11 渇色世界の吸骨種たち

 学校玄関に到着してその後、カネが二階建ての建物に匹敵するほど巨大な化け物に〈変身フラッシュ〉してしまう異常事態が起きた。


 セピアとしては異常事態の連続発生で何に驚けばよいのやら感覚が麻痺してきそうだ。


 それはともかく、巨大生物となり地面に蹲って寝てしまったカネ少年を学校内に運び込むことになった。


 カネを運んだのは一見華奢に見える異世界の少女だ。

 オレンジ色の短髪を元気よく揺らしながら彼女は「よいしょっ」の一言で軽々とカネを背負った。


 彼女が人間でないことは察せて余りある状況だったため、セピアはそれほど驚かない。


 もう色々なことに驚きすぎて感覚が麻痺した部分もある――これ、さっき言ったっけ?


 カネのこの巨体では学校の玄関口を潜れない。

 生徒が出入りする靴箱側に回っても無理だ。なにせ教室一部屋分より優に大きい。


 オレンジ髪の少女は躊躇の欠片もなく、カネ少年の体を砕いた。


 正確には少年の体を突き破って生えている無数の白い骨をぽきり、ぽきり、と手折っていく。

 白い骨を折り、砕き、割り、剥がしていった。

 残骸が校庭に撒き散らされる。


 残った物は生物の形をしていた。

 が、グリフォンやバクに引けを取らないほど常識外の幻想の生き物の形だった。


 四足歩行の肉食獣。

 しなやかなチーターに似た体格だが、特徴的な斑点模様の毛皮はない。 ネコ科の肉食動物――目のないチーターの頭部から繋がるやや長い首。


 胸元に人間の顔――どうやら眠っているカネ少年の顔のようだ。少年は穏やかな表情だ。右目を折り切れていない白い骨が突き破る。


 胴体はぬらりと濡れたようなカバの皮膚。

 手足の付け根にある筋肉と胸筋は発達している一方で、あばらの形が浮き出るほどやせ細った腹。

 カモノハシの水掻きの付いた右前腕。鷲の鉤爪の左前腕。虎の右後脚。馬の蹄の左後脚。後脚の付け根に魚のえら。

 グリフォンのように背中から生える子供の肩から下の両腕。広げた姿がまるで鳥の翼の骨組みだ。

 背は折られ切っていない骨が残ってアンキロサウルスの鎧のようだ。

 ぴんと立った猫の耳と尻尾だけ毛に覆われているもののフィルムのように半透明。


 風景を白く反射する淡雪のような骨を突き出した、金平糖色の体表。足先と尻尾の先は黒い。


 神々しいまでの異形。


 オレンジの少女は、ぽきりぽきり、とその異形の体に生える骨を折る。

 海岸のゴミ拾いのように単調な作業を楽しげに。


 彼女が骨を手折る作業を繰り返すうちに、元カネ少年の体は全長二メートルほどの四足歩行の生き物、くらいのシルエットに収まった。


 セピアは最初その姿を「猫」と表現したが、どちらかと言うと「豹と人間のキメラ」が正しいかもしれない。

 なんて言っておきながらそんな正確性は重要ではないが。




 セピアの方針としては取り敢えず案内役のオレンジ髪の少女に従うつもりだった。


 右も左も分からない異世界で放浪を続けるよりは、事情の分かる異世界人に色々聞きたい。


 カネ少年のこの状態にも何かしら心当たりがありそうな様子だった。


 がらんどうの教室。


 ざんばらオレンジ髪の元気少女は、四足歩行の豹っぽい生物――カネ少年が床に寝てしまうのを見届けると、セピアに申し出た。


「まず、ここがどういう場所で、うちらが何者なのかちゃんと説明したいな! あ、と言っても人間や人間界と比較しながらの説明になっちゃうけど」


「というと?」


「だって、もし君が『人間って何者ですか?』って直球で質問されても答えられなくない? でも『他の動物と人間はどう違いますか?』って質問されたら答えられるでしょ? うちらもおんなじ。だから比べながら話すね」


