第23話 休戦

 腹部に広がる鈍痛に身悶えしながら、フランツは大きく深い呼吸を繰り返した。痛みと衝撃でぼやけていた思考も徐々に冷静さを取り戻してきた。だが、しばらくはまともに動けそうにない。

(……戦いはどうなっている?)

 痛みをこらえ何とか顔を上げると、アレンと武闘家が対峙して睨み合っているのが見えた。だが、その姿は対照的だ。ボロボロのアレンに対し、武闘家は傷一つ負っていない。

(駄目だ……。やはり力の差がありすぎる……)

 あまりの実力差にフランツは悲嘆に暮れたが、アレンは思いがけない言葉を口にした。

「大したコトないな」

「なんだと?」

「聞こえなかったか? 大したコトないと言ったんだ」

「ボロボロのくせに……強がりは止めろ!」

 その言葉に武闘家は激しく反発した。状況からすれば、誰もがそれを意味のない虚勢と捉えるだろう。だが、フランツはアレンの不敵な笑みを見て、単なる虚勢ではないと直感した。それはフランツが謀略を仕掛ける時の表情とよく似ていた。あの顔はだ。

「手加減ときたか。モノは言いようだな。最初にフランツさんを倒した後、いくらでも追撃できたはずなのにアンタはそれをしなかった。いや、しなかったんじゃない。できなかったんだ。アンタには俺たちを殺す度胸も力もない。だから俺を仕留められずにいる。それを悟られまいと必死に自分を強く見せヨうとしているだけだ。強がッてるのドッチだ?」

「うるさいッ! 黙れッ!!」

 あまりにも露骨な見え透いた挑発。だが、効果は覿面で、武闘家は怒りで顔を真っ赤にして肩を震わせている。

「魔王討伐のために旅してるッて言うから、どれだけの実力者かと思ッたら……ハッキリ言ッてヒョーシ抜けだね。ヨくそれで偉そうに武闘家なンて名乗れるな。同じ"ブトー"なら踊りでも踊ッてた方がマシじャねェか? まァ、そのチンチクリンな体じャ、サマにはならないだろうけどな!」

(あの口調は……)

 フランツは挑発の内容と同時に、アレンの話し方にも着目した。仮名交じりの独特なイントネーションに、品のない言葉遣い。あれはガラルドの話し方だ。何故わざわざガラルドの模倣を?

「き、貴様ァァァ!!」

「おォ、怖い怖い。そンなに悔しいなら、ご自慢の蹴り技で俺を仕留めてみろヨ。おッと、その短い脚じャ届かないか? 当てヤすい様に少し屈んでヤろうか?」

 アレンはなおも挑発を続ける。その様子をフランツは訝しむ。

(怒りで冷静さを失わせるのが目的か? しかし、その後はどうするつもりだ……?)

「バカにするなァァァァ!!!!」

 武闘家は怒りに身を任せ、猛烈な勢いでアレンに突っ込んで行く。

「無駄だ! 腕ごとその首へし折ってくれる!!」

 咆哮と共に放たれた怒りの一撃。その時、フランツはアレンの手の中にキラリと光るものを見た。

 その刹那、武闘家は悲鳴を上げてその場にうずくまった。その足にはナイフが深々と刺さっており、真っ白な道着が血で赤く染まっている。

「そうか! あの不遜な態度も、ガラルドの口調も、全てこのためだったのか!!」

 アレンの意図を理解したフランツは、興奮気味に思わず叫んだ。


 戦いの最中、アレンは武闘家に関する情報を整理し、分析を始めた。

 昨夜の酒場。朗らかに話す剣士とは対照的に、武闘家は一言も発しなかった。

(人見知りか? 器用な性格ではなさそうだな……)

 戦う前。武闘家はガラルドの侮辱めいた軽口に明らかな不快感を示していた。

(ガラルドさんを睨みつけてたな。正直で感情的ってことか)

 左手と左足を後ろに引いた構え。フランツに放った左拳による痛烈な一撃。これは武闘家が左利きであることを示していた。

 武闘家の性格を分析したアレンは、次に反撃のための作戦を考えた。

(これ以上の被害を防ぐには相手の動きを封じるしかない。そのためには……"足"だ。このナイフで足を負傷させて動きを封じるんだ)

 そう考えたアレンはいくつかの"罠"を張った。

 武闘家は感情的で挑発に乗りやすいと考え、あえて挑発的な言葉を投げかけた。ガラルドの口調を真似たのも挑発のためだ。

 武闘家は直前の侮辱めいた軽口によりガラルドに嫌悪感を抱いていた。その上、あの品のない話し方は神経を逆撫でするにはうってつけだ。度重なる挑発により、武闘家は完全に冷静さを失った。

 次にアレンは武闘家を嘲り、馬鹿笑いをしながらポケットに両手を突っ込んだ。ナイフを手繰り寄せ、逆手に握れるよう向きを変えてから、気付かれないように刃を開く。そして逆手のまま、手の平で包むようにグリップを握る。これでグリップはすっぽりと手の中に収まり、刃は手首の影に隠れる。気付かれないようにナイフを取り出す準備は出来た。

(後はこれをアイツの足に突き立てるだけだ……!)

