第一一話「ツンデレ」
直人が妹の唯に会えたのは退院の日の前日のことだった。
唯の症状は直人よりも遥かに重く、加えてヴリル欠乏状態だった為、周囲から完全に隔離され、心と身体のケアが二四時間体制で行われていたのである……
直人はレンに案内されて唯の病室の前に立つと、何故だか中には入らずその場で深呼吸を繰り返していた。
サプライズで喜んでくれることを期待して、レンには見舞いに来ることを黙って貰っていたのだ。病院に隣接する花屋で、唯の大好きなピンクの薔薇のブーケを買ったまでは良かったのだが……
「何をしているのです? 勇者・桐生直人君???」
「あの……しばらく会っていなかったので妙に緊張するんです……会えない時はあれ程会いたいと思っていたのに……俺変ですよね……」
それを聞いたレンの表情に濃い影が射した。
「ええ……あなたは全くもって完璧に変な人間です!……好きでも何でもない初めて会った女医とあっという間に行為に及び、易々と弱みを握られるなど以ての外です! もうこれ以上輝かしい勇者の名に泥を塗らないで頂きたいですねっ!」
レンは肩で息をしながら怒っていた……
それも致し方ないかもしれない。
直人は美晴医師とすっぱだかでベッドインしていた所を、当のレンに目撃されていたのだ……彼女は幸か不幸かその第一発見者だった……
「で……ですからあれは誤解ですって……」
「果たしてそうでしょうか? 誤解と言う割には直人君の下腹部は、病人とは思えないほど異常発達していた様ですが……」
「はうっ!」
その言葉に直人は、現在はニュートラルな状態を保っている下半身を、条件反射的に両手で抑えていた……
「これは後から聞いた話ですが……直人君の病室から一晩中『美晴お姉様~~~~♡』『もっと~~♡♡』『もっとしてえ~~♡♡♡』『止めないで~~♡♡♡♡』等々と言う、口にするのも憚られる猫撫で声やら絶叫やらが聞こえて来たそうですよ!」
「同じ病棟の患者から寝付けなかったという苦情が、デュランダル本部に寄せられて来たのです」
まさかとは思うが……ひょっとして直接本人に見られていたのではないだろうか!? レンは身振り手振りを交えて、変態ドスケベMモードに入った直人の物真似をしながら、彼をチクチクと責め立てていた……
言い逃れが出来ない……不幸にも状況証拠はばっちり揃っている……しかし当人にはその一切の記憶が無い……
しかしだ……しかしこと恋愛に関しては、いかにブラック企業と言えども流石に社内規定等存在しない……筈だ……たぶん……
それに責められると本来は反論したくなるというのが人間本来の性というものではないだろうか?
……美晴医師にM男としての素養を開発されつつあった直人だが、自然と湧き上がって来たこの感情に対して自分自身に感謝の念を覚えずにはいられなかった……
「レンさん、あなたは俺達のコーディネーターですが、自由恋愛はこの国では認められています! それともデュランダルという企業は、恋愛にまで規制をかけるんですか!?」
「俺達が勇者だと言う只それだけの理由で!」
「ひっ……開き直りましたね~~!」
普段はクールビューティーのレンのコメカミがぴくぴくと痙攣を繰り返した……
直人はそこで実に素朴な疑問を口にした。
「それともレンさんには、俺が自由恋愛をしたら困る理由でもあるんですか?」
「……!?」
その時レンの表情に明らかな動揺が走った……
「べっ……べべべ……べっつに直人君がどこの誰とくっ付こうが私には全っ然関係何か無いんですからねっっ!」
そう言うとレンは両腕を組み、ぷいっとそっぽを向いたのだった。
……うっ!?
ツンデレか?
ツンデレなのか!?
まさかこの人!?
ツンデレは面倒臭い……フォローの仕方を一歩間違えば、関係がこじれてヤンデレ化して行くことも否定出来ない実に厄介な人種だ……取扱いは爆発物を手にするかの如く慎重に行わなければならない……調合を一つ間違えれば“ドカンッ!”と引火してしまうからだ。
……つまり、ツンデレとは喧嘩せず、自分から折れるのが賢明である……それをこの国の不特定多数のアニメから嫌という程学んだ直人だった。
直人が予想外の展開にしばし逡巡した後……
「あの……どうも済みませんでした……」
セオリー通り、一先ずこちらから折れた直人がそこにいた。
君子ツンデレには近寄らず! ……である。
我ながら賢こい判断だ! とこの時の直人はそう思っていた……
「わっ……分っかればいいんですよ……分かれば!」
レンは直人から目を逸らすと、僅かに下を向き赤い顔で頬を掻いた。
……うっ!
