第29話 疳の虫 2/2
「お待ちどお、間田木食堂特製『うさぎさんのオムライス』だ。よかったら試してくんねえ」
「わぁー! うさぎさんだー!」
目の前に出された一皿に、幼女が歓声を上げた。
つぶらな瞳の白うさぎが、黄色い布団からちょこんと頭を出しているように見えるのだ。黄色い布団はふっくらとぷるぷる揺れて、とても暖かそうだ。幼女がスプーンを差し入れると、中から半熟の卵とトマトが混ざったものがとろりと流れ出してくる。
「そいつをご飯と混ぜながら食べてくんな。お好みでケチャップもどうぞ」
「ありがとー!」
「どうだい、旨めぇかい?」
「うん、おいしい!」
「へへっ、そいつァ何よりだ。お客さんに喜んでもらえるのが料理人の本懐ってもんよ」
口の周りをケチャップで汚しながらオムライスを食べる幼女を、リョウコは鼻の脇をかきながら見ている。
そこに幼女の母親が、申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません、こんなことまでしていただいて……。あの、追加のお代も払いますので」
「いや、気にしておくんなせえよ。あっしが勝手にやったこと。なにより、旨そうに食ってもらうのが料理人の一番の報酬ってやつで」
「それにしても、この子がこんな美味しそうにトマトを食べるのははじめてで驚いています」
「私もびっくりです! トマトのオムレツなんてはじめて見ました!」
幼女がオムライスを食べる様子を、よだれを垂らしながら見ているトウカが口を挟んだ。
「おいおい、子供が食ってるもんをみてよだれを垂らしてるんじゃねえよ……。まあ、それはともかく卵とトマトっていうのは相性抜群なんだぜ。中国じゃトマトと卵の炒めものは家庭料理の大定番だ。香港あたりじゃ
「へえー、そんなお料理があるんですね! 知らなかったです!」
「家庭的すぎるせいなのか、見た目がよくねえからなのか、日本の中華料理屋じゃ出してる店は少ねえ気がするなあ。おっ、そうだ。すげえ簡単だからよ、お母さんも作り方を見ていくかい?」
「でも、そんなご迷惑をおかけするわけには……」
「どうせ作んねえとそこの欠食児童がおさまらねえからよ。ついでだ、ついで。何も気にしなくって構わねえんだぜ」
「むきー! 誰が欠食児童ですか!」
「おや、じゃあトマトと玉子の炒めものは要らねえのかい?」
「食べるに決まってます!」
「はいはい、そうだろうよ。ね、お母さん、こういうわけなんで」
母親は、思わず口を抑えて笑ってしまった。
リョウコはそれを見てひとつうなずくと、冷蔵庫からトマトを取り出し、
「丁寧に作るんなら皮を湯むきをしてやると口当たりがよくなる。が、家庭料理だからなあ。高級店ならそこまでするところもあるが、普通は皮付きのまんまこんな風に適当に切っちまうんだ。
トマトを切り終えたら、今度はボウルに卵を割っていく。
少しの水と顆粒の鶏ガラスープの素、塩コショウを加えて菜箸で雑に混ぜていった。
「オムレツはあんなに丁寧に混ぜてたのに、今度は乱暴なんですねえ」
「見てりゃわかるが、結局スクランブルエッグみてえにしちまうからな。混ぜ方にこだわっても味に違いはねえんだよ。あ、わざと荒く溶いて白身を残すのはアリだけどな。そのときは鶏ガラスープが溶けづらいから、あらかじめ水で溶いてから加えるといい。そんで、説明が長くなっちまってなんだが、この料理は卵にしっかり下味をつけておくのがコツだ。卵の中まで味があった方が、仕上がりに一体感が出るって寸法よ」
卵を混ぜ終わったら、フライパンを火にかけて温める。
ごま油を軽く引いて、くし切りのトマトを炒めはじめた。
「炒め加減は好みでいい。ほとんど生でもかまわねえし、じっくり炒めて崩したってかまわねえ。あっしはトマトの食感が残ってた方が好きだからさっとで済ましちまうことが多いが、お嬢ちゃんは生トマトが苦手だったみたいだからなあ。軽くしんなりするくらい炒めてやるといいかねえ」
炒めることわずか1分ほど。
トマトの皮に少し
「そんで、適当に混ぜながら炒めて玉子がほどよく固まったら出来上がりだ。これも好みだが、半熟気味の方がトマトと玉子が絡みやすいからオススメだな。おっと、こんなもんか。あいよ、お待ちどお。間田木食堂特製――ってほどでもねえ、ごくごく普通のトマトと玉子の炒めもんだ」
