転生者に対して魔術に関する23の原則を教える

@Namastation

第一話

 雲海を下から二、三層ほど突き抜けた先の遥か上空。


 日は西の方角に傾き始めてからもう久しい。


 雲を朱に染めていた陽の光も、徐々に暗がりへと飲まれていく。


 その中空には黒い影がいくつか浮かんでいるのが見える。


 それらの影は"空挺クウテイ"と呼ばれる、飛行する船であった。


 そのうちの一つ、船の甲板には巨大な動物の死骸が横たわっている。


 この動物というのは、飛竜だった。


 飛竜は、人々の生活圏からは程遠い高度の空にある"竜巣リュウソウ"に生息している。


 飛竜の鱗、爪、牙、心臓や眼球は、この世界において高価な貿易品として、日夜売買取引が行われていた。


 これらの貿易品は高価ハイリターンな分、当然手に入れるには相応の危険リスクを伴う。


 それを承知で空挺に乗り込み、これら飛竜に果敢に挑むのは"竜狩り"の役目だ。


 専門家である彼ら竜狩りであっても飛竜を相手取るのは尋常のことではなく、犠牲者は後を絶たない。


 しかし報酬はその分ため、この世界で生業としている者は少なくなかった。


 日が暮れ始めると、仕事を終えた竜狩りたちを乗せた空挺は、その高度を徐々に落としていき、自分たちの停留先である宿街やどまちまで降りていく。


 ほとんどの空挺ではこうして宿街への帰路の最中に、日中に捕らえた飛竜の解体作業を行う。


 ところで、竜狩りは狩猟者であると同時に、科学者の側面も持つ。


 秀でた竜狩りはその知識、良識も兼ね備えているものである。


 飛竜の肉体的構造、行動科学、さらには空挺を扱うにあたって優れた航空術をも自身に見出す必要がある。


 よって、名高い竜狩りの乗る空挺の一団は、狩猟の時間も短ければ、こうした解体作業も素早く行い、良質な素材を市場に流すことができる。


 この区域では指折りの竜狩りである"エリアス"の一行も、まさに本日捕らえた飛竜の解体作業の真っ只中であった。


「やっぱり"バスキア種"の子供ですね...おそらく成竜の群れからはぐれてしまったんでしょう。我々からすれば好都合ですが」


 解体作業を見守るエリアスにそう語りかけるのは、飛竜の素材を専門に取り扱う商人だ。


 彼のように竜狩りに同行する商人も今では珍しくない。


 当然同行するとなれば飛龍に襲われる危険こそあるが、そのリスクと引き換えに、他の商人よりも優先して彼らとの交渉を図ることができる。


 "商人根性"というのも、竜狩りからすればいささか馬鹿にできないところがあり、こうした商人は一目置かれる。


「...この狩猟期でバスキアは何頭目だ?」


 エリアスは商人の言葉を尻目に、近くにいた乗組員の一人に尋ねる。


「えーっと、先月"ネクロベルグ"の一行が1頭持ち帰ったので、これで4頭目ですね」


「少ないな」


「えぇ。もうすぐ休眠期だというのに...やはりこの間の"脈路暴走"が要因ですかね」


「...昨季の繰越分で、なんとか今期は凌ぐしかない」


 神妙な面持ちのエリアスは、昨今の"不猟"に頭を抱えざるを得なかった。


 つまり例年に比べ、圧倒的に飛竜の捕獲量が減少したのである。


 飛竜を狩猟できる時期は一年の間でもごくわずかの期間であり、それを"狩猟期"と呼ぶ。


 期間がごくわずかなのは、飛竜が空挺の届く空域にまで姿を現すのが、気温のごく低い真冬のみのためである。


 気候が温暖になると、飛竜はより高い高度にある竜巣域に籠る。


 狩猟期が終われば"休眠期"に入り、その間竜狩りたちは捕獲した飛竜の分の稼ぎのみで次の狩猟期まで食いつながなければならない。


 つまり"不猟"というのは彼らにとって致命的な出来事であった。


