第27話 十八歳②
一階は倉庫として使用しているそうなので、二階から回っていく。このフロアには、食堂やシガールームなど、一家と客人が集まる場が設けられているらしい。高位貴族の邸宅らしく、絵画や彫刻が展示されているギャラリールームもあった。ふと、そのうちの一角に目が留まる。ツーヴィア公爵一家の肖像画が並んでいる中、たった一枚の絵だけに描かれている青年がいた。ツーヴィア公爵令嬢とツヴァイン侯爵令嬢の二人と共に、三人で額縁に収まっている。白銀の長髪に空色の虹彩を持つ、人が良さそうな人。
「以前の婚約者なの。ペティカのお兄様でもあるわね」
俺の視線に気づき、ツーヴィア公爵令嬢は説明してくれた。オルバート様とライシャ様もこちらに注意を向ける。
「二人が捜してる人だよね?」
「ロディヴィー・ツヴァイン侯爵子息だったか」
「ええ」
絵画の三人は、皆一様に穏やかな微笑みを湛えている。向かって左側に布で目元を隠したツーヴィア公爵令嬢が座り、その斜め後ろにツヴァイン侯爵令息、最も右側にツヴァイン侯爵令嬢。いとこだと言うが、随分と親しい仲だったようだ。婚約関係にある二人は肩と手の平で触れ合っているし、主従の二人も自然体で並んでいる。写真ではなく絵で残したのは、描いてもらう楽しみを分かち合いたかったからではないだろうか、そうこちらが想像してしまうほど幸せそうな一枚だ。
ところが、俺はこの作品に引っかかりを覚えた。いや、ここに描かれているツヴァイン侯爵令息に、だ。何か、違う。どこかが違う。俺が知っている人物と、よく似ているのに似ていない。しかし、一体それは誰のことだろうか。俺の記憶に、ロディヴィー・ツヴァインという人物との接触は無い。それにも関わらず、見れば見るほど違和感は大きくなっていく。
「──リュード?」
「いえ、何でもありません」
ぐずぐずと絡まった思考は、オルバート様の声によって放り投げられた。極めて冷静に首を振った俺は、ぞろぞろとこの部屋を去る一行の後を追う。
三階に構えられているのは居室だ。ツーヴィア公爵一家はもちろんのこと、専属侍女であるツヴァイン侯爵令嬢の私室もここにあるそうだ。客人用の宿泊室は、渡り廊下で繋がれた隣の建物に用意されている。実際に泊まる部屋を見せてもらったところ、大きなストーブが設えられた淑やかな内装だった。俺とユーリルの寝室も続き部屋に用意してくれたおかげで、夜間の番が堂々とできそうだ。オルバート様たちが話し込んでいる間にユーリルと打ち合わせ、日替わりで寝ずの番をすることにした。主の友人たちを信用していないわけではないが、くだらない油断で危機を許したくもない。
到着したのが夕方近くだったので、邸内の案内が終わると今日は休むことになった。オルバート様とライシャ様はツーヴィア公爵一家の晩餐に招かれ、チーズやバターがたっぷりと使われた夕食をおいしく楽しんだようだ。
寝る前のひととき、俺はユーリルと廊下で落ち合った。オルバート様とライシャ様は、室内でお喋りに興じている。どうやら、明日の街歩きへの期待が高ぶっているらしい。
「この屋敷、壁が厚いですね。あと、寒くて手元が狂うかもしれません」
「怖いな。一本、貸そうか?」
「いえ、刺す用もあるのでいいです」
それより、とユーリルは俺を探るように見た。
「最近、こそこそ何してるんですか?」
「いや、何もしてないけど」
「すみません、寒くて手元が狂います」
「ストップ!分かった!話すから!」
大きく振りかぶったユーリルの右手に握り締められているのは、普段使いのニードルよりも先端が格段に尖った針だ。完全に突き刺す気だろう、抜けないほど深くまで。しかも、俺の頸動脈に狙いを定めている。その薄紫色の双眸に苛立ちがにじんでいるのは、俺の気のせいではないに違いない。ユーリルが袖口にそれをしまうのを見届けてから、俺は重い口を開いた。
「……魔法学の教授と会ってる」
「シドラ・ジャウラットでしたっけ。ほぼ毎日、何のために?」
「実際に会ったのは二回だけだよ。一回目が五月で、二回目が十月。オルバート様に興味があるみたいだから、理由を探ってる」
あながち嘘ではない。ジャウラット教授は、オルバート様の害悪になる危険性がある。最後に会ったときは、戦争という不穏な話題をおぞましい顔で語っていた。あの様子では、たとえ物語と関係ないとしても放っておくことはできない。オルバート様が利用されるなら、俺はそれを阻止しなくてはいけない。
「それ、オルバート様に言う気はないんですか?」
「ない」
「了解です。でも、本人はかなり怪しんでましたよ」
俺が一人になるのは、オルバート様とライシャ様の側にユーリルがいられるときだ。ユーリルからすれば、俺がいないことにオルバート様は並々ならぬ不審感を抱いているらしい。ただし、一月くらいすると吹っ切れたようだが。ちょうどライシャ様とグリック殿下のことに振り回されていた時期なので、俺がおらず余計に不安を煽られていたのかもしれない。今にして思えば、精神面ももっと考慮するべきだった。
はぁ、とユーリルは溜め息を吐いた。壁にもたれ、腕を組んだ姿勢で俺を見詰める。月日が経過すればするほど、俺への態度がずさんになっている気がする。俺の判断に理不尽な異を唱えたことはないから、信頼されている証拠だと受け取っていいのだろうか。この頃は稽古でユーリルが勝つことも増えてきたし、そろそろ先輩としての威厳が感じられなくなっているのかもしれない。尤も、俺に偉ぶりたい願望は無いので構わないが。結果が伴うなら何でもいい。
「とりあえず、どこに行くかだけは共有してくれると助かります、何かあったとき、居場所が分からないと困るので」
「了解。ごめん」
「まぁ、いいですよ」
無茶しないでくださいね、とユーリルは言った。うん、と俺はしかと頷いた。まだ死ぬ気はない。ジャウラット教授と出会い、いっそうそう思う。オルバート様がヴァルド学院を卒業するまで、やはり俺は死ぬわけにはいかない。
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