57・浴衣

 あんな夢を見たせいで、部活に行く気は全くなくなってしまった。ただでさえ、葵からの猛アピールで嫌気がさしてきていたのに、夢での『こはる』の打ちのめされっぷりを見てしまうと、どんな顔をして会えば良いのかわからなくなる。

 リフレッシュのため、今日は部活を休んでネットで百合を漁るぞ! と決め、朝食後に部屋へと戻ってくると、紗良からの通知が来ていた。


『夏休みは詩織さんと毎日会えないの寂しいよー! いつもなら、この時間は一緒に電車乗ってるのに!』


 ――可愛すぎか!!!

 号泣している謎のキャラクターのスタンプと共に送られてきたそれに、葵のことも夢のことも綺麗さっぱり浄化されていく。そっか、寂しいと思ってくれてるんだ。毎日は会えなくても、週一での勉強と料理は続けてるんだけどね。寂しいのかぁ、ふふっ。

 それなら、私のすることは一つしかない。流れるようにスマホの連絡帳から紗良の名前を表示して、電話番号をタップした。


「おはよう、紗良。今日、予定空いてる?」


 丁度いい用事もあることだし、言い訳に使わせてもらおう。スマホの向こうで驚いている紗良に約束を取り付け、私の今日の予定は決定した。



※  ※  ※  ※



「おじゃましまーす」


 二時間後、私は大きめの紙袋を片手に紗良の家を訪れていた。一応アポは取っているが、いつも突然の訪問で申し訳ない。

 いらっしゃいと出迎えてくれた紗良は、白いオフショルダーのトップスにストライプの膝丈スカートという涼しげな装いで、今日もとっても可愛い。あと、白い肩が眩しくて目のやり場に困ってしまう。お邪魔して三秒で、私の中の思春期男子が顔を覗かせてしまった。


「急に来てごめんね」

「いいよー、元々は私が寂しいって言い出したんだし。来てくれて嬉しいよ」


 あー、やっぱり癒されるなぁ。私の推しが天使過ぎる。幸せすぎて、顔の下半分が蕩け落ちそう。心の中はもはやデロデロに溶け落ちているのだが、そんなものを一切表に出さない私の表情筋は、なかなか鍛え上げられているのではないだろうか。

 勝手知ったる紗良の家のリビングで、いつもの場所に荷物を置いた私は、さっそく表向きの用事を済ませることにした。


「さて、と。さっき電話でも話したけど、これがうちのお姉ちゃんの浴衣ね」


 言い訳に使ったのは、紗良が花火大会に来ていく予定の浴衣についてだ。一年に一度着るかどうかの浴衣を、一人暮らしの紗良が購入するのは痛い出費だし、保管するのも邪魔だろうと、お母さんが「お姉ちゃんの浴衣を着てもらったら?」と提案してくれたのだ。

 現在一人暮らし中のお姉ちゃんは向こうで新しい浴衣を買ったらしく、今年これを着ることはない。バイト代で買ったようだが、お母さんは「うちにあるのに」と少し不満気だったから、紗良が着てくれたらきっと喜ぶだろう。


「嬉しいけど、本当にいいの?」

「いいのよ。お母さんも気に入れば是非って言ってたし、デザインも紗良によく似合うと思うの。紗良さえ良ければ、一度合わせてみて」

「うん、じゃあ、一度着てみるね。あ、脱いだ方がいいかな?」


 オフショルダーのトップスの袖を軽くつまんで、紗良が首をコテンと傾げた。思わず想像してしまってフリーズしたが、どうにか「薄着だし、合わせるだけならそのままで大丈夫よ」と答えたけれど……そうか、その問題があったか。

 今日は持ってきていないけど、浴衣用肌着だけは自分で着てもらおうと今決めた。下着姿を見たところで簡単に飛ぶような理性ではないが、恋愛感情を持ってる私が見てしまうのは紗良に申し訳ない気がするのだ。

