第一章 運命なんて、大っ嫌い!

第1話

 *


 真っ白なシーツが、青空に舞い上がった。

 といっても、竹竿と挟み具で固定されているから飛ばされることはない。温かな風を受け、気持ちよさそうにたなびくばかり。

 お昼過ぎの陽光に照らされて、洗濯後の綺麗さがさらに際立つ。うーん、眩しい。お洗濯、苦手だけど頑張った甲斐があったなあ。


「あ! あそこ!」

「見つけた!」

「いた~」


 今朝の悪戦苦闘を思い出していると、不意に離れたところから声があがった。振り向くと、五歳前後の男の子二人と女の子一人があたしを指差していた。と思う間もなく、三人のちびっ子は見計らったようなタイミングで一斉に走り出した。 


「ほらー! こ~っち~だよ~!」


 三人が少し近づくのを待ってから、あたしも駆け出す。目指すは太陽の方向。そして、竹竿に掛けられたシーツが並ぶ方向。

 風を背中に感じつつ、小さな芝生の上に並べられた竹竿の列を潜り抜けていく。白いシーツのトンネルが頭上を滑り、風をはらんで波を打つ。気持ちがいいのはシーツだけじゃない。あたしの心も、とっても開放的だ。


「待ってー!」

「ユナ姉ちゃん速すぎー!」

「追いつけないよう~」


 後ろから迫ってくる声が、想像以上に遠い。仕方ないなぁなんて思いつつ、少しだけスピードを緩める。と同時に、ついでに少しおまけもしておこう、なんていう油断があたしの中に芽生えてしまった。


「ほらほら~。追いつけたら今日のあたしのお菓子、少し分けてあげるよ~?」

「え!」

「ほんとっ⁉」

「じゅるり」


 途端、声の近づいてくるスピードが上がった。嫌な汗を背中に感じながら後ろを確認すると、三人の目の色が変わっていた。あたしの半分程度の年齢とは思えない足の速さ。ちょっと待って、なにそのスピード。こっちは落としたばかりですぐには上がらないんだけど?

 お菓子のためにも捕まるわけにはいかない。あたしは再度ギアをチェンジし、足の回転を速め、歩幅を広げて…………盛大に滑った。


「わあっ⁉」


 一瞬、宙に浮く。まるで、空を飛んでいるかのような浮遊感。このまま深くて広大な青空に飛び立って……なんてわけもなく、浮遊感の消失とともに胸とお腹を芝生に打ち付けた。


「イテテッ……」


 幸い、咄嗟に手をついたおかげで顔は打っていない。けれど、他の節々はじんじんと痛む。くそう。あたしとしたことが地面のぬかるみに足をとられるとは。

 目下の敵に視線をやると、そこは洗濯の時にあたしが誤って水をぶちまけたところだった。

 これはつまり、こけた原因は過去のあたし……?

 転んだうつ伏せ姿勢のまま過去の自分を呪っていると、今度は背中に衝撃が加わった。


「つっかまーえた!」

「よしっ!」

「お菓子~」


 ドスン、ドシン、ポスン、と小さな衝撃が三つ、背中と腰とお尻に加わる。「ぐえっ」っと軽いうめき声を漏らして、あたしは為す術もなくちびっ子三人のお縄となった。


 **


 柔らかな風に乗って、楽しそうな声が室内にまで聞こえてくる。


「ユナ姉ちゃんのドジ~」

「転んじゃうんだもんな」

「でも、大丈夫?」

「うん、大丈夫だけど……そろそろ三人とも降りろー!」


 とっても眩しい声。そして優しくて、嬉しくなるような声。孤児院という、悲しい過去を背負っている子どもたちが集まる場所にも、小さな幸せは転がっている。私はお姉ちゃんの、みんなのこの声がとっても好きだ。


「ねぇ、マナお姉ちゃん。どうしたのー?」


 私の名前を呼ぶ声に、ふと我に返った。

 私が今いるのは、孤児院の中にあるこじんまりした自由室。窓際近くの椅子に腰かけ、手には薄い絵本。そして何よりも注目すべきは、カーペットの上で座り込んでいる四人の幼い子どもたちからの、熱い視線だ。

 そうだった。私は今、みんなに物語を読み聞かせているんだった。


「ああ、えと。ごめんね。……コホン。そして、魔王を退治した勇者は国へと帰り、王国のみんなから感謝され、お姫様と幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」


 残っていた最後の一文を読み終え、私は静かに本を閉じた。「わぁぁっ!」という小さな歓声と拍手が、パラパラと周囲に響く。

 これは、この国では一番有名な昔話。正義の勇者と、悪の魔王の物語だ。もう何十回と読み聞かせているのに、明日になればまた「読んでー!」とせがんでくるんだろう。


「ふふっ」

「ほえ? マナお姉ちゃん?」

「んーん。なんでもないよ」


 無邪気な瞳に、私は笑い返す。幸せだなあ、と思う。

 ユナは元気が有り余っている活発な子どもたちと走り回り、私は比較的おとなしい子どもたちと物語の世界に飛び立つ。

 見慣れた光景。なんでもない毎日。とっても平和で、いつまでも続いてほしい。


「ねぇ! また読んでね! 勇者と魔王の物語!」


 感想を話し合っていた男の子のうちの一人が、輝いた目でそう叫んだ。明日まで待たずとも、既に物語の一ページはみんなの心の中で開いているようだった。


「うん、わかった。また読むね! でもその前に……みんなのお手伝い、しよっか?」


 私は苦笑を浮かべながら、窓の外を指差す。そこでは、孤児院の責任者であり、みんなのお母さん的存在であるマーサさんに、ユナたちが怒られていた。風で運ばれてくる話し声によると、どうやらユナが転んだ拍子に汚れが干してあったシーツに付いてしまったらしい。


「えー、なんで僕たちが~」

「そうだよー。カンケーないのにー」


 男の子を中心に、小さなブーイングが起こる。まあ仕方ないよね。予想された反応に、私はしゃがみ込んでみんなと視線を合わせた。


「ほら。勇者は困っている人たちを助けるでしょ? それにみんなも、ユナや他のみんなに助けられてるはず。だからお返しも兼ねて、ぜひ勇者になってユナたちを助けてあげてくれないかな?」


 お願い、と最後に手を合わせる。

 孤児院の子たちは、活発組とおとなし組で少し距離がある。遊ぶのが分かれるのは仕方がないとしても、それ以外の部分ではあまり距離を置いてほしくなかった。これは、またひとつ、みんなが仲良くなれる絶好のチャンスなのだ。


「しかたないなー」

「マナお姉ちゃんが言うなら……」

「うん! みんな、行こう!」

「ゆうしゃになろー!」


 ぱたぱたと小さな足音を立てて、あっという間にみんなは外へと駆け出していた。本当に素直で、良い子たちばかりだ。再び窓の外へ視線を移すと、走ってくる子どもたちの姿を見て驚いた様子のユナと目が合う。


 ――さすがはマナ! 自慢の双子の妹!


 声は聞こえない。グッと親指を立てつつ、透き通った青色の瞳を細めているだけだ。

 でも、ユナの言いたいことならなんとなくわかる。会話なんてしなくても、視線だけでお互いに思っていることの大枠は掴めてしまう。

 双子だからだろうか。

 風でしなやかに舞っている長い銀色の髪も、そんな彼女の心を表しているようで……


「まーた調子に乗って。ほんとに、もう……ふふっ」


 ――調子に乗らない! 私も行くから!


 そんな気持ちを視線に乗せて、私もまた自由室を飛び出した。

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