第41話 空腹の話
七大罪――それは、唯一神が、人間の犯す罪の中でも特に重い罪であると定めた罪の数々。傲慢、憤怒、暴食、色欲、強欲、怠惰、嫉妬。それぞれにそれぞれを司る魔王がいて、諸侯がいて、悪魔たちがいる。
奈落の王、アバドン。本来ならば蝗の群れとしてこの世に顕現するかの王は、今代では何故か鰐頭が生えた人間の子どもの姿をしている。かぱりと無邪気に口を開けば、その結末は同じではあるが。
克洋は、とても空腹だった。内臓が全て空っぽになってしまったような、癒し難い空虚感。早く何かを食べないと、頭がおかしくなってしまいそうだ。
辺りを見回せば、ぎゃあぎゃあ騒いでいる肉の塊が幾つか。あぁ、あれらを食べたら少しはと思ったものの、それらの前に立つ少女がよくない。
あの少女は、克洋を殺せる。殺されるのは、よくない。特に、お腹が空いたまま殺されるなんて、とても恐ろしいことだ。だから克洋は、少女が銃を構える寸前に――もっといい匂いがする場所へ向かうことにした。
跳躍し、割れた窓から教会の中に入ると、その匂いは強くなった。口の中に涎が溜まって、溢れた分が滴り落ちる。だって、こんなにいい匂いがしていたら、仕方ないことだ。
真っ赤な肉の塊が、食べやすそうな大きさで転がっている。手に取り、口へ。おいしい。何度も噛み締めてから嚥下すれば、ほんの少しだけ空腹が治まった。
骨は噛み応えがあって楽しいし、皮と肉の間にある脂の甘さといったら頬が蕩けてしまいそうだ。おいしい、おいしい。そうして腹具合が五分目に差し掛かった時、克洋の前に現れたのは。
「……カツヒロ・オキだな」
「誰だ? ……いや、見たことがある、どこかで」
『エクソシスト』の儀礼服を纏っている、金髪の青年。克洋は、彼をどこかで見たことがあった。だがしかし、そのどこかが思い出せない。そのもどかしさから、きゅう、と喉の奥を鳴らした克洋を見下ろしていた青年は、左右を見回した。
「リーブラは一緒じゃなかったのか?」
「途中まで……途中までは一緒にいた。今は知らない、いなくなってた」
エイジアの行方を聞かれて、首を傾げる克洋。そう、確か、教会までは一緒にいた。けれども、どうしてエイジアと教会に行くことになったのだったか。克洋はまた喉を鳴らして、前肢の爪で喉仏を掻いた。
それにしても、目の前の彼はとてもおいしそうだ。バニラアイスみたいな、甘い匂いがする。その白い肌を食い破ったら、きっと甘くて冷たくておいしい中身にありつける。
克洋は、そんな悪魔の囁きに従い、大口を開けて青年に襲いかかった。口内にぞろりと生え揃っているのは、鋭い鰐の牙。アバドンの権能を宿した『デーモン』は、そのまま青年の首に噛みつこうとしたが。
「流石に首は止めてほしいな」
がちん、と空を切った牙。まるで霧のように消え失せた青年を探してきょろきょろと辺りを見回した克洋だったが、その興味はすぐに周りの肉に移る。
あぁ、お腹が空いた、お腹が空いた。ここにある肉を食べ尽くしたら、少しはこの空腹も癒えるだろうか。克洋は、そんな風に思いながら――ばらばらにされた死体の、太股にかじりついた。
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