第2話 奪われた世界

村が燃えている。物が焦げる嫌な匂い。もわっとした炎の熱気。生まれ育った村が目の前で燃えている。それらは全て現実の出来事だった。

 一体、何が起こっている? 俺の家は? 家族は? 生存者は? 次の瞬間、彼は燃え盛かる村に向かって走り出した。

「おーい! 誰かいないのかー!」

 力の限り叫ぶが返事はない。聞こえてくるのはパチパチと家や木々が爆ぜる音だけだ。まさかもう誰も……

 アレンは冷や水を浴びたように頭が真っ白になった。いや違う。きっともうみんな無事に避難しているんだ。自分に言い聞かせるようにして、脳裏によぎった最悪の事態を振り払う。とにかく今はこの場から離れよう。今の俺にはどうすることもできない。このままでは自分まで焼け死んでしまう。捜索を断念し、来た道を戻る。

「うぅ……」

 その途中、呻き声が聞こえた。誰かいる……? 間違いない。人の声だ。急いで声のする方向に向かうと、そこにいたのは……

「トムッ!」

 弟のトムが倒れていた。顔はただれ、全身の火傷が痛々しい。

「トム! しっかりしろ!」

「にぃ……ちゃん……?」

 意識はあるが、息は絶え絶えだ。

「みんなはどうしたんだ!? 父さんと母さんは!? アニーは!?」

「ねぇちゃん……は……勇者に……」

「勇者? 勇者がどうしたんだ!?」

「……」

「トムッ!!」

 気がかりな言葉を残してトムは気を失った。勇者がどうしたというのか? 妹に一体、何があったのか? そもそも何故、この惨事が起こったのか? 気になる事ばかりだが、今はトムの手当てが先決だ。だが、何もかもが燃えてしまった今の状況ではまともな治療は望めない。必要なのはしっかりとした医療施設だ。目の前で消えかかっている弟の命を救うには都まで走る以外に道はなかった。

「行くしかないだろッ……!」

 アレンはそうつぶやくと、虫の息のトムを背負い走り出した。

 足場の悪い山道を猛烈な勢いで走る。朝から働き詰めで身も心も疲労困憊のはずだが、そんなことは関係ない。弟の命がかかっている。休んでなどいられない。遠くに明かりが見えてきた。アレンはそのまま速度を落とさず都の門をくぐった。

 目的地は都にある診療所だ。立ち寄ったことはないが場所は分かる。

「はぁはぁ……!」

 息を切らしながら都中を疾走する。記憶を頼りにたどり着いた一軒家の軒先には「ゴードン診療所」の掛け看板がぶら下がっている。だが、既に部屋の明かりは消え、看板には『休診中』の文字が添えられている。

「誰かいませんかっ!」

 返事はない。

「お願いします、開けてください!」

 アレンは必死になって戸を叩いた。弟を救ってくださいと神に祈りを込めながら。

「誰だい、こんな時間に……」

 しばらくの間、ドンドンとやり続けているとそろそろと扉が開き、不機嫌そうな顔の白髪の男性が出てきた。

「お願いします! 弟を診てやってください! 全身に火傷を……」

 医者はアレンに背負われたトムを見て、目を見開き声を上げる。

「こいつはひどい……! 一体、何があったんだ?」

「俺、ティサナ村のアレンって言います。村が火事になって弟が……」

「ティサナ村が火事だって!? とにかく中に入りたまえ」

 医者に促され、診療所の中へ歩みを進める。中には診察用の椅子と机、そして小さなベッドが三台置かれている。

「そのベッドに寝かせなさい」

 指示通り、トムを背中から降ろしゆっくりとベッドに寝かせる。髪と衣服は焼け焦げ、全身が赤く腫れあがっている。呼吸は弱々しく、いつ止まっても不思議ではない。

「先生、弟の様子は……」

「うーん、火傷がひどいな。とにかく全身を冷やすしかない。アリス、水とタオルを持ってきてくれ」

 医者の傍らにはいつの間にか中年女性が立っていた。おそらく医師夫人だろう。夫人は水の入った樽にタオルを浸し、トムの手当てを始めた。

 テキパキと治療を進める二人をアレンはぼんやりと眺める。何とかトムを診療所まで送り届けた安心感と、心身の疲労感。アレンの意識はそこで途切れた。


 窓から差し込む光の眩しさに顔をしかめる。どうやらいつの間にか眠り込んでしまったようだ。ゆっくりと体を起こすと、自分の顔と両腕に包帯が巻かれていることに気が付いた。

