70・いつか
紗良と映画を観に行くのは、会いに行った2日後の約束になった。
「というわけで、明日は休みます」
昨日の詳細は絶対に話さないけど、休むということだけは言っておかなければならない。
翌日のランチタイムに陽子とこはるに伝えると、それまで世間話をしていた二人の温度が生ぬるく変わる。いや、だからやめてよ、その顔。何もないから……いや、あったけどないから。ないってば!
「はいはい、デートですか。楽しんできてください」
「デートって……」
「気にしないでください、ただの僻みです」
「気にするわよ!」
すっかりシニカルな口調を隠すつもりのなくなったこはるだが、これは打ち解けたと言ってもいいのだろうか。以前のような険悪な視線はなくなり、かなり素を出してくれているようで悪い気はしないけど、紗良も陽子もこはるも、私の周囲の人が最近遠慮を投げ捨てているように感じる。
なんでだろう。私、前世も今世もこんなキャラじゃなかったはずなのに。
「詩織が来ないなら、私も休もうかな。若島ちゃんは?」
「そうですね。私もたまには休みます」
それを聞いて、少しだけほっと胸を撫で下ろす。陽子はともかく、こはるを放置するのは少し心配だったから。元々私がこはるを誘おうと言い出して、陽子には付き合ってもらっているわけだし。
なんだか私より仲良くなってるから、そこはあまり気にしなくても大丈夫そうだけど。
「いいですね、杉村先輩。学業も恋愛も充実してて、薔薇色の青春って感じですよね」
リア充の爆発を希望します、と言ってウインナーを口に放り込むこはるだが、その言葉は隣でニヤニヤしてる人に言ってほしい。学業はともかく、私はまだまだ絶賛片思い中だ。しかも、貴女の恋に決着がつくまでは告白も出来ないんですけどね。
「あーあ、私なんて、まだ葵ちゃんの誤解も解けてないのに」
こはるが、そうぼやいた。
うーん、それについては私も責任あるし、何か動いた方がいいだろうか。今はこはるが何を言っても聞く耳持ってないみたいだし。まったく、普段あれだけ周りには気を配っているくせに、なんでこはる相手だとこうなんだろう。ゲームの影響か幼馴染ゆえの甘えか、どちらにせよ少し偏りすぎだ。
私もいつまでも葵から逃げ回っているわけにはいかないし、近いうちに機会を見つけて話してみようかな。あんまり気が進まないけど。
「私も誤解されっぱなしは嫌だし、一度島本さんと話してみるわね」
「ありがとうございます。私からだと、今は何をしても逆効果みたいだから。こうも冷たい態度をとられ続けると、毎日失恋してる気分ですよ」
「それはキツいわね」
失恋か。まだ告白すらしてないし、紗良にも好きな人はいないみたいだけど、もし失恋したら、私はどうなるんだろう。というか、どうしたらいいんだろう。
友達として付き合い続ける? 距離を置く? 諦めずに思い続ける?
どれもありそうだし、どれを選んでも辛そうだ。
「それを愚痴ってる相手が、なぜか恋敵なわけですけど。そういえば、映画は何を観るんですか?」
「詩織のことだから、ベッタベタな恋愛映画とか選びそう」
「あー、わかります。杉村先輩って、カラオケで好きな相手見ながらラブソング歌いそうですよね」
「っぽい~! 歌詞の『君』とか『あなた』を相手の名前に変えて歌いそう!」
「二人の中の私のイメージが酷いわね!? 観に行くのはアクション映画だし、カラオケでそんな歌い方もしないから!」
カラオケはともかく、恋愛映画はちょっと考えたけど! ちょっとだけね! でも、紗良がアクション映画が好きだって言うから、そっちを選んだわけで。……アクション映画にしといて良かった。うっかりラブロマンスなんて選んでいたら、どれだけからかわれたものか。
胸を撫で下ろしながら、観に行く予定の映画の名前を言うと、こはるが「えっ」と声をあげた。何ですか、その反応。
「先輩、その映画の内容知ってますか?」
「え、女スパイのアクション映画よね?」
「そうなんですけど、途中に女同士のベッドシーンがあります」
「…………嘘でしょ?」
何それ、聞いてない! 調べてない! 私の百合情報の網を、完全にすり抜けてた! 最近、百合充してなかった弊害が、まさかこんなところで!
よりにもよって、紗良と観に行く映画がそれなんて。観終わった後、絶対1人で気まずくなるパターンじゃないか。
まったく、最近のハリウッド映画は気軽に同性愛投げ込んでくるんだから。ありがとう! 大好き! でも、そういうのは1人で楽しみたかった!
「もうネットで予約しちゃったし、変更は無理……」
「あはは、ご愁傷様」
「えっと、そういうシーンの時間は短かったので……」
「うん、ありがとう。知らないよりは良かったわ」
知らずに観てたら、大火傷するところだった。知ってても火だるまになる未来しか見えないけど、心の準備があるのとないのとでは大違いだ。教えてくれたこはるに感謝しつつ、明日、紗良がそのシーンについて何も感想を口にしませんようにと、私はただただ願うしかなかった。
※ ※ ※ ※
「なんか、色々と凄かったねー!」
翌日、予定通り映画を見て、パンフレットまで買ってからパンケーキの店に来た私達。席に着いた紗良は、映画のパンフレットをパラパラとめくりながら感想を口にした。
当然、映画館のロビーで襲われたなんてこともない。襲う予定だったこはるは、今頃家でくつろいでいることだろう。
「アクションもカッコよかったし、面白かったね!」
「ええ、オチも驚いたわ」
あと、例のシーンも驚かされた。
こはるから時間は短いと聞いていたし、確かにその通りではあったんだけど、濃厚というか激しいというか。美人が胸を舐めたり全裸で絡み合ってるのを、好きな人と一緒に大画面で観るなんて、心臓に悪すぎるでしょ! 綺麗だったけど!
