珠音いろ

今安ロキ

1回表 終わり

Top of 1st inning ―終わり―


 どこまでも広がる青い空。

 遥か上空を飛翔する航空機が、遠方に立ち塞がる入道雲に臆する様子など微塵も見せることなく、どこまでも青いキャンバスに一直線の飛行機雲を描き進んでいく。

「あちぃ」

 澄み渡る天上世界とは対照的な地上ではジメジメと湿気を伴った熱風が通り抜けると、グラウンドに形作られた小高い傾斜の上に立つ少女はたまらず帽子をとり、流れ落ちる汗を袖で拭う。

 垣間見えた肌は香ばしい焼きたてのパンのような濃い目の狐色に焼き上がり、顔立ちは子供以上大人未満といった様子で、成長の過程感じさせる。

「ツーアウト!ランナー一塁、バッター集中!内野1つ、セカンドとショートは2つも考えておけよ!」

 少女は“女房役”の声を受け帽子を被り直すと、先程見せたあどけなさは姿を隠し、勝負師の目付きに戻る。

「プレイ!」

 審判の合図がグラウンドに響き、少女はセットポジションに入る。鋭い眼光を女房の構えたミットへ送り、その指示をジッと確認する。

 一塁ベースからリードをとる走者を警戒しつつゆっくりと右脚を上げて投球動作に入り、振り下ろした左腕から放たれたボールは一直線に進み、女房の構えたミットは乾いた音を鳴らす。

「ストライク!」

 本塁上の切り取られた所定の空間を通過したことが認められ、審判の判定が下される。

 打席に立つ少年は若干不服そうな表情を見せるが、判定が覆ることはない。

「ナイスボール」

 返球を受け、少女は大きく一つ息を吐く。

「(あと、アウト1つ......)」

 昂る鼓動を収めようと呼吸を整え、再び打者へと対する。

 しなやかな投球フォームから続けて投げ出されたボールは鈍い金属音を残した後、勢いの無い打球となって三塁手の前に転がる。

「オーライ!」

 打者は必死の形相で駆け出し、三塁手は何回も重ねて練習した動作を経て少し汚れた白球を一塁手へ送る。

 打者と送球の競争はほぼ同着。

 乾いた破裂音が響くと、一塁後方に立つ審判へグラウンド中の注目が集まる。

「He’s out!」

 打球の勢いが殺されていた分、見ごたえのあった競争は守備側の勝利で終わる。

 勝者は喜びと安堵の笑みを、敗者は悔しさの涙と表情を見せ、本塁付近に集合し向かい合う。

 全力で駆け一塁ベースに頭から飛び込んだ打者は一時的にその場で項垂れるも、ランナーコーチに支えられて列に加わり、審判は双方が全員集まったことを確認する。

「ゲーム!」

 審判の掛け声に合わせ両チームが礼を交わし、互いの健闘を称え合う。

 敗者は去り、勝者は次に進む。

 勝負の世界で当然の理は、敗者には次回への布石を、勝者には自信と栄誉を授け、技量の向上に一役買っている。

「......女のくせに」

 しかし、少年少女たちが炎天下で臨んだ試合は”夏大会”。

 最上級生にとって最後の大会であり、敗北とはそれ即ち終了を指し示す。

 頬に泥を付けた敗者が残した恨み節を、勝者となった少女は気に留める様子も見せずに受け流す。

「珠音、気にすんな」

 汗の染み付いたプロテクターを外し、”女房役”を務めた土浦浩平が水の入ったカップを片手にため息をつく。

「分かっているよ、浩平。いつものことだし」

 珠音と呼ばれた少女―楓山珠音(かえでやまたまね)―は、うだるような暑さにも涼し気な表情を見せる。

 男女比率に圧倒的な偏りがある競技だけに、少数は時に過剰な称賛を集め、ある時は理不尽な物言いを受けることもある。

 年の離れた兄の影響もあり、小学3年生で少年野球チームに加わって以来7年。幾度も浴びせられた数多の評価用語に、珠音は心底呆れる程度まで慣れっ子だった。

「そんなことより、6回くらいからコントロールが甘くなってきていたぞ」

 クールダウンを兼ねた軽いキャッチボールをしながら、自軍を勝利に導いたバッテリーの間で即席の反省会が始まる。

「この前の試合も5回後半から怪しかった」

「はーい、気を付ける。それにしても、もうちょっとだけ涼しくならないものかなぁ」

「曇らない限りは無理だろうな。むしろ、暑くなる一方さ」

 普段の練習通りとはいえ、茹だる様な暑さは若い身体にも負担である。

 テレビでは”環境破壊”だの”四季の喪失”などと言っているが、都市部に程近い海際に生まれてこの方、理想とされる風光明媚な環境など両親の田舎へ帰省した時くらいにしか見ることはできない。

