金灰のストレリチア

棗御月

0−0 がるる



 ──執事長曰く、絶対に失礼のないように、と。

 いつになく真剣だったその顔を思い出しつつ、アルベールはいくつものスイーツが乗ったワゴンを押して、列車の豪華客室に向かっていた。


 この魔導列車"アクレシア"では、ただの個室だけでなく、豪華客室であっても利用客が途切れることは少ない。各国の魔導世界における貴族や貴賓、奮発した旅行者といった人たちが利用している。特別、その部屋の利用自体が珍しいわけではない。


 なのになぜそこまで警戒するのかというと、今回の利用者の二人が身元不明。そしてなにより──あまりにも美しすぎた。


 方や、灰髪灰眼の従者。長身と均整の取れた立ち姿はため息が出そうになる。ぱっと見ではそんな印象のない体躯も、よく見れば肉食の獣のようにしなやかで鍛えられた筋肉がついているのがわかった。

 方や、黒髪紅眼のお嬢様。造形物のような、いや、それすら超える美しすぎる姿に見惚れた従業員は少なくない。黒いバンドのような眼帯が隠した左目がいやでも気になってしまう。今この魔導列車がいるイギリスでは珍しい黒髪も、その艶の前では文句の一つだって出ないだろう。


 そんな、美しくも怪しい身元不明の主従がこの列車にいるのだ。どのように扱えばいいかもわからず、とにかく必要以上に刺激しないようにしているのが現状なのだが。注文がある場合はそうもいかず。

 扉の前で一息吐き、肩の力を抜いて、軽くノックをする。

 ありがたいことに、すぐに内から扉を開いて執事が出てきた。


「先ほど注文していただいたスイーツです。お間違いないですか?」

「はい、大丈夫です。ありがとうございます」


 流麗な手つきでワゴンから室内に運んでいくのを手伝う。中にある机は次々と美しく飾られていく。だが、そんな彼らを、窓から外を見る少女は軽く一瞥だけして、すぐに興味を失ったように視線を外した。

 期待外れだと怒っただろうか。だが、訊くわけにもいかず。


 従者の彼に一礼をして、寂しくなったワゴンを押しながら来た廊下を戻っていく。あとで苦情や処分が来ないことを祈りつつ。

 だから、自分が出た後の扉の中に気を向けはしなかった。

 まあ、仮に向けていたとして、そして中の会話が聞こえたとして。


「大人なスイーツを頼めと言っただろうバカ執事!」

「だったらテメェで頼めってんだクソ主人あるじ! だいたいお前はクソミソに甘いものしか食えないだろうが!」

「お前と言ったな⁉︎ 自分の主に向かって! お前と⁉︎」


 と手四つを組み合って、主従で威嚇し合っている現状を受け止められるかは分からないが。


 ──列車の従業員たちは知る由もないだろう。いくら魔術を学んでいても分からないはずだ。

 雇われ執事のアーサー・トラヴグルが三千歳を超える吸血鬼であり。

 その雇い主たるシャーロット・ラ・トゥールとの命がけの逃避行の最中であると、誰が気が付けるだろうか。


 気がつかぬうちに失態を犯していないか不安な従業員たちの苦悩をよそに、がるる、と掴み合う二人を、可愛らしいスイーツだけが見ていた。



◇ ◇ ◇



 ──二人の関係の始まりを語るには、おおよそ三か月遡る必要がある。

 その頃のアーサーは執事ではなかった。もっと言うのなら、すでに裏社会として扱われている魔術の世界においてすら表にいなかった。


 アーサー・トラヴグルは吸血鬼である。それも、純性の、世界によって産み落とされたその瞬間からの吸血鬼だ。そして、そのことがアーサーの最大の不幸だった。


 悪魔が人を害するように。

 神話伝承の竜が討伐をされるように。

 昔話の鬼が暴力の象徴として恐れられるように。

 『善なる者を害する悪であれ』という願いの元に、魔術世界に生まれ落ちたのが吸血種だ。誰かにとっての悪を担い、恐れられるための象徴として、世界に存在を結び付けられている。

 存在そのものに対して他人が本能的な嫌悪感を抱くのだ。


 故にこそ、アーサーはこの世にあらわれた瞬間から迫害をされた。

 ある町では十字架を手に追い回され、ある国では発見されたと同時に国中の兵士に追い回される。呪いをかけられて力づくで解いたことは数知れず。話し合いが成立した試しなどほどんどなく、常に誰かからの殺意や暴力を意識して生きてきた。

 英雄と呼ばれる存在に追われたこともある。開き直って、存在の意味の通りに暴虐のかぎりを尽くそうと思ったこともある。それでもアーサーは、敵ならともかく、無辜の他人を傷つけることがどうしてもできなかった。