トウカたちの前に、黄色い玉子をまとった赤いトマトの炒めものが置かれた。
「トマトに玉子を絡めて食ってくんねえ。なかなか面白い味がすんぜ」
「むふー、これははじめてですね。いただきます!」
トウカが箸を使い、柔らかく固まった玉子とトマトを口の中に入れる。すると柔らかく炒められたトマトのほのかな酸味と、しっかり中華風の味がついた半熟卵の味わいがいっぺんに広がった。
「むううー、これは食べたことがない味です! 不思議中華! これは不思議中華です!」
「トマトなのに、トマトっぽさがないというか、ぜんぜん予想もできない味ですね」
「へへ、そうだろうよ。トマトってのは調理法でガラッと表情を変える食材だからな。生トマトは苦手でも、ケチャップやトマトカレーなら好物だってやつも珍しくねえだろ? おや、お嬢ちゃんも食べてみるかい?」
気がつけば、オムライスを食べ終わっていた幼女がスプーンをくわえてトマトの卵炒めを見つめていた。リョウコは小皿に一口分を盛り付け、差し出してやる。
幼女はトマトの姿がそのまま残るそれに恐る恐るスプーンを差し入れると、目をつむってパクリと食べた。もぐもぐと口を動かしてから、ぎゅうっとつむっていた目をぱっと見開いた。
「ふわっふわで、おいしい!」
「おお、そうかい。玉子の加減がよかったかねえ。よーし、美味しく食べてくれたご褒美だ。デザートにこんなのはどうだい?」
いつの間に作っていたのか、リョウコは後ろ手に隠していた皿をもうひとつ差し出す。
皮にVの字の切込みを入れたりんごとオレンジ、いわゆるうさぎさんカットというやつだ。その2種と並んで、もうひとつ真っ赤な赤いうさぎが添えられている。
「わあ、真っ赤なうさぎさん! これなあに?」
「ミニトマトだな。ほら、かわいいしっぽも付いてるぜ」
リョウコはミニトマトのへたをつまむと、幼女の前で振ってみせる。
ちょうどへたがうさぎの尻尾の位置になるようにしているのだ。
リョウコがそれを幼女の口元まで持っていくと、小さな口がぱくっと食いついた。
「お、いい食いっぷりだねえ。旨めぇかい?」
「うん、おいしいー!」
「おおー、そりゃよかったぜ!」
リョウコは幼女の頭をなでると、母親の方へと向き直り、バツが悪そうに赤髪をかいた。
「変に手間のかかるもんを食わせちまって申し訳ねえな。ちょいとでしゃばり過ぎちまった」
「いえ、とんでもないです! ごはんもトマトも、こんな美味しそうに食べてくれたことははじめてで……」
「へへへ、そんならよかった。さっきのトマトと玉子の炒めものは他にも色んな作り方があるから、もし家で作るんなら好みでアレンジしてくれや。あー、あと、他にも苦手な食いもんがあったら相談に乗るぜ?」
「本当ですか!? もう、毎日の献立を考えるのが大変で……」
「うちみたいなメシ屋なら、食いたいもんを客が言ってくれるからかえってありがてえよなあ。注文もなしに毎日献立を考えるお母さんは料理人なんかよりずっとがんばってるぜ」
「そんな……ありがとうございます……」
目の端に涙を溜める母親から、リョウコは照れくさそうに視線を外すのだった。
* * *
「そういや、
「何十年か前は、どこの町にも虫切りが上手なおばあちゃんがいたそうですよ」
「へえ、そういえば、あっしもガキの頃にひいばあちゃんにやられた気がするな。あっしの場合は手のひらじゃなくて、へそになんか書いてたが」
「色んなやり方がありますからねえ。どれが正解ってことはないですし、糸が出なくてもちゃんと虫が散ることもあります。まあ、要するに癇癪が治まればいいんです」
「へえ、除霊ってのも料理みてえなもんなんだな。結果良ければすべてよしってわけだ」
「そうですね、リョウコさんが作ったトマトの玉子炒めと一緒で、除霊の仕事にも色んなやり方があるんですよ。ところで、最初に作ったトマトオムレツも美味しそうでしたねー。どんな味がするのか気になります!」
「あー、はいはい。いつまでも帰らねえと思ったらそれが目当てだったんだな。作ってやっからちょいと待ってな」
「わーい! リョウコさん大好きです!」
「癇癪起こされても困るからなあ。……はあ、もう誰がガキだかわかんねえや」
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