第40話 裏稲荷明神 2/2

「おうこら、トウカ。いきなり出てきてこんな姉さんをババア呼ばわりはねえだろうが」

「いや、おばあちゃんなんですよ、私の」

「こんな若いババアがいるわけ……って、トウカのバアちゃん!?」

「ほほ、孫が世話になっているらしいのう。どうもきっかけがなくての、自己紹介が遅れたが、妾はトウカの祖母、稲荷屋テンコじゃ」

「はあー、こんなべっぴんさんがおばあちゃんとはねえ……」


 リョウコは目を丸くし、稲荷屋テンコを名乗る女を見る。

 妖艶に着物を着こなし、柳のようにしなやかに座る様子は美人画から抜け出してきたようだ。見た目から想像できる年齢は高く見積もってもせいぜいが三十代前半。三十路前だと言っても通用するだろう。


「ほほほ、若作りを褒められてもそう嬉しいものではないものじゃ。きっかり還暦のババアじゃよ」

「還暦ってことは六十歳かあ。まるで見えねえなあ……」


 リョウコは改めてトウカを見る。

 この少女――見た目は十代半ばの少女にしか見えないが、実際は二十歳を超えて成人済みである。酒もよく飲むし、アテも漬物やイカの塩辛など、年寄りじみたものを案外好むのだ。どうやら、稲荷屋の家系は代々若く見えるのだろうとリョウコは一人で納得した。


「それで、間田木殿の元で修行に励んでおるという話じゃが、どんな料理が作れるようになったのかの?」

「へ、修業? トウカにゃちょくちょく店を手伝ってもらってやすが、修業ってえほどの――」

「ままま毎日がんばってますよ! 料理の腕だってめきめき上達中です!」

「ほほほ、そうか。では何か一品作ってもらおうかの」


 トウカはリョウコの言葉を強引に遮り、会話に割って入った。

 そして急ぎ足でキッチンに入り、リョウコに小声でささやく。


(私、ここで修行してることになってるんで話を合わせてください!)

(ええ、どういうこったい?)

(実家にいるとおばあちゃんの修業が厳しすぎるんですよ……。それで、リョウコさんに修業をつけてもらってるってことにしてて)

(はあ、しかし、オメェにまともに料理を教えたことなんてほとんどねえぞ?)

(なので、練習不要でさっとおいしく作れるものをいま教えてください!)

(おいおい、なんだそりゃあ。まあ、貴重な臨時バイト兼常連さんの頼みだ。かまわねえけどよ)

(やったー! リョウコさん、大好きです!)


 リョウコはとあるレシピをトウカにそっと耳打ちする。

 トウカはそれを聞いてうなずくと、包丁を借りて手に取った。


「どんなものを作ってくれるのか、楽しみじゃの」

「お、おばあちゃんはもうけっこうおなか一杯なんだよね? さっと軽いものを作るから、ちょっと待っててね」


 トウカは冷蔵庫から油揚げと納豆を取り出す。食材の位置は一通り把握しているから、その動きはスムーズだ。

 そして油揚げをふたつに切り、菜箸を麺棒のように使ってまな板の上でしごいていく。こうすると、油揚げが袋状にきれいに開くようになるのだ。


 さらに小口切りした小ネギと納豆を小さなボウルに開け、付属のタレと辛子、鰹節を加えてかき混ぜる。ほどよく粘りが出たところで、それを油揚げに詰め、爪楊枝を刺して巾着にした。

 それをフライパンで両面に焼き目がつくまで焼いたら出来上がりである。


「はい、お待ちどおさま。納豆の包み焼きです!」

「ほうほう、さらにお揚げさん尽くしか。トウカもなかなか考えるの」


 テンコは酒をまた一口舐めてから、包み焼きをかじる。

 カリッと焼かれた油揚げが香ばしい。パリパリ、ざくざくとした食感の中から、しっかり粘った納豆が出てくる食感の変化も面白い。多めに入った小ネギのおかげもあり、納豆の臭みもほとんど気にならなかった。


