16 多重人格

 セピアは「食料がないことを知ればパニックになる。だから皆が自然と気付いた後に、食料調達の提案をしたい」と告げた千晶と別れ、廊下に出た。


 窓から見上げた空は銀色。明るく仄暗い。それが次第に明るさを失い、僅か数分で暗くなった。


 おそらく夜が来た。ボロボロの黒い画用紙に画鋲で穴を空けたような味気ない星空だった。


 セピアが足早に向かうのは体育館だ。

 誰にも姿を見られていないことを確かめてから体育館の壇上脇の鉄の扉を引いた。


 ギギギ、と金属の擦れる耳障りな音が響いた。


 用具倉庫の奥。暗闇に座り込む怪物の姿が星明りに浮かび上がる。


「カネ少年。すまない、手間取ってしまった」


 化け物の正体はカネだった。


変身フラッシュ〉してしまったあの時から数時間が経つ今も、元の人間の姿に戻れずにいる。


 彼は不機嫌に鼻を鳴らしたが怒ることなく、と言っても仏頂面で「そばまで来ねえとあんたの顔見えねえ」とセピアを招き入れた。


 カネの鋭い視線はセピアの背後に注意を配るためのものだろう。

 人一倍警戒心が強い彼の本質が変わらないことが僅かな希望だ。


 セピアはつい耐え切れなくなって口火を切った。


「カネ。今更なのだが、その、君は私を軽蔑しただろうか?

 サーカスで結美たちが争った時、私は皆を見捨てた。君の妹も、友人すらも、きっと死ぬだろうと分かっていて放置した。君が戻りたがった時だって引き留めた」


「別に」


 カネはもどかしそうに口を尖らせた。


「見損なった――とかは言うつもりないし。てか、そもそも見損なうほどあんたの人間性に期待してなかったし」


「うぐっ……」


「でもあの状況で俺を守ろうとしてくれたんだろ? なら、最初に会った時『養おう』って言った言葉は信用できるって思った」


「……そうかね」


「でさ、俺は早く元の街に帰りたい。妹を見つけて帰してやりたい。ここも、まあ面白そうだけどさ」


 こんな殺伐とした世界をあっさり「面白そう」と評するカネに複雑な思いが生まれた。


 だが、妹を探す、その目的は理解している。

 どれだけカネにとって重要かセピアは感じ取れている。


 懸念があるとすれば、


「『妹を見つけて……』と君は言うが、もしかすると君の妹はもう……」


「生きてる」


 間髪入れずカネ少年は断言してみせた。

 姿が骨の怪物になろうが変わらない、曇りのない瞳を見て、彼が強がりで言っているのではないと分かった。


「生きてる。咲来サキは無事だ。あんたから咲来の匂いがするのがその証拠だ。逃げてきた人間の中に妹もいる」


 カネの目が急に鋭くなった。

 彼がそうするだけで、僅かにセピアの周りの空気の重さが増した。


「これは、俺を守ろうとしたあんたのことをもっと知りたいって思ったから聞くんだけど、急にあんたの様子がおかしくなったのは何?」


 サーカステントの戦いから逃げた直後のことを彼は指していた。カネからは、セピアの様子が急におかしくなった、と受け取られているはずだ。

 そのことを単刀直入に聞かれた。


 セピアは視線を泳がせた。いきなり核心を突かれて動揺を隠せなかった。


 そして、深呼吸をした。

 誤魔化し切れないだろう予感と、誤魔化したくない本音が喉を内から強く引っ掻いた。


 一度自分を落ち着け、打ち明ける覚悟をして

 ――『交代』した。


「……それって僕に気付いたってこと?」


 セピアが酷薄そうな薄ら笑いを浮かべると、カネが目を見開いた。


「あんた誰?」


 警戒を露にする。


「あんた、ではなく、『ファイ』と呼んで欲しいな。お察しの通り僕はセピアの記憶を引き継いで君と会話してるけど、セピアとは別人だ」


 カネは続きを促すように顎を動かした。怪物の姿だから動きのニュアンスが分かりづらいが、多分おそらくそうだろう。


 セピアは――ファイは続けた。


「なんて言ったらいいかな。まあ初めから上手く説明出来やしないことだからセピアもずっと黙ってたんだろうね。

 勿論僕だってこの手の説明を得意としてるわけじゃないんだ。ただほらセピアよりは人付き合いを経験している分、僕ってお喋りだからさ。

 え? 人付き合いとお喋りに因果関係はない?