「お目覚めかしら?」

 声のする方に顔を向けると、昨夜見た医師夫人がにこやかに立っていた。

「トムの……弟の様子は?」

「どうにか治療は一段落して、今は奥のベッドで眠ってるわ」

 夫人の視線の先に目を移すと、その言葉通り奥のベッドでトムが寝ていた。全身に巻かれた包帯が痛々しく物悲しい。

「トム、聞こえるか?」

 ベッドを抜け出し病床の弟に声をかけるが、返事はない。

「まだ話せる状態ではないわ。たとえ目覚めたとしても喉まで焼かれて声を出すのも辛いでしょう……」

「そう……ですか……」

 夫人の言葉に心がずしんと重くなる。ふと、当たりを見待たすと医師の姿がないことに気が付いた。

「あの、先生は?」

「主人ならティサナ村の火事を伝えに集会所に行ったわ。もうそろそろ戻ってくる頃だと思うのだけれど……」

 夫人の言葉に昨夜の燃え上がる村の様子を思い出す。何とかトムを助け出すことは出来たが、他の住人は無事だろうか? そう考えると居ても立っても居られない。

「お世話になりました。俺、これから村に……」

「グゥゥゥ」

 その時、アレンの腹の虫がけたたましく鳴き出した。思い返せば昨日から丸一日食べ物はおろか水すら口にしていない。腹が鳴るのも当然だろう。

「あらあら。昨日の残り物で良ければスープがあるのだけれど、食べていったら?」

「そんな、悪いですよ」

「怪我人が遠慮しないの! お腹減ってるんでしょ? 今温めるから座って待ってなさい」

 そういうと夫人は竈に火を入れ鍋を温め始めた。親切を無碍にするわけにも行かず、アレンは大人しく椅子に腰を下ろした。

「さぁ、召し上がれ」

 程なくして夫人はスープの入った皿と一切れのパンをお盆に乗せ運んできた。スープからは温かな湯気が立ち上り、パンからは火で軽く炙ったのか、香ばしい香りが漂ってくる。小麦色の焼き目が美しい。

 たちまちアレンの口内には唾液が溢れ、胃が躍動するのを感じた。辛くても、悲しくても、目の前にある現実がいくら過酷なものであろうとも、人は必ず腹が減る。

「……いただきます」

 アレンはスプーンを手に取り、スープを一口啜った。野菜の甘みとほのかな塩味が疲れた体に優しい。パンを齧り、もう一度スープを啜る。決して贅沢な食事ではなかったが、アレンの疲れた心と体には、これがちょうど良かった。

「お口に合うかしら?」

「えぇ、とても……」

 食べ進めながら二日前の夜を思い出していた。両親と妹弟に囲まれた一家団欒の時間。他愛もない話で笑い合った退屈で幸せな時。その時も食卓に上がっていたのはパンとスープだった。気が付くとアレンの目からは大粒の涙がこぼれていた。