「味が薄かったら、お醤油を垂らしてね」

「そうじゃの、酒の肴にしては少し味が薄いかもしれん」


 テンコは包み焼きに醤油を垂らしてかじりつつ、酒も進める。

 包み焼きを食べ終わり、お銚子も空にしたところで口を開いた。


「ふむ、突然のことにもうろたえぬ柔軟性。料理なぞろくにしたこともないトウカにでもできる献立をすぐさま思いつく機転。料理の腕はもちろんのこと、なかなかの知恵者ではないか」

「へっ、おばあちゃん、急に何を……?」

「トウカ、お主がこの店で修行をつけてもらっているなど、嘘だとわかりきっておるわい」

「えええええー!?」


 テンコの言葉に、トウカは思わず悲鳴を上げた。


「そそそそんなことはないけど、真面目にリョウコさんに修業つけてもらってるけど、どどどどうしておばあちゃんはそんなことを!?」

「本物の除霊師なら、あんなものは買わんじゃろうが」


 テンコが細い指で示した先には、何かの石を削り出して作ったピラミッド状の置物や、金箔の貼り付けられたアミュレット、奇妙な紋様が刻みつけられた壺などが並んでいた。


「ちょっ、リョウコさん!? ああいうものは二度と買うなって言いましたよね!」

「ああン? ぜんぶ別モンだろうが。聞いてくれよ、あのピラミッドみてえなやつな、宇宙のエネルギーを吸ってるとかで――」

「そんなのインチキに決まってるでしょ!」

「はぁ!? インチキだったのか!?」

「むしろそれがわからないことがわからないですっ!」


 リョウコとトウカがわちゃわちゃと騒いでいる間に、テンコはカウンターに1万円札を置いてすっと店を出ていった。

 店を出ると、冷たい風が肌に染みる。そろそろ年の瀬も近い。商店街を行き交う人々も、心なしか忙しそうに見える。


「ふふふ、なかなか面白い人間ではないか。あのような者は、自由に泳がしておいたほうがよいじゃろう」


 テンコは着物の懐から1枚の紙を抜き出して、ふっと息を吹きかけた。

 息に混じって細長いキツネが中を舞い、それが火の粉を放って紙を燃やし尽くす。


「真祖吸血鬼を軽くあしらい、海を統べる旧き者、遥か星界より訪れし者とは友誼を結ぶ。いずれも前代未聞のことなのじゃが、肝心の当人はそれをなんとも思っていない。いやはや、なんとも痛快じゃのう」


 稲荷屋テンコが間田木食堂を訪れたのは、料理によって超特級クラスの悪霊を祓う女の噂を聞きつけてのことであった。先ほど焼いたものは、除霊師協会での殿堂入りを知らせる書類である。

 本人が同意し、登録をすればこの日本を――いや、世界を影から支える除霊師協会の最重鎮のひとりとなれるのだ。


 稲荷屋トウカの祖母にして、除霊師協会日本支部の総帥を務める稲荷屋テンコは、やがて来たる戦いに備えて間田木リョウコのスカウトに訪れたのだ。しかし、あの様子では、異界の邪神との戦いが控えているのだと話したところで何も思わないだろう。


「ま、ああいう者を守るのも我ら除霊師の務めなのじゃからな」


 テンコは着物の袖を振り、人影も少なくなった夜の商店街を歩いていった。


 * * *


 テンコの帰った間田木食堂。

 巫女服の少女と、赤髪で長身の女がなにやら話している。


「だーかーらー、ちゃんと霊力を込めたものじゃないと効果なんてないんですって!」

「なんだよ、その霊力ってのは。そういうのが胡散臭えんだよなあ。ちゃんとカガク的なもんじゃねえと怪しいだろうが」

「それがわかっててなんで霊感グッズ買っちゃうんですか!?」

「へへ、トウカもわかってねえなあ。たとえばさっきのピラミッドだけどよ、量子ゆらぎがなんとかして、しゅっとした猫がなんたらって話でな――」

「シュレディンガーの猫ですよね!? 量子コンピューターなんてまだ実用されてないんで、そんなものに騙されないでください!」


 世界の危機など何も知らないふたりが、わーぎゃーとやりあっているのであった。

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