2E

Goat

1


 鉄の心臓は鼓動を刻まない。

 脈拍を刻まない身体では時間の流れがひどく覚束おぼつかない。

 感覚はある。だが、それは生を彩るに足る解像度を持たず、あくまで命令を遂行する為に備え付けられた装備の一つに過ぎなかった。灰がかった視界は、必要な情報以外を遮断する。


「・・・」


──欄々と空に輝く朝日は、戦闘に最適化された色覚においてはノイズでしかない。


 残骸と化した街、瓦礫の中の微かな残火は未だに消えずにてらてらと揺れている。

 辺りには絶えずガスと硝煙の匂いが立ち込めていた。

 嗅覚がクラッシュするほどの刺激臭の中に、辛うじて混ざる“香り”。

 それは生活の、文明の残り香だった。


 不意に遠くで地鳴りのような音が聞こえた。どこかでガスに引火でもしたんだろう。

 何のことはない。

 爆発、ビルの倒壊、それら崩壊の音色は死にゆく街の子守唄だ。

 必滅の未来を彩るのにはうってつけだろう。


 形あるものはいずれ風化し、なくなっていく。その理の中で人は文化や文明といったものを接ぎ木のように繋げていく。担い手がいなくなれば、必然、そのミームは断裂する。

 さながら船員を欠いた船だ。一人では進むこともままならない。


──最も、“船員殺し”こそが自分に課せられた命令だったわけなのだが。


 かつてこの国一番の賑わいを誇っていた大通りは、当初の目論見通り、人っ子一人いないゴーストタウンと化した。看板広告は剥がれ、ショーウィンドーは割れて無残に地面に散らばっている。踏みしめる度、不揃いのガラスはまるで枯葉のような乾いた音を立てるが、それを気にも留めずに進む。


 灰色の空に覆われた空っぽの街の、空っぽな生命。

 その中にはもう何もない。鏖殺おうさつ用の兵装は既に形骸化した記号でしかない。あと一度の火花をもって、全ての役割を終えるだけだ。

 他に残ったのは残存電池分の寿命と心のレプリカだけ。


「・・・」


 記憶の中に、男の声が響く。


──レプリカめ。


 レプリカ。よくできた偽物。贋作。

 感情に任せた罵倒が、メモリからこびりついて離れない。思考を濁らせる記憶を振り切るように歩く。

 淀みない歩調は緩やかに減速し、やがて止まる。

 視界に踊る文字列は、過去のミッション・ログをご丁寧にも参照してくる。



 目標:セントラルシティ駅

 最終更新:一年前

 達成状況:未完了


 

 地下鉄の入口は高熱によるものだろうか、暗くすすけてところどころ変形している。

 至る所に大きなヒビが走っていて、今にも崩れそうだ。

 到底中へは入れそうもないし、誰かがいるとも思えない。


 「・・・」


 ただひたすらに待つ。何が起きるわけでもなく、既に一年が経過した。

 それでも待つのだ。

 命令を遂行しなければいけない。失敗は許されない。

 それが自分の存在意義なのだから。それが”機械”の在るべき姿なのだから。

 だから、待つのだ。

 演算処理装置の真ん中に居座り続ける、あの人。

 あの人を、この手で殺すために。


──荒廃した幽霊都市にただ一体、アンドロイドは徒然と佇んでいる。





最終爆撃まで三日。

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