 平静を装いながら袋から持ってきた浴衣を取り出すと、紗良の表情がぱっと華やいだ。


「わぁ、大人っぽくて素敵!」

「でしょう?」


 お姉ちゃんの浴衣の柄は撫子。白地に青い撫子が描いてあるその柄は、シンプルだからこそ上品で、程よくレトロな感じも魅力だ。撫子の花の形が可憐なので、可愛らしさもあって紗良のイメージにぴったりだった。

 これを買うため、姉に散々お店を回って付き合わされたのも、今となっては懐かしい思い出である。

 取り出した浴衣を紗良に服の上から腕を通してもらい、帯も締めてざっくりと着てもらうと、やはり思った通りによく似合っていた。


「これね、お姉ちゃんが彼氏と初めてお祭りに行く時に買いに行ったのよ。椿の柄と最後まで迷ってたけど、店員さんが彼氏とのデートで着るなら絶対に撫子柄だって」

「なんでデートなら撫子柄なの?」

「花言葉が『純愛』だからって言ってたけど、多分あれはいつまでも決まらないからそう言っただけじゃないかしら」


 なかなか決められないお姉ちゃんの最後の一押しがそれだった。どちらも同じくらい気に入ってる場合、最後の決め手は験担ぎになるらしい。

 ちなみに、お姉ちゃんは今でもその人と付き合っているので、験担ぎは効果抜群だったようだ。是非ともあやかりたい。


「じゃあ、ありがたくお借りします。えへへっ、花火大会楽しみだねー」

「ええ、私も楽しみ」

「ねえ、詩織さんはどんな浴衣なの?」

「私は桔梗柄よ。白地に青紫っぽい色の桔梗が描いてて、色味は紗良のと少し似てるわね」


 去年着た時に撮った写真がスマホに入っているので見せてあげたら、「本当だ。詩織さん、今よりちょっと幼い! 可愛い!」と、えらく喜ばれた。


「こういう似た柄の浴衣着てたら、仲良し感あるね。双子コーデ的な」

「紗良、そういうの好きよね。何か小物だけでもお揃いでつける?」

「それいい! 今度、一緒に選びに行こうよ!」


 女の子同士だと、こういうちょっとしたもので簡単に特別感が出せるのがいいと思う。お揃いや双子コーデには大して興味ないが、紗良との繋がりの一つだと思えば悪くない。



※ ※ ※ ※



「詩織さん、もしかして眠い?」


 昼食を一緒に食べた後、ソファに並んで寛いでいたら、紗良に訊かれた。

 昨夜、あの夢のせいで寝不足だったのが大きな原因だが、食後の満腹感と快適な空調に眠気が後押しされ、あくびが出てしまったのを気づかれたらしい。


「ああ、ごめんね。昨日ちょっと眠れなくて」

「そうなんだ、毎夜暑いもんね。少し寝る?」

「えっ、遊びに来て寝るなんてそんな……」

「気にしなくていいよ、私はスマホでゲームでもしてるし。はい、どうぞ」


 笑顔でポンポンと太ももを叩いて、紗良が呼ぶ。

 寝るって、そこでですか。ナチュラルに膝枕を勧められて少し戸惑うが、そのお誘いは魅力的だ。少しの葛藤の後、私はあっさりと白旗を上げた。


「紗良って、実は膝枕するの好き?」

「あ、バレちゃった。なんだかね、甘えてもらってる感じが好きみたい」

「……じゃあ、少しだけ甘やかしてもらうわね。足が痺れたら言って」

「はーい、おやすみなさい」


 紗良の膝枕は落ち着かない気持ちにもなるけど、それと同じくらい安心する。温かくて柔らかくて、甘い匂い。そこにふわふわと優しく撫でる手が加われば、もう私に勝ち目はない。

 そういえば、匂いが好きな相手とは恋愛的に相性がいいと聞いたことがあるけど、同性でも当てはまるのだろうか。当てはまると良いな。少なくとも、人としての相性は悪くないと思うんだけど。

 そんな取り留めのないことを考えているうち、私の意識はゆっくりと沈んでいった。

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