抽斗の中の遺言

江坂 望秋

本文

 しげるは、電車へ飛び込んで死んだ。十九歳だった。希望に溢れた青年のその未来は、彼自身によって完全に絶たれた。彼の家族らは未だに信じきれない。彼の部屋に入れば、彼の生活感が残っており、机にも幾冊かの文庫本が積み重なっている。そんな現実がいささか夢のようだ。

 遺品を整理していると抽斗ひきだしの奥から一通の封筒が出てきた。塗りつぶされた文字が正面に書いてあった。中から手紙を出してみると、そこには『最後に』と題してある三枚ばかりの遺書が入っていた。


 ——最後に、


 この遺書は抽斗の奥にしまってあったと思います。これは僕の気まぐれな性格をみんなに教えたかったからです。この文章を、少し歳を取った僕が読んでいるなら、それはこの後良いことがあったのでしょう。家族の誰かが読んでいるなら……僕はもう死んでいるのでしょう。

 でも、どっちにしろ僕は幸せだと思います。僕は幸せになる方へ進む人間だから。昔から僕の幸せは他人の笑顔だった。他人が笑うことで僕は僕の存在意義を見出していました。やっぱり笑顔は良いものです。不浄が澄むような気がするのです。小さな花が開くのを見ているような気持ちになるのです。


 しかし、実際に僕が今感じているのは、そういったものではなく、その前提にあると思います。その前提というのは簡単に言えば、生きる意味と言うことです。

 兼ねてから、よくよく考えていたことです。そして、『そんなことは考えるだけ無駄だ』と幾度と結論を出してきました。

 でも、僕には『行き当たりで生きなさい』なんてのが、あんまりそぐわないのです。生来の保守的思考で、急な変化は人より望んでいません。でも、周りを見ると、みんなはそう進んでいる。あまりにも行き当たりに生きている。なぜ?と思うのです。他人のことなんて必ず分からないのに、僕は長い年月もの間、そのことについて考えていました。

 見つからないまま迎えたある日、僕が作った笑顔にその答えがありました。嘲笑です。人は他人を蔑み、自分の優位を保ちたいのです。そうです、見栄です。見栄を張ることが、多くの人間を突き動かす活力だったと気付いたのです。他の人にとって、見栄を張ることはそう卑しくないのかもしれないけど、僕にとって、それは一番の苦痛で、自分に対して計り知れない不快を与えます。そして思うのです。これを妥協するくらいなら、死んで方がマシだと。

 その時です。恐らく、その決意を抱いたと同時に、僕は明確に自殺を出来る心構えを身に付けたんだと思います。


 馬鹿馬鹿しいでしょう、多くの人からしたら。えぇ、そうかもしれません。僕もそうは思うのです。でも、この考えがなければ、僕の幸せが叶わないことは確かなのです。人間は幸せを求める生き物だと僕は当たり前のように知っています。僕の幸せがみんなと違うことも、また確かなのです。


 ……今一度、書いた文章を読み返しました。駄文です、相変わらず。


 まだ書きたいことは、沢山あります。でも、この三枚に収めたいのです。書けなかったことは墓場まで持っていくつもりです。生きていても、死んでいても。

 ……空も暮れて、カラスが鳴いています。子供たちの声も。帰る車も。台所からの調理音も。

 あぁ、こんなにも身近に幸せを感じ、また遠く見えないところにも幸せを感じる僕の居場所は、本当にここじゃないみたいです。じゃあ、行ってきます。——


 家族は唖然としている。理解し難いからだ。

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