「室内で試合できないかな、ドーム球場みたいな。エアコンの効いた部屋でやってみたい」

「無茶いうな」

 そう返答する浩平も、内心は同じ思いである。

 捕手というポジション柄、他の選手よりも競技中の装備が多く、激しい動きの後となれば身体の中に熱も籠りやすい。

 バスケットボールやバドミントンなど、日頃から体育館で練習している部活動を羨ましく思うことも度々だが、我らが母校はエアコンがようやく設置されたものの能力は心許なく、彼らも結局は籠った空気の元で練習しているらしい。

 隣の芝生は青く見える、ただそれだけのようだ。

 それでも、屋外競技に力を注ぐ人間としては照り付ける日光を浴びる都度、屋根があるだけ羨ましいと思わずにはいられない。

「もうちょっと省エネで投げないと、7イニングもたないぞ」

 中学野球の試合は、通常の規定回数である9イニングより2イニング少なく、1試合7イニング制で行われる。

 それでも、選手たちは2時間近く遮蔽物の少ないグラウンドに立ち続けることとなり、成長期とはいえ体力の消耗は激しい。

「分かってるよ、ただでさえ”キャパ”が小さいんだから」

 珠音は若干拗ねたように返事と共に少し強めにボールを投げ返すと、浩平は苦笑いを浮かべながら受け取り、そのまま無言で返球する。

 無言のキャッチボールは監督に呼ばれるまで続けられた。



 男女差を強く感じるようになったのは、自分より小さかった男子部員たちに身長を追い抜かれた始めた頃だっただろうか。

 児童期における身体の成長において、一般的に女子児童は男子児童よりも2年ほど早く成長すると言われている。

 珠音が地元の少年野球チームに参加するようになったのは小学3年生。

 浩平を始め、チームメイトの内数人とはその当時からの腐れ縁ではあるが、周囲の男子勢は当時こそ同程度で、小学校高学年の頃には少し見下ろしていた身長も、成長期真っただ中の今となっては10cm程度差を付けられてしまっている。

 一方の自身はと言えば身長の伸びはほぼほぼ止まり、チームメイトの殆どを見上げるようになっている。

 代わりにと言わんばかりに大きくなる臀部に着実な成長の痕跡を残すが、当人の心境としてはどうせだったら胸部の成長を期待しつつ、同時に投球動作の邪魔になることも懸念している。

「腹立たしい。ついこの前までは私よりも小っちゃかったくせに」

「いつの話だよ」

 自分の悩みなど知らぬ存ぜぬと言わんばかり、憎き男子チームメイトの代表格たる浩平は春の身体測定で176cmをたたき出し、目下15cmの差を付けられた珠音は悔しさのあまり脛蹴りした挙句に悪態をつき、せめてもの抵抗としてしばらくチョンマゲを結わえていた。

