3


 地面に顔を押し付けられる。

 もうピクリとも動けないのなんて誰が見ても明らかだろうに、僕を押さえつける力は際限なく強くなっていく。数十対の腕たちは、楔のように僕を縛り付ける。


「放せ!放せよ!クソッ!!放せェェェ!!!」


 横でニィハが抵抗を続けている。

 サイレンと喧騒の中でも、彼の怒号は際立って響いていた。


「担架を回せ!早くしろ!」


「消火隊はまだ来ないのか!?」


「あぁぁ、どうして、どうしてこんなひどいことが・・・」


「避難だ!避難!ここから離れろ!!」


 街は阿鼻叫喚の様相を呈している。


 遠くで上がる火柱は、かなり離れている僕の頬すらもチリチリと焼く。あんなものに至近距離で襲われたら助かるはずがない。人なんか一瞬で燃えてしまう。


 僕はされるがままに組み伏せられる。

 いっそ、押しつぶしてほしかった。そうすれば僕はもう何も見なくて済む。

どこで間違えたんだろうか。

 こんなはずじゃなかった。死人は出ないはずだった。


 僕たちはただ、僕たちを知ってもらおうとしただけだったのに。




 革命は、失敗した。


「・・・現状、確認できているだけで死者20人、負傷者52人、建物三棟が全焼・・、というより爆発。二次被害も甚大と。まあ、大惨事だわな」


 黒いロングコートに身を包んだ大男が目の前に立っていた。男はゆっくりと膝をつき、腰を屈め、生気のない眼で僕たちを覗き込んでくる。

 死神だ、と思った。罪を犯した僕たちを裁きに来たのだ。


「あぁ?なんだよテメェは!!ぶっ殺すぞ!!!」


「おい、こいつを少し黙らせろ」


「はッ」


 男は取り巻きに言う。短い返事の後、ニィハは大勢に殴られる。


「──!!!」


 強く掴まれた喉から声は出ない。僕は見ていることしか出来ない。

 ものの数十秒で、ニィハは抵抗の意志を無くしてしまった。だらしなく開いた口から、唾液と血の混合物が糸を引いて落ちる。


「・・・ぁぁ」


 その様子を満足そうに見届けると、大男は再び僕らを覗き込み、ゆっくりと言った。


「小僧。お前ら、いっぱい人殺しちゃったな。どうするよ?」


「・・・・!!」


「・・・くそっ」


 一番、言ってほしくなかった現実を突きつけられる。それはニィハも同じだった。

 男は事情を知った風に何度も頷いた。


「あー、そうだな、うんうんうん。どうするって聞かれても困るか。困るよな。だって、そんなの償うしかないもんな、それしかできないよな?うんうんうん」


 男はおもむろに僕の髪を掴んで、上下左右に乱暴に引っ張る。

 何度も頭を地面に打ちつけられる。


「おい・・、やめろ・・。殴るんなら、おれにしやがれ・・、くそ」


 ニィハが力ない声で言う。いつもからは想像できないほど弱弱しい。


「なぁ、ケジメってのはスゴク、至極大事だ、若きテロリストよ。オモチャで遊び終わったら片付けをしなきゃいけないように、人を殺したら殺されなきゃいけない。それがケジメ、道理ってもんだ。そうだろ?ん?違うか?」


 ドロリと熱いものが額を伝う。頭から流れた血が目に入って、視界が赤く濁った。


「さしずめ、お前らは毒虫だ。下層の連中はみんな自我のねェウジ虫みたいなもんだが、たまに突然変異が生まれるんだよ。意志をもって反抗してくる人間のフリしたやつがな」


 男は僕の髪から手を離す。顎を強かに打って、口の中に血の味が広がる。


「俺は虫が嫌いだからな。今すぐにでも潰してやりたいところなんだが、どうもそうはいかないらしい。世の中には解剖と研究が趣味の変態もいてな。お前らみたいな異物を欲しがってる奴らがいるんだよ」


「・・?何が言いてぇんだ」


 男の口元にいやらしい笑みが浮かんだ。


「喜べ。お前たちには選択肢がある。実験体として無様に生き恥を晒すか、ここで反逆者として死ぬか。どっちでもいいぞ、好きな方を選べ」


「・・・実験体?どういうことだ、それは」


 ニィハが尋ねる。

 男はニィハを思いっきり殴る。


「っは・・!!」


「うむ、何か勘違いをしているようだが。オレは生きるか死ぬか選べ、と言ったんだ。それ以外の答えは求めていないし、許していない。いつまでも好き勝手生きれると思うなよ?これがお前たちの最後の自由だ」


