1−21 3つ目
あの後、全身を疲労感が襲っているだろうに、それでもリーティアは車内を奔走していた。
あらゆる片付けや即座にできる補償の指示を出し続け、休養や待機していた使用人たちまで引っ張り出し、常にその中心で動いている様はまさしく獅子奮迅。あまりに鬼気迫る様子に新人っぽい子たちがずっと萎縮していた。
片付けはどうやら深夜直前まで続いたらしく、夕食を運んでくれた人たちですら流石に疲労を隠せていない。思わず手伝ってしまった。
ギュスターヴは全身のほとんどが燃え、
そこから時間は過ぎ、深夜──。
音もなく第七号室の扉が開く。薄暗く、静まり返った廊下に、扉の開閉音が響いた。
内から出てきたのはシャーロット主従。アーサーは火傷跡の残る手を革手袋で隠し、体の線を分かりにくくするようなコートを着込んでいる。シャーロットは肌をしっかり隠すような宝飾のないドレスを着た上でつばの広い帽子とベールを被り目元を隠していた。俯けば顔は見えず、眼帯をしていることも分からないだろう。
大きいトランクケースを引っ張り、可能な限り音を立てないように、再度ひき直された絨毯の上を進む。新しい絨毯の毛が踏まれて縮む音すら聞こえそうな静寂の中を歩き、第三車両へと続く扉に手を掛けて。
「あら、どこへ行かれますの?」
背後から投げかけられた問いで手を止めた。
振り返るとそこには、柔和な笑みを見せる少女。アレット・バーナードだ。
「……おや、お嬢様が出歩くには遅すぎる時間ですよ?」
「それはお二人も同じことですわ。特にそちらのシャーロット様はお疲れなのではありませんか?」
このやり取りだけで俺は諦めてしまった。
俺もシャーロットも貴族社会とは縁遠い。魔術で戦闘をするならともかく、迂遠で真意を語らない言論で勝てる気がしない。真っ直ぐ正面から行こう。
「使用人が待機しているはずなのになぜ出てこれたのかは分からないが……何用かな?」
「少しお話をしたかっただけですわ。もうこの列車からはいなくなってしまいそうですし、次また会えるかも分かりませんもの。こういう事体を共に乗り越えた者同士で生まれる縁というのもあると思いませんか?」
「お話か、いいだろう」
背後に隠していたシャーロットが俺の影からぴょいと顔を覗かせる。
揶揄うような笑みを含ませて。
「アレット、君は推理が好きだと言っていたね。では特別にもう一つ推理を聞かせてあげようじゃないか」
「もう一つですか? 事件は解決したと思っていましたが……?」
「うむ。事件は解決した。事件とは関係ない謎であり、事件と関わってもいる謎……すなわち、
アレットの表情が固まる。
「な、にを仰いますの? あの方が燃えている様を貴女も見たはずでしょう?」
「正確には君に見せられたと言うべきだろうね」
そう。俺たちがあの部屋に飛び込む事……否、あの悲鳴を聞くことは仕組まれていた。
「人体のおおよそ6割が水でできている、というのは話したね。だから呪いで燃やすのは難しく、それ故にできる人も限られる、と」
「ええ。そしてその方法は貴女が証明してくださいましたわ。血を触媒に燃やしたと……」
「だがその血液も全身の中では僅かに8%しかない。そして血液そのものの9割は水分だ」
全身の細部まで染み渡り、幾つもの役割をこなしている血液。体の8%と聞いて多いと思うか少ないと思うかは人によるだろう。だが、血液の9割が水分と聞いて、火属性と相性が良さそうと感じるはなかなかいないはず。
そうなるとどんな問題が生まれるか。
「あれほどの準備をした上で血液を触媒に呪えばアルベール氏を殺せることは間違いない。だが、彼が即死をしたかと問われれば、否と言わざるを得ないね」
「君はアルベールが胸や腹を押さえて苦しみ、その後すぐに燃え始めたから身を守るので精一杯と言っていたが、本当は違うんじゃないかい? ただの人間でさえ即死をしないのに、ハーフエルフの彼がなにもできないまま殺されたとは思えないんだ」
思えば、事件が起きた瞬間に、何故ギュスターヴだけでなくリーティアも来れていたのか。突発的な事象に対応できる警報などを仕込んでいるのかもしれないが、アルベールから緊急のコールサインでも飛んでいたのではないか?
