囚人B

Goat

1


 地を這うサイレンは怪物の唸り声だ。

 腹の底から突き上げるような轟音と、夜の雲まで伸びたサーチライトは遠目から見るとまるで何かの祭典のように思える。


「いいね。乱痴気騒ぎは宴の華だ。そうだろう?」


 動乱の渦中、囚人服を着た一人の男が呟いた。


 何百人の警備兵が血眼になって男を探している。

 だが、誰も彼の存在に気が付かない。

 気が付けない、といった方が正しいかもしれない。

 機械化した身体は常人の数十倍の拡張性を持つが、逆にハックしてしまえば肉眼で見えるはずのものも見えなくなる。

 人間、結局頼れるのは自分の五体だとつくづく思う。


機械狂いフリークのバグ共が。ハッ、滑稽だな」


 侮蔑たっぷりにせせら笑うと、囚われの身であるはずの男は悠々と人波をかき分けて進んでいく。


 ──探せ!!草の根を分けても探せ!!絶対に逃がすな!!


 高台、バッジを沢山つけた偉丈夫の怒号が響く。恐らく上官のような存在だろう。

 太く低い声に合わせて、荒波のような無数の足音が慌ただしく動く。

 その様はさながら不格好な喜歌劇だ。

 指揮者の指示に合わせて、右へ、左へ。

 舞台の上で踊る傀儡くぐつたちには、観客である男の姿は見えていない。

 “意識の外側”にいる目標を、誰一人として観測できない。

 やがて、男は遥かそびえる塀の上に立つ。

 混沌とした収容所を見下ろして、男は再び嗤った。


「さて、レイ。この三文芝居に幕を下ろそう」


 髪を掻きあげて、男は言う。

 返事はない。ただ、風の音だけが在る。

 男の近くには誰もいないのだから、この静寂は然るべき現象だ。


 ──だが、そんな空白Blankの中にも魂は存在する。


「オーケー、ロイ。今、彼らを見えるようにしてやる」


 男の中に在る、“二つ目の意識”が確かに言葉を紡いだ。

 かつて双子だった彼らは、今や一つの身体に相乗りしている。

 一心同体ならぬ二心同体だ。


 ──いたぞ!!あそこだ!!あそこを照らせ!!


 当てもなく空を彷徨っていたスポットが男に向けられる。

 おびただしい白光は一点に集約されて、夜闇の背景幕にハッキリと男を浮かび上がらせる。

 間抜けなエキストラから愚かな観衆と化した警備兵たちの視線は、一つ残らず頭上へと誘導される。


 ──瞬間、観客は演者へと変わる。


「さらばだ!!願わくば、もう二度と出会わないことを祈るよ!!」


 仰々しく腕を回して、お辞儀をする。

 これにてお仕舞い。その意図は一瞬で伝播する。


 ──撃て!!撃て!!


 急いた上官の合図を皮切りに機銃による一斉掃射が始まる。

 銃声は、まるで終幕の拍手のようにけたたましく鳴った。


「後は頼んだよ、レイ。僕の気はもう済んだ」


 飛び交う銃弾から身を隠しながら、男は言った。

 瞬き程の短い時間の後、身体の主導権が移り変わる。


「は?オイオイ、オイオイ・・!!大見得切るなら最後までやり切れよ・・!後始末する俺の身にもなってみやがれってんだ・・・!」


「?おかしなことを言うね。僕の身体は君の身体じゃないか」


「あーうるせェ、黙ってろ・・!!」


 男は素早い身のこなしで塀から飛び降りると、ロックされた錆色の扉に手をかざす。

 頑強な電子錠で守られていて、職員の認証がなければ開くことはない。


「──っし。開いた」


 しかし、彼らの前では網戸も同然だった。


「流石はレイ!!手際の良さに惚れ惚れしちゃうよ」


「気が散るからマジで静かにしててくれ・・!!頭に響く!!セキュリティの解除は結構神経使うンだ・・!」


「はっはっは、愉快」


「ぶっ殺すぞ、テメェ・・!?」


 出口へ続く廊下に響くのは一人分の足音と、一人分の声だけ。

 しかし、システムは意識データに紐づいたタグを認識し、あくまで機械的な判断を下した。


 ──被験者二名、逃走。

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