第33話 逆十字騎士団 3/3
「とんかつ! とんかつ!」
はしゃぐトウカが真っ先に箸を伸ばし、一口目をかじりつく。
さくりと香ばしい衣の中から、柔らかい豚肉が現れる。噛むほどに豚の甘みが口の中に広がり、ほどよい塩味が次の一口を促す。間田木食堂の揚げ物は基本的に下味をしっかりつけており、何も付けずに食べても旨いのだ。
「コトレッタ(イタリア風カツレツのこと)と違って厚いお肉を使うのですね」
「くくく、豚肉を油で揚げているのになぜかさっぱりと軽い。どんな秘術を使った?」
「秘術ってほどでもねえや。生パン粉を使ってるだけよ」
間田木食堂では商店街のパン屋から、作りたての生パン粉を毎朝仕入れていた。
生パン粉は水分量が多く、揚げるとそれが蒸発してふんわりさっくりとした仕上がりになるのだ。
「んで、肝心のカツ丼だが――」
リョウコは小鍋に琥珀色のつゆを入れ、薄切りの玉ねぎを入れて火にかける。
つゆは醤油、酒、みりん、出汁を合わせて作ったものだ。それが沸騰し、玉ねぎが半透明になったら上にカツを乗せる。そして溶いた玉子を回しかけ、蓋をして火を止めた。
しばらく待って蓋を開けると、中から黄色と白の入り混じった半熟のカツ煮が姿を表す。茶碗に白飯をよそり、カツ煮を3つに分けてそれぞれに被せる。
「はい、お待ちどお。まずはいつもどおりのカツ丼だな」
「むはー! やっぱりこれですね! 甘じょっぱいつゆをたっぷり吸ったカツがたまりません!」
「サクサクに揚げたものをわざわざ煮てしまうなんてもったいないと思いましたが、なるほど、つゆを吸わせて味を絡める意味があるのですね」
「くくく、半熟のとろりとした玉子もまた絶妙ではないか」
差し出されたカツ丼を間髪入れずに頬張り、三者三様の感想をつぶやく。
メアリーとレヴナントがカツ丼を食べるのははじめての経験だったが、気に入ったようであっという間に米のひと粒も残さずきれいに平らげた。
「はい、お次はこれだ」
食べ終わったころを見計らい、リョウコは続けて次の丼を出す。
白米の上に一口サイズの真っ黒なカツが2枚載ったシンプルなものだった。
「へえ、まるごとソースでつけてるんですね」
「これは玉子で閉じないんですの?」
「おう、北関東から新潟あたりじゃ定番のソースカツ丼ってやつだ。カツの下にキャベツの千切りを敷くことも多いな」
「くくく、ソースがたっぷりついているのにサクサクではないか。今度はどのような秘術を使った?」
「揚げたての熱いうちにソースにくぐらせるのがコツだな。使うのはとろみの少ないウスターソースを出汁と酒、みりんで伸ばして煮きったもんだ。で、さっとソースにくぐらせたら、衣に染みすぎないようによくソースを切る。あれだ、大阪の串カツと一緒だな。あれもソースをどっぷりつけるがサクサクのまんまだろ?」
リョウコが短い説明をしている間に、またしても丼は空になっている。
それを確認して、リョウコは次の調理に入った。
丼用の小鍋につゆと玉ねぎを入れて火にかける。
「あれ? これって最初のカツ丼と一緒じゃ……?」
「おう、使う材料はまったく一緒だな。ただ、こっからが少し違う」
玉ねぎが透けるまで火が通ったら、リョウコはそこに溶き卵を流し入れ、蓋をして火を止めた。
「えっ、カツを入れ忘れてますよ?」
「いや、これでいいんだよ」
茶碗によそった白飯に、煮た玉子餡を載せていく。
その上に、ただ切っただけのとんかつを並べていった。
「お待ちどお。これが味見してほしかった、あとのせカツ丼だ」
「へえ、玉子とカツが逆なんですね!」
「揚げたてのとんかつそのままのサクサク感と、とろとろの玉子の食感を同時に楽しめるというわけですのね」
「くくく、最初のカツ丼を陽とすれば、それを逆転させたこれはいわば陰……」
それぞれに感想を言いながら、丼を空にしていく。
全員が食べ終わるのを見計らって、リョウコは改めて尋ねた。
「それで、どのカツ丼が一番旨かった?」
「むふー、どれもおいしかったですが……強いて言うなら最初のカツ丼ですね! カツと玉子の一体感がカツ丼の醍醐味だと思います!」
「わたくしはソースカツ丼が好きですわ。揚げ物なのに、とてもさっぱり食べられましたの。きっとキャベツ千切りがあったらもっとおいしかったですわ!」
「くくく、我は最後のあとのせカツ丼を推そう。墓穴に眠りし亡者どもが、太陽の下に這い出るようで愉快であったぞ」