そして、己がなにかしらの魔術に侵されていることを感じたアルベールは、コールサインだけでなく目の前の人物にも助けを求めていたのではないか。
魔術を扱う学園に通う、魔術にも呪術にも詳しいはずのアレットに。
「……たとえ彼が即死していなかったとして。それが見殺しなどと言われるのは心外ですわ。人が目の前で燃え始めたらまずは自分を守るのが優先だとは思いませんか?」
「それはそうだろうね。でも君は焦ってなどいなかっただろう? その指輪に仕込まれている防護魔術を使うまでもないと判断する余裕すらあったはずだ」
アレットの指元を飾る五対十個の指輪。そのうち小指にあった二つは窓の外に落とし、親指にあった二つは
「私はなんのためのそのような事をするのです? 意味がわかりませんわ」
「これだけだと推理は難しいね。ああ、そういえば君の乗車理由も、廊下で声を出していた理由も推理していなかったね?」
「使用人の方達に聞いたよ。君、どうやらこの"アレクシア"に数ヶ月……具体的には2ヶ月半から3ヶ月いるようだね。偶然かな、その数字は我々にもとても縁深いものなんだ」
シャーロットをあの幽閉塔から連れ出してから大体3ヶ月。彼女がこの"アレクシア"に乗っている期間もほとんど同じ。目的を頑として明かさなかった彼女が単位とやらのために長期間豪華列車に乗り始めた。
これは果たして奇縁、偶然なのか? なあ、
「君は父上──ああ、私の父上か君の父上かまでは分からないが、とにかく捜索依頼をされていたのではないかな? トゥール家の子女が居なくなった、色々な方法で探して欲しい、と」
「君だけでなく有力な
「だが、この魔導列車は他の魔術師と出会わなくていいということを売りにしている」
他の魔術師と出会わなくていい。行き先は駅などに縛られず自由。乗客の情報は秘匿され、どのような身分の人間であっても運賃を支払い迷惑をかけなければ乗車可能。
逃避行をするにおいてこれほど適した移動手段は他になかなか無いだろう。だからこそ、シャーロットに最低限の体力をつけてもらいつつ追手の感覚を誤魔化すために3ヶ月も潜伏したのだが、どうやら意味はなかったらしい。このことに気がついた時には思わずため息が出た。
「聞き込みを繰り返しても他の乗客のことは当然のごとく答えないアルベール、出会えなければ見つかった報告もこない探し人。最初は学園生活を離れた豪華列車の旅を楽しんでいた君も、ついには暇を持て余して人探しに関わることを本格的にし始めた」
「使用人が廊下を通る音が聞こえることには気がついていたんだろうね。そして、どの程度の声量であれば自室からでも他の客室に声が届くのかを検証し始めた。違うかい?」
アレットは答えない。
柔和な表情は残っているが、ピクリとも動かないままこっちを見ている。
「検証を大体終えた君は機を窺っていた。どうせ人を集めるなら可能な限り多くないと意味がない。頻繁に人が集まるようななにかしらは起こせないし、いざ集めても探し人がそこに含まれているかどうかすら博打だ」
「どう事を起こそうかを考えていた君は、苦しむアルベール氏を見て利用することを考えた。彼が苦しんでいる間、万に一つも己が断罪されないように防護魔術で近寄れないようにし、彼が完全に死ぬまで待っていた」
「アルベールを即座に助ければ人を集めるチャンスを逃す。中途半端に人を呼んで彼が助かっても、すぐに助けなかった君の事を話すだろうし、話さなかったとしても他の乗客と関わる続けられる可能性は低くなるだろうからね」
「……私が呪術に詳しい上に助けられるという前提で話が進んでおりませんの? 助けられたのに自分の目的のために見殺しにした、だから悪い、とでも言いたげですけど……助けられた保証などありませんわよね」
いいや、今もずっと君は、呪術に詳しいということを示し続けている。
