71・諦めない!

 こはるの今の状況を、フルボッコにされるモグラ叩きに例えるとしたら、私は急上昇と急下降を繰り返すジェットコースターみたいだと思う。いつ止まるかも知れない乗り物に振り回され、目を回して、酔ってフラフラになって、めちゃくちゃ怖いのにワクワクしてる。うん、わけがわからない。

 ただ、私の場合、ゲームのシナリオや紗良の境遇のせいもあり、そこに私自身のややこしい性格が加わってさらに面倒なコースになっている気がするが。これが短編漫画なら32ページ、薄い本ならその半分で出会いからお付き合いまで話が進むのに、現実のなんと世知辛いことか。

 どうしたら意識してもらえるんだろう。冗談にしてしまったとはいえ、押し倒すまでしたのにこれだなんて。

 映画を観に行った翌日の部活で、そんな行き場のない気持ちをぶつけるように絵を描いていたら、なんだか随分と毒々しい色合いになってしまった。林檎の瑞々しさを表現したかったはずなのに、これじゃ毒林檎だ。白雪姫もすぐに気づいて投げ捨てるレベルの。

 結局、文化祭用に提出する絵は、静物画を描いている。よくある、瓶や果物を並べたアレだ。

 昔は、静物画を見ても何も思わなかったけど、実際に自分でモチーフや配置を考えていると、そもそもなんで空の瓶と林檎が並んで飾られているんだろうというツッコミが止まらない。ディスプレイ以外で、瓶と果物がこんな置かれ方してる場所って実在するのかな。


「うわっ! その絵の林檎、絶対食べたくないわー」


 一度手を止め、この毒林檎をどうしたものかと考えていたら、すぐ隣からまったく遠慮が感じられない声がした。


「私もそう思う。どうしよう、これ。いっそ、このテイストで最後まで仕上げようかしら」

「いいけど、タイトルは『魔女の食卓』とか? ドクロとか置いて厨二感も出してみる?」

「……はぁ、諦めて描き直すわ。あと、気分転換にジュース買ってくる」

「おっ、ついでに私のもお願い。コーラね!」

「はいはい、30回振ってから渡すわ」


 財布を持って、適当な軽口を叩いて美術室から出ると、冷房の効いていない廊下のムワッとした湿気に出迎えられる。八月のうんざりする暑さの中、一階にある自販機へと向かっていると、「杉村せんぱーい!」と、これまたうんざりする元気な声が追いかけてきた。


「先輩、私もジュース買いたいので、一緒に行きましょう!」

「……ええ、どうぞ」


 パタパタと駆け寄ってきた葵が、「やったー!」と嬉しそうに隣に並ぶ。こうしているだけなら、害のない普通の可愛い女の子なのに。

 断る理由もないのでOKしたが、もしかしてこれはチャンスなのでは? ちゃんと話せば、こはるとの誤解を解けるかもしれない。


「私、杉村先輩と話してみたかったんです」

「そうなの?」

「はい。あの、バレてるとは思いますけど、仲良くなれたらなって、前から思ってて」


 うん、知ってた。そりゃね、あれだけ好き好きオーラをばら撒かれたら、わからないわけがない。好かれる理由は、未だにさっぱりわからないけど。

 っていうか、これってほぼ告白だよなぁ。迂闊に仲良くしましょうって答えたら、ますますアピールが激しくなりそうで、同意したくない。だからと言って、仲良くしたくないって言うのも感じ悪いし、それを聞いた他の部員からの風当たりが強くなりそうなのが嫌だ。

 何これ、逃げ道塞がれてる? わざとですか?


「ダメですか?」

「えっと、ダメって言うか……」


 断りたい。あまり関わるべきではない。ここで頷いたら、更に面倒なことになる。

 ……いや、もういいんじゃないか? 大体、なんでこんなに四方八方に気を遣ってるんだろう、私。中途半端に期待させるより、ここらではっきりさせた方がお互いのためじゃないか。外野の雑音? 煩わしいけど、別に困らないし。どうしても面倒になったら、最悪美術部をやめれば済む話だ。

 よし、そうなれば都合よく葵と2人きりになったこの機会を逃すわけにはいかない。


「島本さんの言う『仲良くなりたい』って、どういう意味での仲良くなの?」

「え、どういうって……」


 この返事は想定していなかったのか、動揺した葵が足を止める。階段の踊り場で彼女に向き直ると、怯えたように一歩たじろいだ。


「先輩後輩としての適切な距離感でなら、仲良くすることは出来るわ。でも、それ以上を望むなら無理よ」


 葵の顔色が変わった。

 この機会に、葵の問題は一気に決着をつけるつもりだ。先輩後輩としてと答えれば、それを言質として必要以上に仲良くしない。それ以上を望むと答えれば、きっぱり諦めさせる。どう転んでも、私に悪いようにはならないだろう。

 黙って返事を待っていると、挑むような目をした葵が口を開いた。


「それ以上になりたいです」

「……そう。でも」

「杉村先輩が好きです。お付き合いしたいです。そういう意味で仲良くなりたいです!」


 私の返事を遮るように、葵がたたみかける。

 ああ、やっぱりこの子は主人公なんだな。素直で、まっすぐで、熱い。迷いのないこの目は、確かに主人公に相応しい。その眼差しの先にいるのが私じゃなければ、応援する気になったかもしれないのに。