 セピアは罅割れたリノリウムの冷たい床に胡坐を掻いた。


 丸まって寝る肉食獣と化したカネを背に庇うように少女と対峙して、奇妙に軽々しい笑みで少女の言葉に首肯した。





 少女の説明によると、ここは人間の住まう地球と少し異なる、別世界らしい。


 オレンジ髪の少女はここを「渇色世界」と呼んだ。

 黒みがかった茶色という意の「褐色」ではなく、渇望の色で「渇色」だ。


 そしてここは、ほんの十五年前に生まれた世界なのだ、と続けた。


 年号が変わってからとか、町が出来てからとか、国が出来てからとか、種族が生まれてからとか、文明が発生してからではない。


 世界が出来てから僅か十五年なのだ。

 惑星一つ完成して十五年しか経過していないのだ。

 最もこの「渇色世界」が惑星か別次元の何かなのかも分からないが。


 確かに、急速に発達しすぎたせいか、世界の隙間や歪みが端々に見える気がする。

 世界として未成熟な、不完全な在り様。

 普通に空気があって呼吸出来るのも不思議なくらいだ。


 世界総人口は七名。


 彼らは「吸骨種」と名乗り、その字面通り蒙昧な人間の骨を吸って生きている種族だとか。

 七人の人食いが跳梁跋扈するのがこの世界ということになる。


 オレンジ髪の彼女も吸骨種だと言う。


 日本語は、かつて渇色世界にいて今は滅びた吸血鬼という種が最初に使い始めて皆に定着した、と説明された。


 生まれてほんの十数歳の彼らは異世界からやってくる人間の骨を主食にしていても、殺めている自覚はなかった。


 彼女は背中を指差した。


「うちらは、左右十二対の肋骨、頸椎、胸椎、腰椎――ざっくり言うとあばら骨と背骨辺りが急所なんだ。ここを傷つけられると生きられない。逆にここさえとってあれば、例え粉々の砂状になっても何度でも生き返る」


 外見は似ていても生き物としての在り方は徹底的に異なるらしい。

 従来の世界なら当たり前の物理法則すら通じるか怪しくなってきた。


「だけど人間は違う。骨だけ残っててもそれは生きてることにならない。うちらはそれを知らず、人間の脳や心臓含めた内臓を取り除いて骨を食べてたんだ。

 あばらや背骨で物を考えるうちらは脳なんて鼻水を作るだけの器官だって思ってたくらいなのに、それが人間にとって重要なんて」


「古代エジプト人かい?」


 セピアが首を傾げてぼそっと苦笑する。


 人を殺めて食べていたことを自覚し、純粋な彼女らは罪悪感に襲われた、という話が続いた。


「だからうちら――うちとユミちゃんとシュウくんの三人は今回魔女の邪魔をするって決めたんだ。人間を殺めていると知りながら狩りを続ける魔女をね。

 吸骨種は昔からサーカスを狩り場にする。魔女はあのサーカスの舞台を今日の狩り場に決めて、君たちを襲ったんだ。君たちは餌場に選ばれた舞台に偶々迷い込んだ被害者だよ」


 思わずセピアは口を挟んだ。


「骨を吸われた人間はどうなる? 骨を吸われた皆が死んでしまうのだとすれば、なぜ一度『骨抜き』にされた僕たちは生きているんだい?」


 彼女は「ああ、そのことね」とひょいと肩を竦めた。

 初対面の元気一杯好奇心旺盛な印象は覆され、理知的な仕草に見える。


「『骨抜き』と『骨吸い』は全く別の話だからね。『骨抜き』されただけじゃ人間は死なない。それだけ覚えておいて、詳細はまた今度」


 説明すると言っておいて、彼女はこの説明を先送りにした。


 その不可解な態度にセピアは首を傾げつつ、続く言葉を待った。


「この世界と、うちら吸骨種の話はここまで。

 そして今から、君たち――この世界に囚われた人間にとって最も重要なことを伝えるね」


 心なしか彼女は緊張していた。

 勘繰り過ぎでなければ、セピアの反応に対する微かな怯えが潜んでいる気がした。


「君たちはこの渇色世界で長く生きられない。人間によって個体差はあるけど、大体寿命一か月が限度だよ」


 寿命が……たった一か月……?


「かろうじて、解決方法は一つ。私たち吸骨種の餌になる――つまりは家族になって永遠にこの渇色世界で暮らすこと。

 そんで、この解決方法はクソだよ。実は何の解決にもなってないから。その全部にクソ食らえって抗おうとしているのが、――できれば君たち人間を元のお家に帰してあげたいって思ってるのがうち、って覚えててほしいな!」





 全ての説明を聞き終えて、セピアは深く深く溜息を漏らした。

 そして一言、疑問を呈した。


「ところで、君のお名前は?」


「……はぇっ? うち、さっき名乗らなかったっけ?」


「そうだね。でも君の自己紹介を聞いたのは『セピア』であって、僕じゃなかったんだよねえ」


 少女はパチパチと瞬きをした。

 疑問符を浮かべて口を尖らせるが、徐々に表情が解れ、人懐っこい笑顔になる。


「うちは朔耶! 紀京朔耶。仲良くしたい……ってこの間までそうとは知らず人間を殺めてたやつが言うの、虫が良いんだけどさ。でもやっぱり仲良くしたい!

 君は? あ、さっきそっちの寝てる子が『セピア』って呼んでたっけ?」


「ああ。いや……」


 セピアは気もそぞろに、後ろめたさを一瞬紛らせて、しかしすぐに薄く笑みを張り付けた。


「良ければ、今だけは僕のことを『セピア』ではなく、『ファイ』と呼んで欲しいかな」





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