58・負けました

 目が覚めたら、天使がいた。

 あ、天使と思ったら好きな子だった。まあ、どちらにせよ天使なのには変わりない。眼前の天使は、どうやら私に膝枕をしているうちに一緒になって眠ってしまったらしかった。カクンと首を落とし、下を向いて寝ているものだから、私からは柔らかそうな膨らみの向こうにあどけない寝顔がよく見える。

 横を向いて寝ていたはずなのに、起きたら真上を向いているってことは、おそらく私も寝顔を見られたのだろう。見るのは大歓迎だけど、見られるのは少し恥ずかしい。

 それにしても、前にも思ったが紗良は寝顔まで綺麗だ。起きてる時は可愛い印象だが、寝顔はどちらかというと綺麗という方が合っている。長いまつ毛も鼻筋の通った顔立ちも、薄く開いた唇も。全てのパーツがバランスよく配置されて、まるで芸術作品のよう。

 その美しさを、呼吸でゆっくりと上下する動きごとずっと眺めてたくて、息を潜めるようにして見つめていた。

 そういえば、ゲームでも『詩織』は『葵』の寝顔を見てたんだっけ。今の私は葵の寝顔に興味なんてないが、好きな人の寝顔をずっと見つめていたくなる気持ちはよくわかる。ピンクに色づいた唇を奪ってしまいたいという気持ちも含めて。


「……ん、うぅ……ん」


 紗良の寝顔をじっと見つめていると、しばらくして紗良が目を覚ました。少しの間、寝ぼけてぼんやりと焦点が合っていなかったが、膝の上からじっと見上げる私に気づいたとたん、大きく目が見開いて完全に目が覚めたみたいだ。おはようございます。


「あはは、いつの間にか寝ちゃってたみたい。おはよう、詩織さん」

「おはよう、紗良。よく寝てたわね。可愛い寝顔だったから、奪っちゃおうかと思ったわ」


 指を伸ばして、唇をふにっと突きながらゲームでのセリフを口にする。相手は葵じゃないけど、同じセリフを言うことで少しは好感度が上がってくれないかと、ダメ元でちょっぴり期待して。

 私の予想では可愛く照れてくれるはずだったのだけど、少しだけキョトンと目を瞬かせた彼女は、にーっこりと微笑み、


「じゃあ、奪われたら責任取ってもらわなくちゃ」


と、私の下唇を親指でそっとなぞった。

 ちょ……っ、何それ、なんかエロい! ゾクゾクってした!!

 ただ人差し指で押しただけの私とは違い、頬に他の指を添えて、絶妙な力加減で唇をスーッて! スーッて!! 何、その高等テク。そんなのどこで覚えてきたの? 私の読んだ百合本には載ってなかった!


「……負けました」


 耐えきれず、両手で顔を覆って敗北宣言した私に、「詩織さんって、反撃されると弱いタイプだよね」と容赦ない追撃がくる。もうやめて、私のライフはマイナスよ!

 さっきの唇スーッがまだ尾を引いて、今この瞬間にもまだガンガン削られてる。


「紗良は強くなったわよね。最初はすぐ赤くなってたのに」

「おかげさまで。でも詩織さん、誰にでもそんな冗談言ってたら誤解されちゃうんだからね」

「大丈夫よ、紗良にしか言ってないもの」

「はいはい。もう、そういうところがねー。ちょっと陽子さんっぽい」

「……それ、今日一番ダメージ大きいわ」


 地味にショックだけど、否定も出来ない。陽子なら大袈裟な身振り手振りもつけて、楽しそうに言ってそうだ。もしかして私、影響受けてる?


「陽子さんに聞いたよ、後輩から追いかけ回されてるって。詩織さんが疲れてるから、癒してあげてねって言ってた」

「えっ、紗良、知って……もう、陽子ってば口軽い!」


 前から思ってたけど、すぐに人に言い過ぎ!

 まあ、言う内容や相手は選んでるんだろうけど、今度釘を刺しておかないと。


「もしかして紗良が連絡してきたのって、それ聞いたから?」

「ううん、違うよ。陽子さんから聞いたのは、詩織さんが来る少し前だもん。私が寂しかったのは本当」

「ああ、もしかしたら私が今日は部活休むって連絡したからかも」


 行きたくないっていうのもあったけど、紗良を優先して休んだだけなんだけどな。心配させてしまったのかもしれない。


「詩織さん、その子と付き合うの?」

「えっ、付き合わないわよ!」

「そっか、好きじゃない?」

「少なくとも、恋愛的には好きじゃないわね。なんだか、先輩たちが応援ムードで参ってるの。告白されたわけじゃないから、すぐにはお断りも出来ないし」


 困ってるのだと言うと、紗良が「あー、わかる」と苦笑いを浮かべた。

 わかるってことは、紗良の周りにもそういう人がいるのか。それはそれで、モヤモヤする。そりゃ、みんながみんな突然告白してくるわけじゃないだろうし、あわよくばを狙って周囲をチョロチョロする人もいるか……心配だ。


「ね、どんな子? 可愛い?」

「うーん、そうね……あ、紗良も会ったことあるわよ。ほら、プレゼント買いに行った時に」

「ああ、あのショートの子かぁ」

「そうそう……って、なんでショートの子ってわかったの?」


 あの時、主に話していたのは葵だけど、こはるも一緒にいたのに。


「わかるよ。あの子、詩織さん大好きって感じだったし、私には嫉妬剥き出しだったもん」


 そういうのには敏感なの、と簡単に言うが、それはつまり、敏感にならざるを得なかったというだけで。最近はあまり感じられなかった中学生までの紗良の苦労が窺い知れた。私は葵が紗良に嫉妬心を剥き出しにしているなんて、全然気づかなかったし。

 あの時、紗良の様子がおかしかったのはそれが原因なのかな?


「詩織さん、男女問わずモテモテだから、すぐに恋人できちゃいそう」

「それ、紗良にも言えることでしょ? モテたからって付き合うわけじゃないわよ。……少なくとも私は好きな人としか付き合いたくないし」


 そこまで言って、はたと気がついた。

 あれ? もしかして今、告白する流れだったのでは? 紗良が好きだから他の人とは付き合いません、とか。いや、でも今告白しても勝率は低そうだし。何より、膝枕された状態で告白っていうのも様にならないし。

 というか、膝枕だけじゃなくて、さっきからずっと頭を撫でられてるんだけど、これってどうなんだろう。あまりにも自然過ぎて気にしていなかったけど、よく考えたら凄い状況だ。


「そうだね。詩織さんはもうしばらく恋人作らずに、こうして私の膝枕で頭なでなでされてくれてたらいいよ」

「ふふっ、それも悪くないわね。じゃあ、紗良が疲れた時は私が膝枕するから」

「えー、恥ずかしいなぁ」

「……それ、今こうされてる私の立場は?」


 あははと笑いながら、紗良の手が私の髪をクシャクシャにする。まるで飼い犬にするみたいな撫で方に、やめてと言いながら私も笑う。

 ああ、幸せだ。やっぱり好き。大好き。告白しても、ずっとこうして二人で笑い合っていたいと、心から思った。

 でもね、紗良さん。「私、されるよりする方が好きみたい」って言い方は、百合オタ的に深読みしてしまうのでやめて欲しいです。膝枕ね、膝枕。

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