 そのためにアレンは仕上げとも言える最後の"罠"を仕掛けた。


 武闘家は激怒した。必ず、この傲岸不遜の男を除かねばならぬと決意した。

 防御の構えを取ったアレンに対し、武闘家は迷うことなく頭部への左上段蹴りを放った。何故、彼女はこの攻撃を選択したのか? 怒りに燃える武闘家の心の内に分け入ってみよう。

 度重なる無礼な発言によって、武闘家は冷静さを失っていた。

 力の差は明白だ。現にこの男は私の攻撃に手も足も出ていない。そして私は傷一つ負っていない。今まで私は数々の敵を打ち倒してきた。私は強い。

 そんな自負の念を忘れてしまう程に彼女は猛り狂っていた。

「その短い脚じャ届かないか? 当てヤすい様に少し屈んでヤろうか?」

 その一言により武闘家の怒りは頂点に達した。女神について知っていることを聞き出すという当初の目的を完全に見失い、アレンの口を封じるという私怨だけが残った。

 アレンは防御の構えを見せたが、頭以外はがら空きだった。

 みぞおちに正拳突きを打つ、脇腹に中段蹴りを放つ、足払いで転ばせてから顎を踏み砕く――

 倒すだけならいくらでも方法はあった。しかしそれでは意味がない。ただ倒すだけではこの屈辱は消えない。この男が嘲笑った"短い"足による"大したコトない"一撃で全てを終わらせる。そうして男の言葉が間違いであることを証明する。

 結果、武闘家はアレンの策略に嵌り、深手を負った。その激しい怒りの炎は彼女自身を焼き尽くしたのだった。

「くっ、うぅ……」

 呻き声を上げながら、武闘家は左足に刺さったナイフを引き抜いた。鮮血が吹き出し、白い道着を赤く染める。何とか立ち上がるが、痛みで力が入らない。思ったより傷は深そうだ。これではもう足技は使えない。

 そんな武闘家に追い打ちをかけるように、背後から声が聞こえた。

「おッ、ヤッてるな!」

 思わず振り返ると、ガラルドが立っていた。

「やっと戻ったか。待っていたぞ」

 切り札の登場にフランツは静かに笑い、アレンは安心したように息をつく。反対に武闘家はガラルドを見て息を吞んだ。

「貴様! それは……!」

 武闘家はガラルドを――正しくはガラルドに担がれている剣士を指差した。

「見リャ分かるだろ? 俺が倒したのさ」

「なんだと……!」

「殺してはいないだろうな?」

 動揺する武闘家を尻目に、フランツは冷静に尋ねる。

「あァ。生きてるゼ。気を失ッてるだけだ。それとも……、が良かッたか?」

「いや、それでいい。良くやったぞ。戻ったばかりで悪いが、こちらの加勢をしてくれないか」

「おゥ、任せな。まだまだ遊び足りねェからな……っと」

 ガラルドはそう言うと肩に担いでいた剣士を道の脇に降ろして、武闘家に声をかけた。

「と、言うワケでこッからは俺が相手になるゼ」

「望むところだ! 受けて立つ!」

「おゥおゥ、勇ましいこッて。でも、その足でマトモに戦えンのか?」

 ガラルドの指摘はもっともだった。

 今の状況は武闘家にとって明らかに分が悪い。足を負傷した上に戦う相手が増えたのだから当然だ。しかもその相手は、剣士を倒した実力者だ。さらに、見たところ傷一つ負っていない。

(まさか、無傷で倒したって言うの……?)

 武闘家は心の中で小さく絶望した。だが、やるしかない。

「あっ、やっぱりここにいたのね!」

 武闘家が戦う覚悟を決めた矢先、今度はアレンの背後から声が聞こえた。

 アレンが振り返ると、血相を変えてこちらに向かって来るアリスの姿が映った。

「アリスさん……。どうしたんですか?」

「トム君の容体が急変して……!」

「トムが……!?」

「ここ数日は落ち着いていたんだけど、さっき急に苦しみだして……。それであなたを呼びに来たの」

(トム……!)

 アリスの言葉を受け、アレンは体の痛みも忘れて弟の待つ診療所へと走り出した。

 突如、戦線を離脱したアレンに武闘家は抗議の声を上げる。

「おい! 戦いはまだ終わってはいないぞ!」

「そのことなんだが、ここは一時休戦としないか?」

「……休戦?」

「今は戦いを続ける時ではない。そちらにとっても悪い話ではないはずだ」

「しかし……」

「あなた、怪我してるじゃない! アレン君もボロボロだったし、あなた達は一体、こんなところで何をしてたの!?」

 フランツの提案を渋る武闘家にアリスが詰め寄った。

「それは……」

「とにかく来なさい! 怪我人を放ってはおけません!」

「……」

「ガハハッ! さッきまでの威勢も形ナシだな」

 アリスの剣幕に圧倒されて押し黙った武闘家を見て、ガラルドはいつもの調子で呵々と笑った。

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