「ごめんなさい、好きな人がいるの」

「──っ、それってこはるですか!?」

「…………は?」


 あ、思わず取り繕うのも忘れて、「は?」とか言っちゃった。いや、でも、まさかの質問だったから。


「違うわよ。なんでそこで若島さんの名前が出てくるのか、全然わからないけど」

「だって、一緒にお昼食べてるし……」

「陽子も一緒だけど」

「陽子先輩は前から一緒だったけど、こはるは私達と食べてたのに、急に……」

「逆ね。貴方達と食べなくなったから、私と陽子が誘ったの。若島さんのことは、後輩としては好きよ」


 確かに、こはるのことは特別可愛がってるように見えるだろうけど、それ以上でもそれ以下でもないとバッサリ切り捨てたら、悔しそうなのに嬉しそうという器用な顔芸で返された。


「じゃあ、誰なんですか?」

「少なくとも貴方じゃない。それ以上、言う必要がある?」

「聞きたいです」

「じゃあ、追加する。貴方のことは好きじゃない。むしろ嫌いよ」


 告白してきた──いや、させた相手にここまで言うのは、さすがに心が痛む。目に涙を浮かべ、唇を強く引き結んでいる後輩の姿を前にすれば、尚更だ。

 でも、ここで仏心を出せば、後で確実に面倒なことになる。後顧の憂いは、ここで絶っておかなくてはならない。


「あと、貴方は若島さんが出し抜いて、私と仲良くなったと思ってたみたいだけど、大間違いよ。私と彼女は、お互いにまったくそんな気持ちはないもの」

「……じゃあ、なんでこはるは私から離れたんですか?」

「それは本人に聞いたら?」

「聞いたけど、教えてくれなかったんです!」


 それもそうか。

 こはるは『こはると葵がいつも一緒にいたら、私に勘違いされちゃうから』という口実で離れたらしいが、それが嘘なのは葵も気付いているのだろう。そうでないと、こんなこと言いださない。

 でも、こはるはこはるで本当の理由は言えないからなぁ。正直に言う=告白だし。こっちはこっちで見事に拗れているようだ。


「前にもこはるが私から離れようとしたことはあったけど、すぐ戻ってきたのに。今度は杉村先輩のとこで、なんだか楽しそうにしてるし! 私だって先輩と仲良くしたいし、お昼も一緒に食べたいのに! ずるい!」


 おっと、話が戻ってしまった。

 結局、こはるとのことは私が引っ掻き回した形なわけだが、私のところに呼ばなかったからと言って、こはるが戻ったかどうかは不明だ。私も理由の一つだけど、私だけのせいではないと思う。


「何にせよ、私と島本さんが仲良くするのは無理よ。気をもたせるような真似はしたくないの。それに、私のことと若島さんとのことは別問題。そっちはそっちで、ちゃんと話して。戻ってきてもらいたいなら、本人にそう言いなさいよ」

「戻ってきてほしいっていうか、一緒にいるのが当たり前だったから、急にいなくなったら落ち着かないっていうか……こはるが何考えてるかわからなくて、ムカつくだけです」

「それ、私じゃなくて若島さんに言って」


 三人でのランチタイムは楽しいけれど、私と陽子は別学年だ。出来ることなら、こはるだって同学年の子と仲良くしておいた方が良い。

 葵から戻ってきてほしいと言われれば、こはるだって嬉しくないことはないだろう。手放しで喜ぶには、少々性格が捻くれているけど。


「……わかりました。こはるとは話します」


 おお、やったね! これでミッションは1つクリアだ!

 こはる! 私、頑張ったよ!


「でも、先輩のことは諦めませんから!」


 …………なんだって?


「一回振られたくらいで、簡単に諦めたりしません! 振り向いてもらえるように頑張りますから、これからよろしくお願いします!」

「いやいや、何言ってるの? よろしくしないって言ったわよね?」

「今はそうかもしれないけど、先輩はまだ誰かと付き合ってるわけじゃないですし! 努力もせずに諦めるのは嫌です!」


 あー、そうね。葵ってそういう子だった。さすが、ポジティブモンスター。

 私を含め、すぐにネガティブになるヒロイン組とは違って、常に希望に満ち溢れ、諦めずに頑張る主人公気質。それが島本葵だ。

 そういえば、ゲームの前半であれだけ紗良に拒まれてもしつこく食らいついた葵なら、一度振られたくらいで諦めてくれないか。


「だから、私は仲良くするつもりはないんだってば」

「はい、私は勝手に追いかけてアピールしていきますから!」


 キラッキラの笑顔で、力強くストーカー宣言してきた。やばい、この子。全然話が通じない。普通、嫌いとまで言われたら諦めるでしょ!?

 振られても思い続ける一途キャラなんて、本の中で十分。目の前に現れたら恐怖でしかないってば! 私は私で自分の恋で精一杯なんだから、潔く諦めてよ! お願い!


 「告白して、スッキリしました」と満足げな葵が、足取り軽く歩き始める。

 心底うんざりした態度の私を見ても、肩を落とすどころかワクワクした様子の彼女の神経の太さと強心臓は、少し分けて欲しいくらいだ。もしかしてアレか? 嫌われてる方が落としがいがあるとか考えてる?

 今は何を言っても聞いてもらえなさそうだし、せめて有言実行。仲良くしないという宣言通りに、逃げ回るしかない。

 一緒にジュースを買いに行くのをやめ、踵を返して美術室に戻った私は、何か言いたげな陽子に「後で説明するから」と一言残し、机に突っ伏した。

 ……ポジティブモンスター、HP高過ぎ。

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