「驚いたといえば、お相手が女の子なのもビックリしたよー」
「えっ、ああ、そうね」
あー、そこの話、してきちゃうのねー。
「友田先輩から告白されたのもあるし、ちょっとドキドキしちゃった」
「ああ、そうよね。っていうか、あのシーンは普通にドキドキするわよ」
「詩織さんにも押し倒されたしねー」
「なっ、ん、あれはっ……ごめんなさい」
「あははは、ごめんごめん。ちょっと意地悪言っただけ」
もう、勘弁して下さい、自業自得とはいえさっきの映画より心臓に悪いわ。項垂れる私を、紗良が楽しそうに見つめる。本当、最近の私はこんな役回りばかりだ。
友田さんからの告白から、そろそろ3週間。こうして話題に出るってことは、少しは心の整理も出来てきたのだろうか。
「私ね、多分、今まで告白してきた人の中では、友田先輩が一番好きだったよ」
「……そう」
「うん。恋じゃないってわかってたけど、そばからいなくなるのは寂しくて、引き止めるために付き合おうかなって、実はちょっとだけ考えたんだ」
その言葉に思わず顔を上げ、紗良を正面から見つめると、「結局しなかったけどね」と苦笑いを浮かべた。
しかし、私は知ってる。今みたいに私やクラスの友達がいない状態なら、紗良は引き止めるために手を取る子だ。その結果が、あのゲームでの葵との歪な関係なわけだが。
いつ、そんなことを考えていたのだろう。告白はすぐにお断りしたらしいし、振った後に考えていたのか。もしかしたら、私が眠っている隣で、ひっそりと悩んでいたのかもしれない。
「それでね、さっき映画観て思ったのが、仮にお付き合いしても、私は友田先輩とキスとかそれ以上のことは出来なかっただろうから、これで正しかったんだろうなって」
「当然でしょ。そんな形で付き合っても、後でお互いに傷つくだけよ」
「うん、そうだよね」
「それに、私は紗良がちゃんと好きになった人と、幸せな恋愛をしてほしいわ」
そして、出来ればその相手は私がいい。そんな思いがどうしても邪魔して、まともに目を合わせることは出来なかった。
紗良に幸せな恋をしてほしい気持ちと同じくらいの強さで、他の誰かと恋をする紗良を見たくない。いっそ、このまま誰のものにもならず、ずっとこうして呑気にお喋りしていてほしいと願ってしまうくらいに。
「いつか好きな人が出来たら、詩織さんには一番に言うね」
「……光栄だわ」
紗良の純粋な好意に、胸を刺されるようだ。
その信頼に満ちた言葉が、笑顔が、私への恋心なんて欠片もないと雄弁に語っている。私が彼女に向ける気持ちにも、まったく気づいていないのだろう。そうなるように振る舞ったのは自分だけど、それを目の当たりにするのは、なかなか精神的にくるものがあった。
ああ、告白が遠いな。こはるや葵のせいでなく、私自身の問題で。
「ところで、おそろいの小物は何がいいか、考えてきてくれた?」
嫌な話はすり替えてしまうに限る。小物の話題に水を向けると、紗良は目を輝かせて乗ってきた。
「あのね、髪飾りがいいと思うんだけど、どうかな?」
「いいわよ。どんなのがいいとかはある?」
「それが、ネットで色々見たんだけど悩んじゃって。かんざしも可愛いし、お花を何個かつけるのも可愛いし!」
そう言って、スクショした画像をいくつか見せてもらうと、確かに可愛い。かんざしなら大人っぽくなりそうだが、どちらかと言えば花の方が紗良の可愛さが引き立つだろう。
一言に花といっても、大きさや素材で随分と印象が変わる。つまみ細工の奥ゆかしいデザインのものから、オーガンジーで飾られた華やかなものまで、とにかく種類豊富だ。
「お店で実物を見ながら決めましょうか」
「うん!」
いちいち暗くなってたらダメだ。今はこの関係を楽しまないと。
時々、不意打ちのように胸が痛むこともあるけれど、紗良との大切な時間をそんな気持ちで過ごしてたら、もったいないおばけが出てしまう。
いつか、私を姉のように慕うこの子に本当の気持ちを告げた時、どんな顔をするかわからない。絶望か、それとも歓喜か。後者であってほしいけど、現状だと前者だろうな。
そんなことを考えていて、ふと思った。
紗良への気持ちを自覚して、まだたった1ヶ月の私がこんなに苦しいのに、長年想い続けてきた相手から拒絶され、毎日失恋している気分だというこはるは、一体どれだけ辛いだろうかと。
美術室の片隅、葵に背を向けて黙々と絵を描くこはるの姿を思い出す。恋愛だけじゃない。家族や友達、自分自身の力量について──、その未成熟な体の内にどれだけの苦悩を抱え込んでいるのかを思い、なんだかやけに切なくなった。
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