餞別

 結局のところ、修行を開始した日から師匠が放つ殺意の中で体を動かせるようになるまで一週間掛かった。体を動かすと言っても指先が少し動くとかその程度。

 まともに刀を交えられるようになったのはそこからさらに一ヶ月。

 師匠によるとペースはかなり早いらしいが、力量差は微塵も埋まらなかった。

 

――強くなっている気がしない。


 そう思った。

 師匠はいわば巨大な壁だ。それも天辺が見えないぐらい巨大な壁。断崖絶壁の下に立っているかのような感覚だった。

 力量差がありすぎて計ることすら烏滸がましい。

 しかし折れる事は許されない。そんなことをしたら死んでいった家族に顔向けできない。

 だからひたすらに努力した。血反吐を吐きながらも刀を振り続けた。


 師匠との修行は至ってシンプル。実戦だ。気絶するまでただただ戦い続ける。一時も気を抜けない極限状態。

 休みなんてない。雨が降ろうが雪が降ろうが、たとえ雷が降ってこようが戦い続けた。

 その他の事はまったくしていない。

 師匠曰く、実戦が一番伸びる。との事だ。

 それは正しく地獄の日々だった。死にかけた回数は数え切れない。さすがに首を斬られた時には本気でもうダメかと思った。

 噴水のように血が噴き出して、血の気が引いていく感覚は今でも忘れられない。

 しかしそんな深傷を負っても、なんとか生き抜いた。

 聞いたところによると師匠が回復魔術を使ったのだとか。だが回復魔術も万能ではなく死んだら元も子もないらしい。

 魂がどうたらと説明を受けたが、何を言っているのかまるで分からなかった。

 だから当然のように気を抜く事は許されない。師匠が回復魔術を使う時は俺が致命傷を負った時のみだが、即死の場合は意味がない。

 師匠との実戦で気を抜いていたら即死だ。


 毎日が過酷という言葉では生温い日々だった。その甲斐もあり、俺はメキメキと力をつけていった。

 当初の目標通り、半年もする頃には富士の魔境でも生きていけるようにもなった。

 しかしそれは生きられるだけ。

 初めて富士の魔境に叩き込まれた時は死にかけながらもただひたすらに逃げ続けた。腕が取れかけても、脚が折れようとも。

 実際に魔物を殺せるようになるまでは一年を要した。だがそれも一対一の戦闘に限る。二体以上いたら逃げるしかない。

 ともあれそんなこんなで約二年半が経過した四月初めの夜、俺はは師匠に呼び出された。


 師匠の部屋に赴きノックをしながら声をかける。


「師匠。どうしました?」

「来たか。とりあえず入れ」


 部屋に入ると師匠は胡坐をかいて座っていた。いつもと同じ和装姿。漆黒の髪や黒曜石の瞳は初めて出会った時と変わっていない。

 しかし纏っている雰囲気がいつもと違った。いつもの刺すようなものではなく少しだけ柔らかい。

 そこに少し嫌な予感がしてしまったのは師匠の日ごろの行いという物だろう。こう言う時はいつも無理難題を押し付けられる。


「そんな身構えるなよ。まずは座れ」

「……そう言っていきなり斬りかかるのが師匠ですからね」


 つい小言を溢した。ここに来たばかりの頃は何度も引っかかったのが懐かしい。


――常在戦場。


 世の中なにが起こるか分からない。だから何が起きても対応できるようにしておく。そう教わった。

 だからため息をつきながらも当然の様に警戒は解かずに師匠の前に置いてあった座布団に座った。


「まあそう教え込んだんだから仕方ないか……まあいい。それで早速本題だが……」


 師匠は一度言葉を区切ると、再度口を開いた。

 

「刀至。お前は学園に通え」

「………………なんて?」


 たっぷり五秒ほど間を開けて口から出たのはそんな言葉。

 いつも突拍子もない事を言う師匠だが、それにしてもこれはあまりに無茶苦茶だと思った。


「だから学園に行け」

「いやちゃんと聞こえていましたよ。でも師匠。俺は普通の生活には戻れないのでは?」

「ああそうだ。そこは心配するな。手は打ってある。それに学園と言っても普通の学園じゃないからな」

「普通の学園じゃない?」

「国立弥栄いやさか学園。聞いたことはあるか?」


 国立弥栄学園。

 その名前は聞いたことがあった。

 名門中の名門。東京でも珍しい小中高一貫の学園だ。転入する人は数十年に一人ぐらいで一般受験では入れないらしい。生徒は全て弥栄学園側からのスカウトで入学できると噂のあった不思議な学園だ。


