39・涙
最初は、ただバッドエンドを回避させてあげようという軽い気持ちだった。一度会えば、私達の間に繋がりはなくてもいい。知らないところで幸せになってくれていればいいな、なんていう程度の親切心。
それがいつの間にか、彼女を悲しませるありとあらゆるものから守りたくなって、そばにいてほしくなって、誰よりもそばにいたいと願うようになって、――気づけば彼女そのものを求めていた。
いつから、とか。なぜ、とか。そんなことをいくら考えても答えは出ない。いつの間にか、どうしようもなく惹かれた。それだけだ。
そんな過去のことを掘り返しても、現状は変わらない。今考えるべきは、私がこれからどうするかだ。
まず考えたのが、距離を置くこと。ちょうど、もうすぐ夏休みだ。今までの距離感からして、まったく会わないというのは難しいかもしれないが、見直すには良いきっかけになるかもしれない。
しかし、紗良は意外と鋭い。私が陽子に指摘されたことで上の空になっていた時も、すぐにおかしいと気がついていた。下手に離れていこうとしているのを気づかれれば、傷つけるだけの結果になる。それどころか、私の気持ちに気づいてしまうかもしれない。
それだけは、なんとしてでも阻止したい。だとすると、残るは告白するか、隠し通すかの二択だ。
告白、と考えて鼻で笑う。それこそ、一番あり得ない選択肢だろう。春に見た夢で、私は何を知った? たとえ紗良が百合ゲーのサブヒロインだとしても、紗良自身は同性愛者ではないのだ。ゲームで葵と恋仲になったのは、孤独にならないための苦渋の決断だったのだから。
もし私が告白なんてしたら、紗良は間違いなくショックを受ける。自惚れではなく、今の私は紗良にとって『特別』だ。信頼して、安心して甘えて、泊まりにまできた友達が自分を恋愛対象として見ていたなんて、彼女にとってはホラーでしかない。
「……隠すしかない、か」
出来ることなら、この恋を実らせたい。好きだと伝えて、同じ気持ちを返してほしい。
しかし、それが無理ならせめて、お互いが不幸になると分かっている告白よりも、彼女が何も知らないまま笑っていられる沈黙を私は選ぶ。
紗良を大事に想う気持ちも、欲にまみれた気持ちも、そのどちらも恋の一面ならば、紗良には大事に想う気持ちだけを渡したい。紗良の笑顔を守れる私でいたい。
大丈夫、私ならうまくやれる。
こんなの、百合作品で散々読んできたじゃないか。同性愛なんて考えたこともないような女の子に叶わぬ恋をする物語など、もはや王道と言っても良い。シミュレーションはバッチリだ。
でも、数え切れないくらい読んできた物語の女の子達が、こんなにつらい気持ちでいたなんて知らなかった。他の人達も、失恋すればこんな心を切り刻まれるような想いを味わっているのだろうか。だとしたら、どうやって忘れて、どうやって次の恋を探せるのだろう。
この気持ちを手放す方法があるのなら、お願いだから誰か教えてほしい。
じわりと視界がにじむ。あっと思った時にはもう遅く、ポタリポタリと涙の滴が床を濡らした。そうなってしまえば、もう堪えるなんて出来やしない。床にしがみつくように突っ伏して、声を出さずに号泣した。
泣いたってどうにもならない。何も変わらない。まったく意味のない行動だ。それなのに、涙は全然止まる気配がない。
泣いて、泣いて、ひたすら泣いて、どれくらい経っただろう。ソファの横に置いていた鞄の中で、スマホが震える音がした。
しゃがみこんでいたせいで痺れる足を引きずり、たどり着いた鞄の中からスマホを取り出して確認すると、お母さんからの着信が5件あった。それを見て、急速に現実に引き戻される。時間を確認すると、すでに20時を回っていた。
――まずい!!
いつもならとっくに帰っている時間だ。紗良への恋を自覚して気が動転していたとはいえ、家への連絡を忘れていたのは失敗だった。どれだけ泣いていたんだ、私。
どう言い訳しようかとオロオロしていると、持っていたスマホがまた着信を知らせた。当然、お母さんからの。
「も、もしもし!」
反射的に出ると、耳元で「あ、詩織~?」と、いつになくのんびりとした様子の母の声。
あれ、怒ってない。もっとこう、「アンタ、こんな時間まで連絡もせずにどこほっつき歩いてるの! 今すぐ帰ってきなさーい!」みたいなのを想像していたんだけど。
「あ、あの、連絡しなくてごめんなさい。ちょっと慌てたから忘れてたっていうか……」
「本当よ、心配したんだからねー。今どこ?」
「紗良の家に来てるの。風邪で熱出しちゃって、薬とか必要なもの届けに……」
まあ、それだけならこんな時間になりませんでしたけどね。
――不思議だ。さっきまでは、この世の終わりを見たくらいの気持ちで泣いていたのに、お母さんの声を聞いたら一気に日常に引き戻された。止め方がわからなかった涙も、しっかり引っ込んでいる。なんていうか、母の力は偉大だ。
「あー、紗良ちゃん、一人暮らしだって言ってたものねぇ。大丈夫そうなの?」
「うん、多分。今は薬飲んで寝てるから、お粥でも作ろうかなって思ってるんだけど」
「えっ、アンタお粥なんて作れるの? 家では全然料理したことないくせに。病人に追い打ちかけない?」
「かけないわよ!」
料理は前世の知識だから、うちの母親は私が料理をしているところを見たことがない。記憶が戻る前は全然料理を手伝ったりしなかったし、戻ってからも急に手際が良くなったら妙に思われそうだから、あえて手伝わないようにしていたのだ。
私がここで紗良に料理を教えているなんて言ったら、間違いなく冗談だと思われるだろう。
「まあ、そういうことなら少しくらい遅くなってもいいわ。帰る前に一本電話入れなさい」
「うん、わかった。ありがとう」
「はいはい、じゃあ紗良ちゃんにお大事にってよろしく……あ、そうだ!」
「ん、何?」
電話を切ろうとしたお母さんが、何かを思いついたように明るい声を上げた。
何だろうと思っていると、
「もうすぐ夏休みだし、今度うちに遊びに来てもらいなさいよ。私も紗良ちゃんに会ってみたいわー」
なんて、とんでもないことを言い出した。
ちょっと待ってくれ、母よ。貴女は知らないと思うけど、私はさっきその紗良への報われない恋心を自覚したばかりで、かなり気まずいのですが。
夏休みは少し距離を置こうかなんて考えてたくらいなのに、なんでこのタイミングで言うの? 鬼なの?
「この年になって友達を家に呼ぶとか……」
「紗良ちゃんが乗り気じゃなければいいから、元気になったら声かけてみてちょうだい。じゃ、看病しっかりね!」
上機嫌なまま電話を切った母に、唖然としたままスマホを鞄に戻す。
夏休みに紗良を家に呼ぶ? うそでしょ?
さっきまで泣きに泣いて頭が痛かったが、今は別の理由で頭が痛い。これ、紗良には内緒にして、なかったことにしたらダメ……かなぁ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます