第57話 ユーリル④
春休み半ば。ライシャ様に連れられてオルバート様の部屋を訪ねたところ、そこには当然ながら先輩もいた。どうやら私たち使用人に話があるらしく、並んでオルバート様とライシャ様の対面のソファーに座らされる。主人二人の表情は、慈愛と緊張が入り交じったものだ。
「二人共、明日は何も予定が無いだろう?」
「……そうですね、オルバート様とライシャ様に何も無ければ」
「いや、何も無い。──俺たちは大丈夫だから、二人で買い物に行ってくれないか?」
「買い物、ですか?」
オルバート様の頼みに、先輩は怪訝そうな声を発した。一方の私は、このくだりに既視感を覚えた。そう気づいてしまえば、オルバート様が何を言わんとしているのか推測が付くというものだ。二人の緊張の理由も察せられる。問題は、私の隣にいる朴念仁がその目論みに乗るか否か。きょとんとしているが、主人たちはあなたのために言っているのだと教えてやりたい。
今度は、ライシャ様が息を吸った。
「新しい刺繍糸が欲しいんだ。他にもお菓子とかを買ってきてほしいんだけど、二人で行ってくれる?」
「構いませんが、他の使用人では駄目なんでしょうか……?」
「うん。できれば、リュードとユーリルに行ってほしいな」
ちら、とライシャ様は私を見た。その隣のオルバート様は、強張った笑顔で先輩を見詰めている。正攻法では断られるか気を遣わせるかだと考えたからこの方法を取ったのだろうが、それで頷く先輩ではない。私が反対しなければ、先輩はてこでも動かないだろう。
「先輩、行きましょう。わざわざ私たちに頼むってことは、それだけ欲しいものなんですよ。そうですよね?」
「うん!リュード、ユーリルと一緒に行ってくれる?」
「朝に出かけて夕方に帰ってくればいい。昼食は向こうで食べてくるように。お金は持たせるから、自分たちも好きなものを買ってきてくれ」
「……分かりました」
三人掛かりで説得すると、先輩は渋々といった様子で了承した。一体、どれだけオルバート様から離れたくないのか。
先輩が抱いているのは、オルバート様は自分がいないと駄目だから、という慢心ではなく、何かあったときに自分が守らないと駄目だから、という自己犠牲の精神だ。オルバート様に全てを捧げ、オルバート様のためなら死をも厭わないだろう。その覚悟は以前に比べれば鳴りを潜めているとは言え、いざとなればまた表に出てくるに違いない。先輩は確かに変わったが、その不安を解消してくれることは一生ないだろう。
──翌日。朝食を終えて支度を済ませた私と先輩は、屋敷の裏口で落ち合った。
「……誰に用意してもらったんですか?」
「侍従長がくれた。やっぱり、変……?」
「いえ、よく似合ってると思います」
今日のお使いは休暇と同義なので、私たちは私服だ。私が着ているのは、青紫色のボウタイブラウスと灰色のミニスカート。武装は手首と太もものみに留め、靴は黒色のローファーにした。タイツを履いているとは言え、我ながら際どい格好をしている。下手な路地に入れば、下世話な人々が手を出そうとするだろう。無論、黙ってやられるつもりはないが。むしろやる。いや、殺る。
一方の先輩は、頭が良さそうな出で立ちだ。水色のシャツの上に生成り色のニットベストを重ね着し、藍色のスラックスと茶色の革靴を履いている。その顔立ちは可もなく不可もなくといったところなのに、色彩がいい感じの雰囲気を無駄に演出していた。道端でぽつんと立っていたら、ペット募集中の女性から声を掛けられそうだ。実際、行き来している使用人の何人かがちらちらとこちらを見ている。良くも悪くも、先輩は他の使用人から視線を集めやすい。嫌なそれは年々減ってきているように感じられるのも事実だが、先輩がそれを正しく実感しているかは定かでない。
王都の商業区には、色とりどりの人と賑やかな声が溢れている。中心である王城に近づくほど富裕層向けの店が並び、ざわめきは幾分か小さくなる。ライシャ様のお使いということでそちらへ進もうとしていた先輩だが、私が引き止めると不思議そうに振り返った。
「どうせ夕方まで帰れないんですから、この辺で時間を潰しましょう」
私は先輩を引っ張って適当な店に入った。平民でも頑張ればぎりぎり買えそうな値段を提示するここは、アクセサリーショップだ。手作り感満載の歪なパーツをしており、良く言うなら愛嬌がある。なお、私も先輩もこういうものには興味が無い。ただ、珍しいものという点では関心を抱く。
手近なイヤリングを手に取ったこちらを見て、先輩も同じように商品を物色し始めた。その視線が注がれているのは、琥珀色の飾りが付いたネックレスだ。そして、その右手は己の胸の辺りを触っている。胸騒ぎがした私は、イヤリングを放ってそちらに行った。
「痛むんですか?」
「え?いや……」
いまいち私の問いが分かっていない様子で、先輩は首を横に振った。どうやら、体に不具合が生じたわけではないらしい。人知れずほっとした私に向け、本物なのかと思って、と先輩は続ける。このネックレスの価値がそれほど気になるのだろうか。私はそれをつまみ上げ、偽物ですね、と返した。琥珀にしては透明度も重さも妙だ。すると、そっか、と先輩は素っ気ない相槌を打った。その右手は、胸元を軽く握っている。いや、服の下にある何かに触れているのだろうか。もしかしたら、ネックレスでもしているのかもしれない。オルバート様からもらったのだろうか。──あるいは、肉親から受け継いだか。
冷やかしを終えると、私たちは隣の雑貨屋に移った。ハンカチの他に、大小様々なぬいぐるみが陳列されている。やけに完成度が高い猫のぬいぐるみは、刺繍で肉球が表現されていた。
ライシャ様に誘われ、私は刺繍を始めた。正直なところ、面倒臭い。ちまちまと糸を縫いつけていく作業は代わり映えしないし、裏側は気色悪い。当初の意気込み通りクッションカバーを作ってはいるものの、完成したところで私は何の感慨も抱かない気がする。続けているのは、ちょうどいい暇潰しになるからだ。それに、私に教えるライシャ様は生き生きとしている。ウィスティア様の面倒も進んで見る人なので、誰かの世話を焼くのが好きなのかもしれない。いや、普段守られているがゆえの憧れがあると言うべきか。
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