タヌキは目の前に差し出されたそれに、恐る恐るといった様子で鼻を近づける。
平皿に移したことで、おじやは人肌よりもやや温かい程度だ。そのうち食欲が警戒心を上回ったのか、ガツガツとおじやを食べはじめた。
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