「ではいきなりだが、呪術の講義といこう。講義内容は簡単、いかに人に呪われないようにするためにはどうしたらいいか、だ」
「呪術と一口に言っても、その方法も効果も多岐に渡るから全てを防御するのは難しいはずだね。なにか呪われない方法があるのかい?」
「ああ、簡単さ。呪われにくいような人間を演じたらいい。己を呪う人がいなければ呪われないだろう?」
アレットの通っている学園は単位という話だった。魔術学校に通ったことがないから分からないが、少なくとも貴族の通う学校に普通の生徒がいるとはあまり考えにくい。そして、魔術の才がない人が来るとも考えられない。
であれば、彼女が通う学校という場所は次世代たちの政治の練習場なのではないか。そこで政治の才なし、付き合う価値無しと判断した人から切り捨てられ、あるいは出る杭は打たれ呪われる場所なのではないか。
権力がある、実力があるというだけで人の恨みを買うことはある。その中で呪われないようにするにはどうしたらいいか。
柔和な笑みを浮かべ、心を殺し、表層を偽り。
実力があっても誇示せず、誰にでも優しそうな人を演じればいい。実力でも性格でも突出せず、憎みたくならない無害な性格、あるいは状況を理解し性格を作り演じ続けられる才覚があることを示せばいい。
己が素を隠していることに俺たちが気がついているとわかったのだろう。
一瞬にして鉄面皮が緩み、高圧的で嗜虐的な表情へと変化する。
「──あーあ、バレてたのか。んじゃ、このタルい演技はもうしなくていい?」
「それが素か。だいぶ適当というか、荒っぽいんだな」
「そーよ。あの
ニヤリと口端を歪める。
表情や纏う雰囲気が変わったせいでコスプレにしか見えないフリフリとした貴族服の袖から、いつの間にか短杖が覗いていた。魔術師が使う、携行しやすい魔術の発動媒介だ。
「『
「それは無理な相談だな」
「まあ、だよね。んじゃ
アレットが短杖を振るった瞬間、廊下の壁や天井を薄く水が覆う。一瞬で見えなかったが、おそらく絨毯の下も水で満たされているのだろう。
外からの影響を減らし、内側に閉じ込めた相手を己の得意な領域で倒す。あまりにも見事な魔術の展開と場作りだ。
「シャーロットちゃんは無事に連れて来いって言われてるんだけど、お兄さんはなんも言われてないんだよね。んで、よく分かんないけどたぶん今は吸血鬼としての力は出せないカンジっぽいし殺しちゃうね」
などと言いながらも無数の魔弾が放たれた。水の壁で跳弾し、飛沫すら細かい魔弾へと変化させ、瞬間的に数百もの攻撃を繰り出してくる。その一つひとつに人を簡単に貫くほどの勢いと魔力が込められていて──
「おいおいおいおい本当に無事に連れ帰る気があるのか⁉︎」
「あ、やっぱ防げんじゃん。吸血鬼の力は全力じゃないけど使えるっぽいし確かめといて良かった〜」
全身から魔力を放出し、なんとか飛んできた魔弾のほとんどを体で受け止めることでシャーロットを守る。
つまり、魔力を無理やり集めてぶん殴るとか踏み潰すみたいな戦い方しかできなくなっているのだ。
「『
「使用人たちを止めてるのはその魔術か……!」
アレットの足元を漂う水から幾つかの泡が空中へと漂い出た。文言からして睡夢に関わっているのだろう。彼女の部屋の使用人が外出を止められていないのも、この系統の魔術を使われたからだろう。
泡沫一つひとつの動きは遅い。だが、そこに込められた魔力は桁違いに多かった。吸血鬼で魔術耐性が強い俺ごと無理やり眠らせてしまうつもりなのだろう。
流れる水で足元が揺れる。再度幾つもの魔弾が睨み、泡沫が押し寄せ、水でできた竜の顎門が開き──
「済まない、遅れた」
水流が全てを飲み込む直前、列車の天井ごと全てが消し飛ばされる。
消えていく無数の水壁。俺たちと虚空に溶けていくアレットの魔力の境目に、美しい銀の髪が舞い踊る。
