旅立ちと出会い
玄関から外へ出ると師匠が軒下で湯呑み片手に月を見上げていた。釣られて空を見上げると綺麗な三日月が夜空を照らしている。
「もう行くのか?」
外へ出てきた俺に気付き師匠が声をかけてくる。
「……誰のせいだと思っているんですか」
そんな師匠を半眼で睨み、呆れ声を隠さずに言った。
時刻は日付が変わって少し経った頃。始業式は今日だ。のんびりしていたら確実に間に合わない。
だから余裕を持ってすぐに出発することを選んだ。
「ははは。まあお前なら大丈夫だろうよ。……ほらよ」
師匠は和装の袖から何かを取り出し、こちらへ放り投げてきた。
小さいなにかが弧を描いて宙を舞う。それは月光を反射してキラキラと煌めいていた。
あぶなげなく受け取ると手に収まった何かを見た。
「これは?」
手を広げて視線を落とすと鴉の意匠を凝らした指輪があった。鴉と言ってもその足は三本あり、日本神話に登場する導きの神『八咫烏』のものだ。
「オレの弟子である証だ。それを持っている事は他言無用な。まぁ付けていても他人には見えないようになってるからわざわざ言わなければ気付かれないがな」
「わかりました。……でもこんな小さな物にまで魔術って掛けられるんですね」
指輪を右手の中指に着けると月に翳した。
なんの金属を使っているのかはわからないが、おそらく魔力との親和性が高い魔鉱石の一種だろう。
「オレ特製だからな」
師匠に言われるとなんでもありな気がしてならない。
だが気になる事もある。
「でも何のために?」
他人に見えないのであればつけている意味も無い様に思えた。
なにかの魔術が封じられていて、任意のタイミングで解放できる攻撃系の魔導具だという事なら装備している事を隠すためという理由で納得できる。
しかし師匠は攻撃系の魔導具とは言わなかった。
「他人と言ってもソレを持ってないやつらだ」
ということは指輪の所有者同士はわかると言う事か。すこし考えれば答えはすぐに出た。
「……つまり師匠の弟子を見分ける為……ですか?」
「そうだ。それを持っているやつに会ったら先入観を捨ててまずは話を聞け。相手が困っているのならできる範囲で力を貸してやれ。逆も然りだ」
「わかりました。それにしても師匠の弟子って結構多いんですか?」
この隠れ家に来てから外の人間とは会っていない。しかしこんなものを用意しているぐらいだから弟子はそれなりにいるのだろう。
だがそうだとしたら、その全員が地獄のような修行を切り抜けた強者達だ。敵に回れば大きな障害になるだろう。
そう考えると指輪はとてもありがたかった。少なくとも一度は説得の機会がある。と思って聞いたのだが。
「いいや。生きているのはお前を除いて一人だ」
盛大に溜息をついた。これでは会わない可能性の方が大きい。
ならばいずれ弟弟子が増えた時のための保険という意味合いかと納得する事にした。
「……まぁありがたく受け取っておきます。では師匠」
一度言葉を切ると深々と頭を下げた。
「約二年半ですがお世話になりました。鍛えてくれた事はもちろん、命を救ってくれた事にも感謝しています。本当にありがとうございました」
俺は師匠に救われた。それだけではなく戦う為の力も貰った。俺にとって師匠はまさに導きの神。言ってしまえば指輪の意匠にある八咫烏のような存在だ。
これから進む道は復讐の道。過酷で困難な道だ。決して褒められた物じゃない。しかしやると決めた。師匠に貰ったこの力で必ずやり遂げる。
……墓参りは全て成し遂げてからだ。そうじゃなきゃ和樹に……家族に顔向けできないからな。
師匠からは既に施設のみんなが眠っている場所は聞いている。行こうとすればすぐにでも行ける距離だ。
しかしまだその時じゃない。やるべき事をなにもしていない。きっとみんなは復讐の道なんて望まない。そんなことはわかっている。
だがここで辞めたら前に進めない。その選択を死ぬまで、いや死んでからでも後悔し続けるだろう。
だからこれは自分の為の戦いだ。決してみんなのためじゃない。
みんなのせいなんかには決してしない。してはいけない。
「おう。お前ならできるよ。行ってこい」
師匠は言葉少なにそう口にした。
「はい!」
そうして俺は約二年半を暮らした隠れ家から旅立った。
時刻は午前七時。
師匠から渡された紙には入学式は九時からと書いてあった。集合時間は八時半だ。
これから住むことになるのは師匠の知人の家らしい。家主に挨拶をして、身支度をしてと考えるとそれほど時間的猶予はない。
……ないんだけどなぁ。
手に持っている地図と目の前にある家を見比べながら唸る。
「これ合ってるのかなぁ?」
目の前に立っている家はまさしく豪邸。それも歴史を感じさせる武家屋敷だ。土地面積なんてどれほどあるのか検討もつかない。
なにせ門を見つける為にも結構な距離を歩いたぐらいだ。