「と、とても、う、美味いです……な、涙が出るぐらい……」

「……そう。それなら良かった」

 肩を震わせ嗚咽を漏らしながら答えるアレンに、夫人はそれ以上何も言わなかった。

 その時、入口の木戸がギィと音を立てて開いた。アレンは慌てて右腕に巻かれた包帯で涙を拭う。

「戻ったぞ。おぉ、気が付いたか」

 扉を開けて入ってきたのはこの診療所の主だった。

「具合はどうだい?君も火傷を負っていたから手当てをしておいたよ」

「お陰様で痛みはないです」

 アレンは右腕の包帯をさすりながら答える。

「わざわざありがとうございました」

「いや、礼には及ばんよ。これが私の仕事だからね」

「そういえばまだ名乗っていなかったな。私はゴードン。町医者をしている。こっちは妻のアリスだ」

「俺は……」

「ティサナ村のアレン君だろ?」 

 名乗る前にゴードン医師はアレンの名前を言い当てた。 アレンはふと、昨晩無我夢中で名乗っていたことを思い出した。

「アリス、私は今からティサナ村に行くよ」

「今からですか?」

「あぁ。火事について話したら、調査隊が結成されてな。村の現状を調べることになった。もし生存者がいれば治療に当たらなければならないしな」

 医師は夫人にそう告げるとアレンに向き直る。

「君も一緒に来てくれるか? 村については君が一番詳しい。辛い思いをするだろうが力を貸して欲しい」

「分かりました。すぐに行きます」

 ゴードン医師の提案をアレンは即座に受け入れた。言われるまでもなく元よりそのつもりだった。

「どうもごちそうさまでした。とても美味かったです」

 アリス夫人に食事の礼を伝えると、夫人はにっこりと微笑んで言った。

「気を付けていってらっしゃい」


 足場の悪い獣道。目の前には鬱蒼とした木々が広がっている。男たちは黙々と歩を進める。

 先導役を買って出たアレンは隊列の先頭を歩いている。脳裏に浮かぶのは、最後に見た村の光景だ。燃え盛る炎の中、黒煙に包まれた故郷。村は今どうなっているのだろう。そんな事ばかり考えていると、否応なく歩くペースは上がっていく。程なくして彼らは目的地に到着した。

 先頭を歩いていたアレンの目に映ったのは、変わり果てた村の姿だった。

 入口の木の門はすっかり焼け落ちて跡形もない。白煙と黒煙が入り混じった灰色の煙が辺り一帯に広がっている。立ち並んでいた家々は、その全てが真っ黒な炭の塊と化していた。

「こりゃひでぇ……」

 調査隊の一人が誰ともなしにつぶやいた。誰も何も言わないが、誰もが同じ気持ちだった。

「俺、家を見てきます」

 隊員たちにそう告げると、アレンは我が家を目指し歩き出した。歩き慣れているはずの帰路なのに、どう進めばいいか分からない。目印にしていた建物が焼けてしまったためだ。村で一つの道具屋も、キノコのスープが自慢の食堂も、憩いの場だった集会所も全て灰燼に帰し、瓦礫の山と化した。もはや見る影もない。

 歩き慣れた道も目印がないだけでこんなにも心許ないのか、とアレンは心の中で思った。

 一夜にして変容した故郷をふらふらと歩いていると、ある場所にたどり着いた。目の前にあるのは他と同じように、家だった物の残骸だ。と、残骸の中に何かがある。焼け残った家財道具でも家の木材でもない。信じたくないが、あれは――


 調査隊がそこに着くと、アレンがその場にへたり込んでいた。ゴードン医師が声をかける。

「どうした? 何があったんだ?」

「駄目でした……もう……」

「駄目だった? 一体、何が……」

 言い終わらない内に、隊員の一人がゴードン医師の肩を叩き瓦礫の山を指差した。指を刺された方に目を向けると、そこには折り重なるように横たわる二つの遺体があった。

 ゴードン医師が全てを察した瞬間、辺りにはアレンの慟哭が響き渡った。


 焼失した村の中に青年が一人、呆然と立ち尽くしている。その後も捜索は続けられたが、生存者は見つからない。代わりに見つかるのは彼の家族同様、焼け焦げた遺体だけだった。生存者はおらず、村は壊滅。調査の結果判明したのはあまりにも残酷な現実だった。

 捜索は打ち切られ、調査隊の面々は都へ引き上げていったが、アレンだけはただ一人この場に留まっていた。

 家も、家族も、思い出も、全て紅蓮の炎の中へと消えた。この村での生活だけが彼にとっての世界そのものだった。その全てが一夜の内に、一つ残らず灰燼に帰した。彼は"世界"を失った。

(一体、何故こんなことに?)

(あの晩この村にいれば、誰か救えたんじゃないか?)

(そもそも自分がいれば、火事は防げたんじゃないのか?)

 後悔と自責の念が頭の中を駆け巡る。考えても仕方のないことだが考えずにはいられない。

(この先、どうやって生きていけば……いっそこのまま……)

「君は真実を知りたくないか? 昨日の晩、この村で何があったのかを」

 アレンが絶望の淵に佇んでいると、不意に背後から声をかけられた。力なく振り返ると、立っていたのは一人の男。

「私の名はフランツ。故あって勇者を追っている」

「勇者を……?」

 追っている? 何のために? 

 アレンの訝しげな視線を意に介することもなく、フランツと名乗る男は続ける。

「端的に言おう。この火災には勇者一行が関係している」

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