リーティア・ヴァン・カリステリア。"アレクシア"の車長であり、カリステリアの次期当主が、銃剣を担いでそこに立っていた。
アレットによる水の世界は、この廊下全体を埋め尽くすことで成立していた。全てを水で囲い、己の支配する領域へと変えてしまうことで優位に立っていたのだ。さながら、シャーロットが金色の野を作り上げた状態で
では、囲っている水が這っている
「アレット・バーナード、乗客規約第三条"他の乗客に迷惑を掛けること無かれ"の違反で退去を要請する」
「……本気? バーナード家が本気を出して
「カリステリアは貨物輸送専用車と高速人員移動列車の開発に成功した。発表されてもなお
「脅すつもり?」
「君は私たちに、私たちはシャーロットたちに借りがある。仁義を無視するカリステリアではないというだけだ」
──事件の真相にシャーロットが至った後。
別室に呼んだ時に、事件そのものではなく、俺たちの事情とアレットとの関係は話していた。事件の顛末が見えている以上リーティアは信用できたし、一件がひとまずの終息をした後はアレットに狙われることも分かっていたからだ。
本件解決、そしてアレットによるアルベール見殺しの件の自白を引き出すことを貸しに交渉し、そして勝ち得た幾つかのリーティアへのお願い事。
そのうちの一つがこれ。もしアレットに狙われ危機が迫ったときに手助けをしてもらう、というものだ。
水の壁が消え、夜風が吹き抜ける天井を指してリーティアが叫ぶ。
「今回の一件は本当に世話になった。恩を受けたカリステリアとしてだけでなく、君たちの友人として助力をすると約束する。アレット・バーナードは必ず私が止める、行け! そしてまたどこかで会おう!」
「無理を押し付けてすまない。感謝する」
「ああ、またどこかで、な」
背から大きく翼を広げる。蝙蝠のような、猛禽のような、漠然とした黒い翼だ。
──応急処置として封印されたのは、人に恨まれるというアーサーの存在の根幹のみ。
後付けされた吸血鬼としての
ふわりとその場から浮き上がると同時に幾つもの水弾が襲おうとするが、間に生成された鉄壁が全て防ぎ、直後に銃剣へと姿を変えてアレットを狙う。無理に俺たちを狙えなくはないだろうが、攻撃の成否に関わらず行動した瞬間にアレットは蜂の巣になるだろう。
長い列車の車両が遠ざかっていく。無数のレールを生み出し道なき道を征く豪華列車が夜闇の向こうへと去っていく。
そして、列車が通った道を遅れて追うようにして駆ける武装騎兵集団が見えた。
「これが最後の仕事だな」
「私はもう寝る。明日の朝は普通に起こしてくれていい。起きれるかは別だが」
「了解。良い夢を、我が主人──」
……なぜアレットは小指に嵌めていた指輪を落としてしまったのか。答えは簡単、わざと落としていたからだ。
彼女の指輪にはバーナード家謹製の防護魔術が込められている。それは嘘じゃない。だが、五対十個全てが防護魔術じゃない。アレットの目的と正体がわかった上で
片方がバーナード家へ信号を飛ばす魔術、もう片方が"アレクシア"の位置をマーキングする魔術だ。アレットが逃した場合、あるいは苦戦した場合に戦うための戦力を呼んでいたのだろう。
だが。
「ちょっとばかり、吸血鬼を舐めすぎているだろう」
夜王種とも称される吸血鬼、しかも存在の根幹を封印をされているとはいえ最古種に、夜中に挑む?
無茶、無謀という言葉ですら生温い。
──その夜。
戦闘用の魔道具で身を固め、一族の誇る防護魔術で全身を包んだバーナード家の誇る重装騎兵隊八十八騎は、僅かに夜を騒がしくすることもできないまま消えた。
吸血鬼とその主人の行き先は、誰も知らない。
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