 気付くと喧騒が静まっていた。

 避難が完了したのだろうか、ギャラリーは全て消えていた。


「・・・生きたとして、オレに自由はあるのか・・?」


 だから、ニィハが発した細い声も聞き取ることが出来た。


「おいおい、マジか。話聞いてなかったのかこいつは。・・・ま、いっか。えっと?何だっけ?生きたら自由はあるのか、だって?」


 男はニィハの顔に唾を吐きかける。


「あるわけねェだろ、そんなもん」


 ニィハの頬を伝って液体が地面に落ちた。


「・・・なら、殺せ」


「オーケーオーケー。彼はここで死にたいらしい。さて、もう一人。お前はどうする?死ぬ?生きる?どっちにする?」


「・・・!」


 僕は精一杯顔を動かしてニィハを見る。


 死ぬのは怖い。けど、ニィハがそう決めたなら僕もそうしたい。

 僕たちはずっと一緒だ。

 だから、僕は彼に幕を引いて欲しかった。

 最期まで一緒に行こうと、そう言ってほしかった。


「・・・」


 ニィハは、もう僕のことを見なかった。


「・・・はい、時間切れ。そしたらオレが勝手に決めちゃおうか。えーっと、君は生きる!はい、決定!じゃあ、もう一人、バイバイ!」


 ──え?


 無慈悲な銃声が一発だけ響く。

 ニィハだった肉体が、人形のように地面に倒れこむ。

 飛び散った体液が、僕の顔を濡らした。


「いやぁ、実はさ。一人は生かして持って来るように言われてたんだわ。試したい実験があるとかなんとかでさ!あの暴れん坊が生きるって言ってれば君を殺したところだったけど、まあ、殺せって頼まれたら期待に応えるしかないわな。ははっ」


 男はぺらぺらと言葉を発している。だが、何も聞き取れない。

 死んだ。ニィハが死んだ。

 もう喋らない。価値のない肉塊になり果ててしまった。

 あまりに、あっけなさすぎる。


「よし、連れていけ」


 芋虫のように引きずられて、僕はどこかへ連れていかれた。

 視界から消えるその時まで、ニィハはもうピクリとも動かなかった。

 涙は、出なかった。

 あろうことか、僕は安堵していたのだ。

 死ななくてよかった、と。





「この国は狂っている!特権階級だけが得をして、下層の人間はまるで人として扱われていない。ほとんどが名前すら与えられずに、自身の不自由にすら気付かずに死んでゆく。これが正しい国の姿であっていいはずがない!」


 セブの声が響く。眩しいくらいの言葉が、次々と舞台に並べられる。


「・・・」


「だから、僕たちが変えなければいけない。名前持ちの僕たちが反旗を翻さなければ、現状は何も変わらない」


「・・・」


「貴方が必要です。下層から這い上がり、この腐った国に一矢報いた英雄である貴方が」


「・・・英雄」


英雄と、セブは私のことをそう呼んだ。


「貴方は僕たちの希望だ」


「・・・」


 セブは本気だった。本気で私を革命を志すヒーローだと思っている。

 そんなわけないだろ。僕はただ選べなかっただけなんだ。

 何も、自分で決められない。動く意志がない。

 親友の死を見て安心するような、どうしようもない屑だ。


「・・・私は、僕はそんな大層な人間じゃない。ただ生き残ってしまっただけの木偶だ。身体を改造されて、飼われることに慣れているような、そんな自由のない家畜だ」


 英雄なら、ニィハなら、もっと強く生きているはずなんだ。


「違います」


「・・・え?」


 一切の躊躇なく、セブは言い切った。


「大切なのは、生きているということです。例え飼われていようが、買われていようが、それでもいい。慣れてしまっていたとしても、生きていればそれだけでいいんです」


 彼は立ち上がって舞台に登る。


「人間なんてそんなものです。みんなが強いわけじゃない。だからこそ、弱さを補い合って進んでいくんです。喜びも辛さも分け合って生きていくんです」


 下手から上手へ、太陽の登るほうへと彼は歩く。

 光へ、正義へ、自由へと進んでいく。


「貴方は貴方のままでいい。一緒に自由を手に入れましょう。僕たちならばきっとできるはずだ」


 ──心が解けた気がした。


 私は、私のままでいい。その言葉をずっと欲していた。

 他の誰でもない、自分を求める言葉。

 彼らは私を、僕を、欲している。


「・・・三日後、秘密集会があります。日付が変わる瞬間、ここで会いましょう。形式だけですが、そこで婚姻の儀を交わします。そうすれば晴れて我々の一員です」


 セブは舞台から降りて、出口へと向かっていく。


「セブ!」


 私はその背中を呼び止めた。


「ありがとう」


 心からの感謝だった。私の迷いを、苦しみを解いてくれた。

 セブはニカリとはにかむ。ニィハそっくりの笑顔だった。


「仲間も、貴方を待っています」


 約束ですよ、とそれだけ言い残して彼は消えた。

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