「そういや、また身長伸びたわ」

「はっ!?」

 試合帰りのバス、前方に座る大きな背中から放たれた衝撃的な一言に、珠音は手に持っていたスポーツドリンクを下に落としかける。

「な、何cm!?」

「2cm」

「腹立たしい、実に腹立たしい。3cmよこせ!」

 後背に位置する優勢を活かし、大きな標的をポカポカと叩く。

「痛てぇよ、そして何でだよ!元の身長より小さくなってるじゃねぇか!」

「178cmなんて微妙じゃん。3cm縮めば175cmで切りもいいし、四捨五入しても同じ180cmだから問題ないっしょ」

「大ありだわ。というか、お前こそ俺に2cmよこせ。そうすれば俺は正真正銘180cmになれる」

 後ろを振り返り、浩平は悪戯な笑みを見せる。

「冗談じゃない!」

 浩平の表情とは反対に、珠音は真剣な表情を見せて反論する。

「私から2cm”も”奪い取られたら160cm切っちゃうじゃん!」

「四捨五入したら159cmだって160cmになるんだから、問題ないだろ」

 珠音のセリフを引用した返答に、浩平はしてやったりとでもいった表情を見せる。

「乙女の1cmと猿の1cmじゃ価値が全然違うんだから、3...いや、5cmくれたってお釣りが来るよ」

「へいへい。まぁ、まだ身長は”止まって”いないんだろ」

「まぁ、一時期の勢いはないけど、慎ましく伸びているよ」

「なら大丈夫さ」

 浩平の言葉を受けると、珠音は何も返答せず、窓の外―それも遠くの方―へ愁いを帯びた視線を送る。

「.....まだ悩んでいるのか?」

「そりゃねぇ」

 珠音は深いため息をつく。

 付き合いの長いチームメイトから伊達に”老夫婦”と言われるほどの腐れ縁である。浩平は古女房として、”旦那”の抱える悩みの種は熟知しているつもりだ。

「先のことなんて、そうそう考えられないよ」

 中学3年生の夏。部活動も最終盤を迎え、どんなに勝ち進んだとしても夏大会の終了はそれ即ち受験勉強の本格的な始まりを意味する。

 無論、既に学習塾に通い詰める友人を珠音も知っているが、当人はそれには当てはまらない。

「でも、誘いもあったんだろ?」

「そうなんだけど......まったく、桜井先生も余計なお世話をしてくれたなぁ」

 珠音はただ高校への進路で悩んでいるのではない。

 自分が志望する可能性のある学校になら難なく合格できる程度の学力は有しており、問題となるのは部活動の方面である。

「どんな進路を選んでも、俺は応援するよ」

「......簡単に言ってくれちゃって」

 珠音は深く溜め息をつく。

 進学後は硬式野球の世界への挑戦を希望しているが、その障害が大きいことも十分に理解している。

 プロ、アマチュアを含め、”野球界”では唯一、高校野球のみ女子選手の公式戦出場を禁止している。

 理由は明示されていないが、選手としてのフィジカル面の課題で間違いはない。

 事実、大学や社会人リーグでは女子選手の出場記録が数例残ってはいるものの、実力差は成績としてハッキリと現れている。

 ”プロ”と呼ばれる世界では、独立リーグチームへの入団時にこそ大きく話題になったものの、成績を残せないまま後に続く者は現れておらず、トップリーグでは未だに女性選手は誕生してない。

 他の競技においても時折女子のトップ選手が男子の大会に参加することもあるが、なかなか優れた結果を伴わないでいる。

 キャリアが進めば進むほど、男女間で体格や身体能力の差が大きなハンディキャップとなっている。

「この前、先生に教えてもらった高校のソフトボール部を見てきた」

「ほぅ、で?」

 高校野球でも硬式や軟式を問わず女子野球部は少数ながら存在しているが、所在地が離れていることが大抵である。

通学に難があるだけでなく、野球部間の交流や練習試合の機会自体が限られてしまう。

 そのため、高校進学を機に競技形式の最も近いソフトボールを始め、その他の競技に転向する選手も多い。

 珠音は野球部引退後の進路について当然のように顧問の桜井へ相談していたが、彼女も例に漏れず、本人の希望とは裏腹に他の競技への転向を強く勧められてしまった。

 事実として珠音の身体能力は同世代”女子”の中では有望と言えるレベルであり、転向を勧める気持ちも分からない訳ではない。

 正直、軽く背中を押して欲しかっただけだった珠音にとって、かえって悩みを大きくする悪手となってしまった。

「すごく活気があって、実力も見て分かるくらいに高かった」

 本人としては悩みを抱えた少年少女を導くための善意のつもりだったのだろうが、相談を受けた顧問は話を聞くだけに留まらず、近隣有力校へ練習見学のアポイントメントまで取っていた。

「でも、何か違うんだよなぁ」

 20代中盤で信念と情熱に燃える熱血教員だけに無下にもできず、半ば押し切られる形で見学することにしたが、野球よりも小さなグラウンドで大きなボールを操り、国際大会でも優秀な成績を収めた競技に、関心こそすれ心を大きく揺さぶられることはなかった。