「"脈路暴走"っていうと、この近くが発生源って言われてたやつです?他の区域まで被害があったって聞きましたが、本当だったんですね?」


 商人がわざとらしくエリアスにそう話しかける。


 竜狩りに気に入られるのも彼ら商人の立派な仕事の一つだった。


 しかし、エリアスはこうしたに関してどうも胡散臭いと感じる節があり、自分たちの生活できる最低限の取引以外は引き受けないようにしていた。


 それでも優秀な竜狩りであるエリアスのもとには、同行を願い出る商人が後を絶たなかった。


「...何が理由であれ、俺には竜を狩ることしか能がない。残り少ない期間だが、皆よろしく頼む」


 物静かなエリアスの言葉ではあったが、空挺に乗った全ての竜狩りがその言葉に豪快な返事を交わした。


 彼らは皆、誰よりもエリアスを信用しており、憧れ、共に命を預けあった仲間であった。


 エリアスは、そんな彼らを守り切り、全員を家族のもとへ帰すという責任がある。

その重責を一身に受け、時に誇りとして危険な職務を全うし続ける。


 そんな彼の誠意は形となって現れ、本日もこの目の前の飛竜を捕らえるにあたって被害者はゼロ。


 不猟の不安を跳ね返すように、皆生き生きと解体作業にあたっていた。


「あのっ!エリアスさん!!」


 その時、作業にあたっていた乗組員の一人が、エリアスに切羽詰まった様子で声をかけた。


「ちょ、ちょっと来てください!!」


 狩猟が順調だっただけにエリアスは嫌な予感がしたが、慌てることなく、ゆっくりと呼ばれた場所へ赴く。


 そこでは飛竜の胃袋を解体している最中であった。


 飛竜には胃袋が6つあり、たとえ子供の竜であっても成人男性を何人も丸呑みできるほどの大きさだった。


 胃袋の解体に際しては、つながっている食道と腸を結紮けっさつし、胃の内容物が漏れないようまず本体から剥離する。


 その後、内容物を洗浄し、処理をするというのが一般的な流れであった。


 今はまさにその内容物の洗浄作業中であったが、エリアスはその様子をひと目見て、違和感に気付いた。


「...生きてるのか?」


「はい、飛竜の胃酸なんてまともに浸かったら全身ヤケドでは済まないはずですが、おそらく無傷です...」


「おい!誰か手伝ってやれ、引っ張り出すんだ!」


 エリアスの呼びかけで集まった数人で、胃袋の中から"それ"を取り出す。


 その様子を遅れて見にきた商人は悲鳴をあげた。


「...ひっ!!!っ!!!」


 それは紛いも無い、生きた"人間"だった。



 §



識別票タグは?」


「ありません。おそらく竜狩りでもないかと、初めて見る顔です」


 全身を洗浄され、空挺内の簡易ベッドで寝かされたその"青年"は、白く美しい髪の持ち主だった。


 衣服は着ておらず意識は未だ戻らないが、呼吸もあり、驚くべきはその身体に傷一つないことであった。


「商人の界隈かいわいで、この顔を見たことはあるか」


 エリアスはほとんど初めて、同行の商人に自ら話しかけた。


「...い、いえいえ!わたくしめも始めて見る顔です。"支部"の人間であれば私の知るところではありませんが、少なくとも同行商人の中にはおりません」


「だろうな、こんな若くして空挺に同行する商人は普通いない」


 飛竜の胃袋にいたということは、当然飛竜に食われたということになる。


 しかし、竜巣とごく限られた中空にしか姿を表さない飛竜に食われるには、竜狩りとして空挺に乗り込むか、商人としてそれに同行するしかない。


 なぜなら、人の居住区域のような低空に飛竜は決して近寄らないためである。


 つまり、そのどちらにも該当しないで胃袋から姿を現すことはエリアスにとって不可解なことであった。


「にしても、どうしてこんな綺麗な体で胃に入っていたんでしょうか」


「"術式"だ、加護がかけられてる」