 それはどうかな。僕の考えでは……」


「おい! ピーチクパーチク一人で喋ってんじゃねえぞオウム野郎」


「おっと失礼。話が脱線してたね。

 えーっと、そうそう。僕らが人格を『交代』できるって話だったね。

 昔から、こういうことが僕らの中では起こるんだ。僕はセピアであって、違う自我を持っている。

 ……セピアが辛くて耐え切れない状況に陥るとこうなってしまうんだ」


 カネは何か考え込むように顎に手を当てた。


「……あんたは悪人?」


「いいや。基本的には世間の人と同じように善き市民でありたいと思ってる。

 それにセピアと同じく君のことを好ましく思ってるよ、カネ」


 これはセピアの――いや、ファイのいつわらざる思いだった。が、その顔に浮かぶのは相変わらず軽薄な笑みだった。


 それでもカネは信じてくれたらしい。


「ファイ。俺もあんたのことを嫌いたいわけじゃねえから」


 ファイはふっと愉快になって――表から引っ込んだ。

 笑みがすっと消えた顔を、カネは口を引き結んで凝視した。


 再び交代して表に出たセピアは、懐かしい声に呼びかけられて、振り返った。


「ああ、サギィさん」


 いきなり別方向を向いたセピアに、カネ少年が怪訝な顔をする。


「あ、誰?」


 セピアの振り返った先に、カネも視線を送ってから何も見つからずきょろきょろする。


 セピアはマイペースに返答した。


「ああ。サギィさんは私と同居している背後霊だ。面妖な人柄でね、仲が良いんだ。この間、家の前で野宿した時も一緒に焚火を囲んでくれたのだ。

 ここは異世界らしいが、こんなところまでついてきてしまったのだねえ。うむ、やはり私の見立て通り地縛霊ではなく背後霊だったようだね」


「霊っ? 霊って幽霊!? え、異世界に来ちゃった系の幽霊?」


 珍しくカネの声が驚きに裏返っている。


「? ああ。幽霊と言えば幽霊だね」


「セピアは、その、幽霊とか、視える人なの? あ、別に俺は怖くねえけど!」


「ああ」


「いやいやいや! 俺は信じねえ! あんた自分の人格に設定盛り過ぎだろ!」


「ああ、いや。私の中の人格たちには視えない人もいるがね?」


 セピアは首を傾げた。


 そして。

 オーロラのたなびくような眩しい夜闇が差し込む倉庫の中、カネの体がふっと浮遊した。


 地面から三十センチほど少年の体が浮く。

 十歳にしても小柄なカネが、長身のセピアと同じくらいの目線まで浮き上がって、


「うひょあああああ……! なっ、何何何!? 脇、両脇に誰かの手が!? 触んな! ちょっ誰!?」


「それは、サギィさんだね」


「離せ! クッソ、触んな! 分かった! 分かったから! 幽霊信じるから! サギィさん信じるからっ……!」


 すーっとカネの体が降りて行き、無事、少年は着地した。

 へっぴり腰……ではなく慎重に腰を落として、警戒心をマックスにする。

 数秒静止して何も起こらないことを確認してから肩の力を抜いた。


 カネは眉にしわを寄せて、天を仰いだ。


「幽霊ってのは分かった。信じるっつったから信じる。……てかあんた、二重人格どころか多重人格かよ……。何人いんの……?」


「そんなに驚くことかね? 君にしては面妖な驚き方だったが。

 人格は……私を含め九人だ。私、冨合ファイたかし、シャーレ、寛太かんた、てつ、しゅう陽彩ひいろ、アルノルト」


「俺、人の名前覚えらんない!」


 セピアは微笑ましさと可笑しさで少し笑った。

 そうすると普段の陰気さが若干薄れることに本人は気付かない。


「そうだろうね。各言う私も他の人格との接触は滅多にない。全人格の記憶を保有しているのはファイだけらしい」


「へー」


 既に興味を失ったような呆れ返ったようなカネの相槌だったが、空気を読まないセピアは喋り続ける。


「勘の鋭いカネ少年ならきっと一瞬で気付いてしまうのだろうね。ファイを一目で私とは別人だと見抜いたように」


 カネが白けたような視線を送るが、セピアは宝石色の夜空を見上げて考えに耽る。


「だが、ふむ、そうだね。

 私は直接話せるのはファイだけなのだがね、そのファイ伝いで話を聞くに人格それぞれに個性があるとのこと。

 もし夜中に暗闇で踊り出したり、男性の医者ばかり誘惑したり、一週間連続でかつ丼をドカ食いしたり、粘土を千切って道路に撒いたり、チンピラ相手に道場破りしたり、伊能忠敬を真似て徒歩で日本一周し出したり、聖書を頭に積み上げジェンガしたりしたら、それは私ではなかろうね」


「……へー」


「ああ、面妖なことだ。以前、千晶が『奇行をすればセピアの仕業』と触れ回り事あるごとに私を揶揄していたのだが、他の人格だって大概だ」


 カネがひくりと鼻を鳴らした。ほんの少し少年の興味を引く台詞だったらしい。


「……ちなみに、あんたはどんな奇行をやらかしてんの?」


「? 千晶がそう言いだしたのは確か……サーカス団員同士の痴話喧嘩の内容をその場で書き起こして作詞した曲を、痴話喧嘩の仲裁をしていた千晶にその場で手渡した日からだね」


 カネは説明を続行するセピアを手振りで押し留めて、重々しく腕を組んだ。


「ぐぅ……んー……あー……。訳分かんない話ばっかだけど、まあいいや。あんたを信じるって決めた以上、あんたの方針決めてよ。俺はそれでいいよ。それに命預けるからさ。

 妹を助ける、あんたがその手伝いをしてくれる限りはな」


 カネの最後の一言には少年なりの脅しが籠っていた。

 そこまで察せないセピアではない。

 セピアはカネの意図を汲んで顎を引いた。


 目的。方針。指針。

 それは最初から――異世界に飛ばされる前から変わらないものだ。

 一つはカネの妹を見つけたいという願いを叶えること。

 そしてもう一つは、


「私の願い。私の、方針か。――カネ、私はね――」


 そうしてつっかえつっかえの言葉でセピアが示した方針に、カネは満足気に口元を緩ませた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る