「多分、途中で野球がやりたくなっちゃうかな」

 似ているだけに、かえって諦められなくなってしまうかもしれない。

「そうなるくらいだったら、いっそのこと他の競技にするよ」

「へー、となると?」

「水泳とか、陸上とかかなぁ。バドミントンも好きだし、バレーボールやったら身長がまだまだ伸びそうだなぁ」

 2人の脳裏に、別の競技に励む珠音の姿が浮かぶ。どの姿も中々様になっており、それなりの成果を残しそうなものではあったが、どこか決定打となるものが欠けているように思える。

「ま、暫くは考える余裕もあるしね」

 車窓から見える景色は、会話している内に見慣れたものへと変わっていた。

 最寄りの停留所が案内され、珠音は降車ボタンを押す。

「浩平は?」

 珠音の視線が、真っすぐと浩平を捉える

「続けるよ」

「そっか」

 珠音は浩平の簡潔な返答に満足した様子と幾許かの羨ましさを見せる。

「あー...」

 浩平が何かを言おうとしたタイミングでバスが停留所に止まり、珠音が立ち上がる。

「そんじゃ、また明日ね」

 夏大会の2回戦が行われたこの日は土曜日。大会期間中であることなど関係なく、野球部に休みは殆ど無い。次戦は翌週の土曜日を予定している。

 西日に照らされた珠音の表情は、いつもより数倍明るく見える。

「珠音」

「何?」

 そのまま降りようとした背中を、浩平が呼び止める。

「色々考えることが多くて大変だろうけど、今は今を後から後悔しないように頑張ろうな」

 浩平が右手を握りしめ、珠音へ差し出す。

「もちろんそのつもりだよ、後悔なんか絶対にしたくないもん!」

 珠音もそれに応え、右手を同様に差し出す。

 少年野球でバッテリーを組むようになって以来、このグータッチは幾度も交わしてきた儀式だ。

 確実に訪れる変化の時は、目の前まで迫っている。

 2人は少しでも長く変わらぬ日々が続くようにと、儀式に願いを込めた。



 終わりや区切りというものはこうもあっけないものかと、珠音は天を仰ぎ見て思案する。

 あれ程待ちわびた、やや涼しく日照りのない曇り空に恵まれた気候も、ただどんよりと浮かない気持ちを表しているように感じられる。

「She is out!」

 悲しみや悔しさが自然と溢れるものだと思い込んでいた心は存外穏やかで、一塁塁審が最後の打者に対するジャッジの主語を、律義に”She”としていることにも気が付く程だった。

「ゲーム!」

 本塁付近に整列し、対戦相手の喜びと安堵に満ちた表情を観察する。

 彼らは駒を次に進め、最後の夏をもうしばらく継続させる。あれ程辛く、投げ出したいと思った部活動も、悪態をつきどこか嫌っていた顧問との生活も、いざ終わると思えば寂しいものだ。

「お待たせ」

 試合後の反省会を終え、泥だらけのユニフォームから制服へ着替えると、既に荷物をまとめ終わっていたチームメイトと合流する。

 うら若き乙女としては汗を流すべくシャワーの一つも浴びたいものだが、そんな訳にもいかない。制汗剤とウェットティッシュを効果的に駆使し、素早く汗の匂いをブロックする。