 エリアスは、乗組員からの問いに対してそう冷静に分析した。


「"術士"が絡んでるということですか?なんのためにこんなこと...」


「わからんが、案外こいつが目覚めてから話を聞いた方が早いかもしれん。ひとまずこのまま港まで下降し、"マルチエンド"のところへ連れていく」


 マルチエンドはこの区域で名高い"術士"であった。


 術士とは、一般に"術式"を扱う者のことを指す。


 術式というのは、導術や幻術とも言われ、"人間の思考を具現化する"ことを総称してそう呼ぶ。


 術式の扱いに長けていることが、この世界においては極めて重要な素養であり、ありとあらゆる事象の根底に術士、もしくは術式が関わる。


 エリアスも術式の腕は相当立つが、マルチエンドはそれ以上の実力ある術士であった。


 また"彼女"は医者でもあることから、エリアスはこの青年をそこへ連れていくことを決めていた。


「にしても白髪の青年なんて薄気味悪いですね、いや縁起が悪いとでも言うべきか...」


 商人はまたしても軽口を叩く。


 しかしエリアスは、その言葉を聞いて納得の表情を浮かべていた。


 この世界において白髪の若者というのは"悪魔の象徴"であると言われている。


 無論、遺伝的に色素の薄い毛髪で生まれてくる子どもは多くいるが、集団環境ではどうも皆、煙たがる印象がある。


 伝説上の悪魔の話を真に受ける者は少ないが、"縁起が悪い"という商人の表現は言い得て妙である。


 災いをもたらすと言われる飛竜の腹から出てきたことも、何か意味があるのか。


 エリアスは、より神妙にならざるを得なかった。


「エリアスさん、まもなく到着します」


「あぁ。解体は終わってるな?」


「はい、明日すぐに市場に流します」


 その声に、同行の商人はわかりやすく顔を綻ばせる。


「毎度贔屓にありがとうございます。仔細な取引は明朝またお願いいたします」


 商人がそう言って仮眠室を出たのを皮切りに、空挺内の乗組員たちは下船の準備を一斉に始めた。


 エリアスも、商人と乗組員たちが部屋を出て行ったのを確認し、寝たきりの青年を一瞥すると、部屋を出て行こうとした。


 しかし、その時、突如としてエリアスの大きな"負荷"がかかる。


「っ...!!!」


 負荷の正体はわからない。


 しかし、まるで背中に巨大な岩が乗っかっているかのような衝撃をエリアスは感じた。


 刹那の出来事だったが、エリアスはその一瞬が永劫に感じた。


 まるで圧縮された時間が一度にエリアスにのし掛かったかのような、そんな感覚だ。


 そして、その正体不明の負荷の根源、その出所をエリアスはすぐに理解した。


「お前は...一体何者なんだ」


 横たわる青年にそう言葉を述べるエリアス。


 意識は依然戻らないままだ。


 しかし寝たきりの彼がいる場所から、凄まじい"脈拍"をエリアスはその身に受ける。


 部屋の外で準備をする乗組員たちは、そんなエリアスに気付かず、その脈拍すら感知せずに作業を進めている。


 これはエリアスたちが後に知りうることだが、つい数日前に発生した大規模な"脈路暴走"。


 その原因が、紛れもないこの青年である。


 この脈路暴走によって、全統治区域を取り囲む大氷山は七ヶ所に巨大な穴が空き、第二統治区域の半分が壊滅した。


 この脈路暴走は史上最大規模の災害であったが、その間数日にわたり上空で狩猟を行なっていたエリアス、同行の商人、乗組員たちは此度の帰港までその被害状況を知らず、伝報でのみ暴走の発生を知ったまでであった。


 その発生原因はこの段階では当然知れず、青年自身もその事実に気づくのはまだ先の話。


 未だかつてない動乱が、今巻き起ころうとしていた。

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