「あのエリート校ですか?」

「表向きはな。別名、魔術学園。表は金持ちの子供が通う学校で通っているが裏では魔術師を育成する機関だ」


 唖然とした。そんな身近に魔術師の学園があるとは思いもしなかった。そしてその真実を今になって知ることになるとは。


「しかしなぜ俺が? 今更じゃないですか。それに師匠に教えてもらった方が強くなれる」


 学園というからには師匠みたいな教える立場の人間がいるのだろう。

 しかしその教師が師匠より強いなんて保証はない。それどころかあり得ない。

 世界に五人の超越者。それに勝てる人間など師匠を除けばそれこそ超越者の中にしかいないだろう。

 師匠から聞いた話によると日本に超越者はいない。だから学園に超越者と同格の存在はいないのだ。それでは足りない。ならば学園なんて通わずにこのまま師匠に鍛えてもらったほうが強くなれる。


「強さだけならな。刀至。この世界には大切な物が三つある。少なくともオレはそう思っている。それが何だかわかるか?」


 顎に手を当てて考える。

 一つは簡単にわかる。力だ。力が無ければ大切なものが守れない。たとえそれが人を殺す力であっても大切な物を守るためには必要なのだ。

 それはあの事件で身に染みてわかっている。

 

――力の伴わない理想なんて物はただの虚構だ


 師匠は常日頃からそう言っていた。俺もそう思う。


「力です」

「そうだ。この世界じゃ力が無ければ我を通せない。では二つ目は?」


 二つ目はおそらくだが命。命あっての物種とはよく言った物だ。生きていなければ何もできない。


――最後まで諦めるな。死地の中にこそ活路はある。勝たなくていいんだ。生き残る事だけを考えろ。


 俺が死にかけた時、師匠は必ず生き残れと言った。ならば命と考える事は別におかしくないだろう。


「命ですか?」

「正解。死んだら今まで積み重ねてきた努力は全て無になる。ならば地べたを這いずってでも生きるべきだ。さて三つ目は? ……しかしこれはお前には難しいだろうな」


 師匠の言い方にムッとした。これでも約二年半真面目にやってきたつもりだ。師匠の教えには真摯に向き合ったと自負している。だから真剣に考えた。

 いつもは戦闘に使っている脳を精一杯振り絞って。

 しかしいくら頭を捻ろうとも自信のある答えには辿り着けなかった。

 だが師匠は親が子に見せるような柔らかな笑顔で微笑んだ。


「今はそれでいい。でもこれは自分で見つけなきゃいけない物だ。それが分かればお前はもっと強くなれる」

「学園に行けばそれがわかると?」

「保証は出来ないけどな。でもお前なら必ず見つけられるよ。オレはそう信じている」

「……わかり……ました」


 師匠にそう言われたのならば何がなんでも見つけなければならないと頷いた。


「それと……これは餞別だ」


 そう言って師匠は脇に置いてあった刀袋から二振りの刀を取り出した。


「……これは?」

「銘は『白帝はくてい』と『虚皇ここう』。魔剣だ。お前なら使いこなせるだろう」


 魔剣は貴重だ。魔力が豊富な土地で採掘される魔鉱石から鍛造された剣。製造方法は鍛治師が秘匿しており世には出回らない。師匠から聞いた話だと一振り作るのに数年かかることもあるのだとか。

 それ故に値段も張る。品質の良い物であれば東京の高級住宅街に家が建つほどだ。それも外国の豪邸のような一軒家が。


「魔剣? そんなもの何で俺に?」


 受け取った刀の一振り、『白帝』を鞘から引き抜いた。

 一目見てわかった。これは一級品だと。

 眩いばかりの銀光。尋常ではない気配がする。これは師匠の愛刀である大太刀『冥』に勝るとも劣らない一振りだ。

 試しにもう一振り『虚皇』も鞘から抜く。当然こちらも一級品。

 『虚皇』は黒い刀身をしていた。光すら呑み込む『冥』とは違い妖しげな輝きを発している。不思議な事に『白帝』とは違い、気配は普通の刀と同じだ。普通の刀ではない事は歴然だが。

 そんな正反対の魔剣を二振り。


「お前は俺の修行を生き抜いた。一流の魔術師には一級品を。そうオレは考えている。そしてお前は魔術師ではなく剣士だが間違いなく一流だ」

「でも俺は一度も師匠に勝てていません。それどころか傷一つ付けたこともない。それに今でもかなり手加減をしいるでしょう?」


 師匠が殺す気で俺を鍛えた事は理解していた。

 しかし本気を出した事はついぞなかった。師匠が本気を出せば俺は成す術もなく殺される。

 それだけの力量差が今もなお二人の間にはある。成長した今だからこそ、その事実がはっきりとわかる。

 俺にとって師匠は今もなお断崖絶壁の壁なのだ。

 

「それがわかるだけでも上出来なんだよ」

「これは……そんな俺が受け取っていい代物ではありません」


 その言葉を聞いて師匠は盛大な溜息を吐いた。

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