「それじゃあ、帰ろう」

 キャプテンの浩平を先頭に、最寄り駅まで徒歩移動する。習慣として学年順に並び歩きがちな敗者の列は、横から見ると頭の位置が弧を描きながら下がるように並んでいる。

 成長期の男子は竹のようにグングンと背丈を伸ばすため、中学生になったばかりの1年生と3年生では体格差が大きい。

 そんな中、1人だけ頭半分小さく服装も異なる珠音の姿は、傍から見て特異に見えることだろう。

「終わっちまったなぁ」

 最寄り駅でチームメイトと別れ、珠音と浩平はバスへと乗り込む。学区の端に住む2人は、他のメンバーと別行動をとる機会も多い。

「そうね」

 曇り空からはポツリと小雨が落ち始め、路面が少しずつと濡れ始める。

「もうちょっと、このメンバーで続けたかったな」

 中学校までとは異なり、高校進学時に地元から少し離れた学校へ進学することも多い。

少年野球チーム時代から慣れ親しんだメンバーと野球をやる機会は、この先数える程度だろう。

「......続けるのか?」

「まだ考え中」

 浩平の質問に、珠音は表情を変えずに即答する。

「そっか」

 浩平は珠音の即答に、続けようとした言葉を発し損ねる。

「今度......」

「......ん?」

 珠音の様子を伺いながら、浩平は意を決して言葉を続ける。

「今度、先生に頼んで、高校の練習を見学に行こうと思っているんだ」

「へー、いいじゃん。どこ行くの?」

「鎌大附属」

 鎌倉大学附属高等学校。地元では、省略して鎌大附属と呼ばれている。

 元々は母体の大学共々女子高だったが、公立化に際に男子学生を受け入れ、共学化している。文武両道を校則にこそ掲げているが、どちらかと言えば学業よりで部活動の成績はそこそこでしかない。

 武家の都”鎌倉”というイメージのせいか、剣道、弓道、薙刀といった武道系の活動は盛んだが、球技ではお世辞にも有力校とは言えない。

「浩平の実力なら、もっと強い高校でも通用するんじゃない?」

「かもしんないけど、俺としては試合に出たいからなぁ」

 部員を多数抱える有力校への進学も、選択の一つである。

 しかし、大会に出場できるのは一校一チームのみであり、大会により異なるものの所属する部員数に関わらず公式戦に出場登録できる人数はおよそ20名前後である。

 有力校の厳しい競争の中で切磋琢磨するもよし、そこそこの環境で着実なレベルアップを図るもよし。選択は人それぞれである。

「ま、それもそうだね」

 浩平の表情がハッとなる。

そもそも、野球部に選手として所属しても公式戦に出場できない珠音には、嫌味に捉えられるかもしれない。

「そ、それでさ」

 少し鼓動の高まりを感じつつ、浩平は続く言葉を発する。

「一緒に見学に行かないか?」

「え?」

 珠音が驚いた表情を見せる。

「でも、私が行ったって......」

「俺は、高校でもお前とバッテリーを組みたいと思っている。公式戦では無理かもしれないけど、野球は公式戦だけじゃない。練習試合だってあるし、ルールが適用されないような小さな大会だってあるはずだ」

「そうだろうけど、扱いの面倒くさい選手を受け入れてくれる学校なんて無いよ」

「なら、受け入れてくれる学校を探そう。その手始めと思って」

 長い付き合いではあるが、浩平から押してくることは少ない(普段は珠音の押しが強すぎて受けに回る機会が多い)。

「...分かった」

 浩平の珍しい様子に、珠音は悪戯な笑みを見せる。

「デートのお誘い、受けるよ」

「で、デート!?」

 浩平は顔を赤らめ、視線を逸らす。

「そ、そんなんじゃねぇし」

「へー、そうなんだ」

 恥ずかしがる浩平の姿が可愛く見え、珠音は頭を撫でる。大会前に気合を入れたスポーツ刈りは触り心地がいい。

「じゃ、夏休みの約束ってことで」

「お、おぅ」

 部活動が終わり受験勉強に勤しむ(ハズの)夏休みのスケジュールに、イベントが一つ追加される。

 今日という日の敗戦は、続く勝利への糧となる。

 その第一歩が、こうして刻まれようとしていた。

「ところで、さ」

 珠音が笑いを堪えており、浩平は不思議そうな表情を見せる。

「バス停、通り過ぎたけど」

「えっ」

 普段とは逆方向から乗ったことも相まって、この日は珠音より先に浩平が降りるバス停が先となる。

 会話に気をとられ、浩平は最寄りのバス停を乗り過ごしてしまった。

「教えてくれよ」

「ごめ~ん」

 珠音は反省の色をまるで感じさせない返事を送る。

 浩平は大きく溜め息をつくと、2つ先にある珠音の最寄りまでそのまま同乗し、会話を楽しむこととした。

「......マジか」

「わー、本降りだねぇ」

 バスを降車する頃には、雨は本格的に降り始めていた。

用意よく折り畳み傘を差す珠音に対し、バス停2つ分を歩いて戻る浩平は傘を所持しておらず、雨に打たれるがままになってしまう。

「水も滴るいい男ってね!」

「風邪ひくなよ~」

 珠音は走って帰る背中を笑って見送る。

 翌日、浩平は案の定風邪を引いてしまい、さすがの珠音もこの時ばかりは反省した。

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