 体が強靭なせいでろくに死ぬこともできず。気がつけば生まれてから三千年の時が経ち、魔法が世界の裏側に隠れてからさらに時間が経って、ようやく。

 アーサーは、ついに生きることを諦めた。


 それからというもの、アーサーは気がつけば便利屋になり、生活は明日の事さえ確かではなくなった。

 実力と吸血種なりの死ににくさをアテにして申し込まれる依頼をこなし、その対価を受け取っては拠点を転々とする。迫害する癖に利用もするのかと苦虫を噛み潰しつつ、それでも依頼を受けては死地に飛び込み続けた。


 いつか誰かが、あるいはなにかが、己を殺してくれないか。

 それだけを願って。


 ……そんな風に捨て身で動いていたアーサーの元に、ある日変な依頼が舞い込んできた。

 曰く。とある貴族の領地にある塔の、最上階に幽閉された少女を盗んで来て欲しい、と。

 人攫いのような依頼がこれまで無かったわけではない。むしろ、相当多かったと言える。

 なんせ、成功率が高く、相手の刺客を寄せ付けないだけの強さがある。相手の追手を叩き潰し、その相手の家や出来事が過去の遺物になるまで生き残れるだけの寿命もある。汚れ仕事を頼むには最適なのだ。


 ではなぜこの依頼が変なのかと言うと。

 依頼主も、攫う相手の情報もほとんどないのだ。依頼文と、件の幽閉塔の場所以外何も分からない。依頼の対価は必ず支払う、という記載があるため受ける気ではいるのだが。ここまで情報が少ない依頼は初めてだった。

 しかし、とにかく動いてみないことには仕方ない。攻撃魔術の大家として名高いその家に飛び込む算段を立てはじめた。

 

……その道程はともかくとして。

 今回の依頼も受け、幽閉塔の名に恥じない物々しさを持ったその塔にアーサーは潜り込んだ。そして、無数に仕掛けられていた古今東西の防護魔法や守護者を倒し、進んだ先。


 ようやくたどり着いた先に、大きな磔刑台に磔になっている少女がいた。


 八本の黒槍によって体を壁に縫い留められた姿は、見ているだけで同じ部位が疼くほどに痛々しい。周囲に散らばった大量の本や書類も黒い血に汚れ、床に貼り付き、隙間風に揺れている。鈍く、淡く、そして不規則に光る魔法陣が周囲に刻まれていた。


 思わず目を、そして依頼主とこの家を疑った。

 それでも依頼は果たさなければいけない。この数年の便利屋としての生活が植え付けた使命感がそう囁き、それに突き動かされるように少女に近づいていく。

 息はあるようだ。というよりは、周りの魔法陣によって生かされているというべきか。

 少女まであと一歩、と迫ったところで。

 不意に、その顔が持ち上がる。


「あなた、が……便利屋……?」


 喋れると思わなかった。

 そしてそれ以上に、ここまで衰弱していながらも失われない美はあるのかと驚かされた。


「……ああ。依頼でここに呼ばれた便利屋は俺だ。依頼主の事を知っているのか?」

「あなたに、依頼が、ある」


 こちらの返答と質問に対する答えはない。

いや、答えるほどの余裕が無いのか。僅かな言葉を発するだけで、少女の喉からは空洞音のような息漏れが聞こえてくる。

 一拍、少女が小さく息を吸い込んで。


「私を、理想郷まで、連れて行って、欲しい」

「理想郷? ……いや、いい。詳しく聞くのは後だな。ただ、これだけは答えてもらうぞ」


 少女が、アーサー・トラヴグルという便利屋の依頼者であるのなら。

 直接の依頼者でないにしても、依頼の内容を知っているなら答えられないはずの問いを投げかける。


「お前が俺に支払う対価は、なんだ」


 タダでこき使われないように求めているだけ。それでも軽んじるべきではない、依頼を受けるに足る対価を提示してみろ。そう、どう見ても死にかけのような少女に問う。

 その問いを待っていたように、少女が再び口を開いて。


「あなたに死を」


 アーサーの目が見開かれる。


「私が生まれながらに持っている、呪いで。必ずあなたを殺してみせる」


 ……この際、なぜこの少女がアーサーの最も求めるものを知っているのか、という疑問は関係ない。とりあえず助けて、その後で聞けばいい話だ。

 それが対価であるのなら。俺は、心底憎悪している人間にだって傅こう。

 ここに二人の契約は成り、少女は幽閉塔からの脱出を成功させた。


 アーサーは放浪の便利屋吸血鬼という立場から、一人の少女の従者になり。シャーロット・ラ・トゥールと名乗る少女と共に、理想郷を目指す逃避行を始めるのだった。


 とまあ、そんな風に出来上がった異色の主従がこの二人である。

 起源も境遇も違えば、過ごした時間も三ヶ月。シャーロットの魔術で存在そのものに枷を何重にも嵌めることで、吸血鬼としての力をほとんど封じ込めつつではあっても、アーサーが本能的に他人に憎まれることはなくなった。

 シャーロットも短時間であればちゃんと歩けるくらいには筋力を取り戻し、ようやく外でも主従としての体裁を保てるようになっただけ良いくらいなのだろう。


 ──これは、そんな二人による、逃避行の物語。

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