問題は師匠からもらった地図だ。
地図には簡潔な情報しか書かれておらず、そこがアパートなのか団地なのか詳しい情報は何一つない。
どれほど簡素かと言うと道を示す数本の線と目的地を示す星印しかないのである。
これを果たして地図と呼んでいいのかすら疑問に思う。
一応門には呼び鈴が付いている。
当然使い方もわかっている。これを押すだけで家主に会えるのだ。呼び鈴を押して要件を伝えるだけ。もし間違っていたら他を当たればいいだけの話だ。
しかしそのチャイムを押すことを躊躇っていた。
簡単に言うと豪邸を目の前にして尻込みしていた。
施設育ちだしつい数時間前まで山で暮らしていた根っからの庶民だ。こんな豪邸と関わり合いになるとは思っていなかった。
……なるべく鳴らさないでいい道をとりたい。
そんな心理になっても仕方がないだろう。
しかしいくら地図を見ようとここ以外考えられない。
そんなことをしている間に無常にも時間は刻一刻と進んでいく。
数分悩んだ末に意を決して呼び鈴を鳴らそうとした。その時、背後から声をかけられた。
「あの。ウチに何か御用でしょうか」
人の気配には気付いていた。
早い時間のため、人通りは少なかったがないわけではない。それに加えて敵意を持ったものでもなかったので気にしないでいたのだ。
しかしまさか自分が声をかけられるとは思っていなかった為、慌てて振り返った。
するとそこには――。
――天使がいた。
日本人離れした美貌。宝石のような瞳。腰まである髪は真っ白で陽の光を反射してキラキラと輝く雪原のよう。キメの細かい肌は髪と同じで真っ白だ。
年齢は同じか少し下だろうか。美しい顔立ちながらもすこし幼さが残っている。
身長は俺より頭ひとつ分ほど低い。
そんな白い少女はいままで走っていたのかジャージ姿で頬は少し上気して朱が差していた。
「あの?」
少女は額の汗を拭いながら困ったようにこちらを見ている。
そんな少女を見ていると胸の奥になにやら温かなモノが灯った。どこか懐かしく郷愁を感じさせる何か。それがなんなのかわからない。けれどとても大事な物だと感じた。
……なんだこれ?
自分のよくわからない感情に困惑していると「あの!」と少女が語気を強めて言った。
俺は慌てて咳払いをすると、持っていた紙を少女に見せた。
「すみません。少しお聞きしたいんですが、ここってこの場所であっていますか?」
少女は紙に視線を走らせると頷いた。
「……はい。簡素なものなので確実ではありませんがおそらく。しかしどのような御用件でしょうか?」
急に少女の声音が冷めたものに変わった。警戒されているのが丸わかりだ。
それは当然の反応だろう。
なにせ知らない男が、わざわざ地図を持って訪ねてきたのだ。
目の前にある武家屋敷は控えめに言っても豪邸。怪しい輩を警戒するのは当然だ。
だが、ここで怖気付くわけにはいかない。
「実は師匠にここを訪れるように言われていて……」
「師匠? 失礼ですが、ここがどのような場所なのかご存知ですか?」
少女は眉を顰めながら問う。
どのような場所。そう言われても答えられない。強いて言うなら豪邸か。しかしそんな事を聞きたいわけではないだろう。
なにせまともな説明もなく送り出されたのだ。とりあえず行けと言われて来ただけ。答えられるわけがない。
しかしそれをどう説明したものかと考えていたのだが、それがまずかった。
即答できない俺に不信感を抱いたのか少女が眉を一層顰めた。
なのでまずいと思い、素直に白状することにした。
「……実は詳しい説明を受けていなくて」
「そうですか。ではお引き取り下さい。ここは『一般人』が来るような場所ではありません」
ピシャリと少女が言い放つ。問答など無用。そんな雰囲気を少女は纏っていた。
当の俺はと言うと「一般人」と聞いてピンときた。
どのような場所という意味合いについて、勘違いしていた事を悟った。
走っている時は腰に愛刀を差していたので、とても「一般人」には見えなかったのだが、東京に入ってからは人が増えたのでしかたなくリュックの中に押し込んでいる。
そのため俺の見た目は和装の「一般人」だ。
「失礼しました。どのような場所という意味を勘違いしていました」
周囲に視線を走らせると共に周囲の気配を探り誰もいないことを確認し小さくつぶやく。
「……『白帝』」
呼びかけに応じ、手の中に白銀の刀『白帝』が顕現した。
それはどうみても「一般人」が行える事ではない。
つまり少女が言っていた「どのような場所か」というのは魔術を知っているのかどうかだ。
少女は目を見開くと、頭を下げた。
「こちらこそ申し訳ございません。当主に取り次ぎます。ついてきて下さい」
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