「なるほどねえ、きれいに1票ずつ割れたか。ま、手間も材料も変わんねえし、あとのせカツ丼もメニューに加えてみるかねえ。お、そろそろ時間だな」
リョウコはリモコンを手に取り、テレビの電源をつけた。
映し出されたのは競馬中継だ。ファンファーレが高らかに響き渡り、各馬が一斉にゲートを飛び出していく。
【さあ、最終コーナー回りまして、見えてくるのは中山の坂。先頭はタンピンサンショク。この大一番での大逃げに勝算はあるのか。一番人気オールグリーンと続く二番人気コクシムソーは牽制しあって馬群後方。このまま沈んでしまうのか、はたまた奇跡の浮上を見せるのか】
「おっし! やっぱりサンショクが1位じゃねえか! このまま! このまま!」
リョウコが馬券を握りしめ、テレビに向かって声援を送っている。
「あのー、リョウコさん、ひょっとしてカツ丼を食べさせてくれたのって……」
「おう、ゲン担ぎよ! 三人で三食、三種のカツ丼で三色、サンショクが勝つドンってなもんさ!」
「あー、そーでしたか」
トウカが呆れていると、ついに馬群が最後の坂路に突入した。
中山競馬場の坂は国内でもっとも傾斜がきつく、勝負どころと言われるポイントだ。
【おおっと、タンピンサンショク、少し疲れが見えてきたかアゴが上がっております。
「そのまま! そのままっ!」
【恐ろしい末脚だオールグリーン! コクシムソーも負けじと伸びる! おっと、タンピンサンショクも根性だ。粘る、粘る粘る粘る! 3頭並んだ! ゴール板は目の前だ!】
「がんばれっ! 気合見せろ! もう一息だ!!」
【たったいま! 三頭並んでゴールイン! 着順は写真判定に持ち越しです! みなさま、お手持ちの馬券は捨てずにお持ちください】
リョウコはさらに固く馬券を握りしめ、テレビに食い入っている。
そしてはっと気が付き、トウカを見た。
「そういや、オメェは拝み屋じゃねえか! サンショクが勝つように拝んでくれよ!」
「えー、除霊師はそういうのじゃないですし、結果が出たものをあとから変えられるようなものじゃないですってば」
「ンだよ、ケチくせえなあ」
唇を尖らせるリョウコに、トウカは思わず肩をすくめる。
すると、テレビから写真判定の結果を告げるアナウンスが聞こえた。
【写真判定の結果、1着オールグリーン、2着コクシムソー、3着タンピンサンショクで確定しました】
「うぎゃぁぁぁあああ!!」
リョウコの悲鳴が食堂に響き渡る。
一方、トウカは懐から馬券を取り出してにやにやしていた。
「うっふっふ、三連単的中です!」
「はっ!? 三連単だと!?」
三連単とは、レースの1位~3位までをピタリと当たるもっとも難易度の高い賭け方だ。
「オッズは310倍! 3万馬券ゲットです!」
「な……いつの間に買ってやがったんだ!?」
「タンピンサンショクが1着2着はむずかしいと思ってましたけど、調子は上げてましたからねえ。上位には絡むだろうと思って押さえておいたんですよ。あ、もちろん1点買いじゃないですけどね」
「そんな小賢しい買い方をしてやがったのか……」
悔しげに口を歪めるリョウコに、トウカは「ふっふっふっ」と笑いながら胸を張る。
「ま、とはいえ悪銭は早めに手放すものです。この3万円で、めいっぱい豪華なご飯を作ってください! メアリーちゃんとレヴ君の分もおごりますよ!」
「へっ、金の使い方は心得てるじゃねえか。あいよっ、最高に贅沢なものを作ってやらァ!」
そして、リョウコの包丁がカウンターの中で存分に振るわれるのであった。
* * *
「我が君よ、結局
「ふふ、レヴ。あなたもまだまだね。リョウコ様はすべてわかっていらっしゃいますわ」
「なっ、そうだったのか!?」
「レヴも見たでしょう。リョウコ様にとっては
「くくく、そういうことか。そしてそのリョウコを差し置いて予想を的中させた稲荷屋トウカ。しょせんは金魚のフンと侮っていたが、なかなかではないか」
「リョウコ様の弟子として認められているのです。トウカさんの才能も只者ではないに決まってますわ。さて、レヴ、わたくしたちも修業をいたしますわよ!」
「くくく、よかろう。たまには我も、少しは本気で付き合ってやろう」
こうして東欧黒魔術協会の誇る俊英メアリー・アナトーリエヴナ・ヴラドスゥと、その従者にして真祖吸血鬼レヴナント・フメレーツィクィイは、間田木食堂でぱんぱんになった腹をさすりながら家路をたどるのであった。
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