何だこの反応!
……可愛い♡
そんなツンデレな反応を見せ付けられた直人の顔も思わず赤くなって行った……
「それより、行かなくていいんですか? 唯さんがお待ちかねだと思いますよ」
直人はレンに先を促されようやくにも決心をした。
先ず謝罪をしなければいけない……俺は怪物の戦闘能力を見誤り、その後も何度も判断を誤り、結果妹を死の淵まで追い込んでしまったのだ……
……唯。
全ては兄である自分の責任だ!
許してくれるかどうかは分からない……しかし精一杯謝ろう……人の真心から出た言葉は岩をも貫く筈だ……と誰かが言っていた……
直人は謝罪の言葉と共に病室のドアを勢いよく開けた。
「唯、済まない! 大丈夫か? 全部俺の責任だ! 許してくれ!」
土下座でも何でもする気だった……許してくれるまで何度でも謝る気だった。
薔薇のブーケと共に行う、唯を喜ばす為のサプライズ――しかし直人は当の本人から逆サプライズを食らったのである。
直人はドアノブを握り締めたままコッチコッチに固まっていた……
反応が出来ない……余りのことに……
直人の目は点になっていた。
唯の目も点になっていた。
唯は生まれたままの姿でベッドに腰かけていた。
早い話がすっぽんぽんである。
しかしだ! 又しても神の悪戯なのか!? 腰まで届く優美な赤髪が唯のデリケートな部分を奇跡的に完璧にディフェンスしている……
このチャンスは果たして二度やって来るのだろうか!?
土足で天界に行き神の横っ面に張り手を叩き込みたくなった直人がそこにいた。
……しかし真の問題はそこではなかった!
唯の隣には彼女と同様に、生まれたまんまの姿でベッドに腰かける金髪の美少女がいたのである……
二人は裸で手と手を取り合い、愛を確認した恋人達の様に、蒸気した表情でお互いに見つめ合っていた……唯が直人に気付くまで……
兄妹は言葉無くしばし無言でお互いに見つめ合っていた。
何か話さなければいけない……何か……
しかしこんな時に何を話せば良いのだろうか!?
天気の話でもすればいいのか??? 誰か教えてくれえ――――!!
直人の口は空っからに渇き、思考回路は完全にショート、脳は完全に干物と化していた……直人は只、金魚鉢の可哀そうな酸欠気味の金魚の様に、口をパクパクと開閉を繰り返しただけだった。
唯はとっさにベッドに掛けてあった検査着を頭から被ると口を開いた。
「ち……違うのよ……兄さん……これは……」
「違うの……」
「な……なななな……何が違うんだ……」
「あの……だから……」
「私達、兄さんがいつも考えている様なHなことなんて何にも……」
人間は窮地に追い込まれると、つい本音が出てしまう生き物なのかもしれない……唯は咄嗟に口を押さえたが勿論後の祭りだった……
「違うのよ兄さん……私が言いたかったのは……」
実際の所、唯は接触ヒールによる治療を受けていただけなのだが、今の直人にはいかなる言葉も意味を成さなかった……彼にとって一番大切なものが音を立てて崩れ落ちている真っ最中だったのだ。
あの……あの純粋無垢で天使そのものの様な妹が……あどけなかった俺だけの妹が……幼い頃一緒に結婚を誓い合った筈の妹が……
その時、直人の中で何かがぶちっ……と弾け飛んだ!
「かっ……勘違いするなよ唯!」
「べ……べべべべべ……別っつに妹がどこの誰と付き合おうが、兄ちゃんには全っ然関係なんか無いんだからなっっ!!」
「うっわああああぁぁぁ――――――――――――――――――――――!!!」
直人は唯の為に買ったピンクの薔薇のブーケを後ろ手に投げ捨てると、ツンデレな言葉と絶叫を残し、元来た道を泣きながら猛ダッシュで逃走した……
……何て……何て面倒臭い兄妹なの……
レンは直人が投げ捨てた薔薇のブーケを拾い上げると、不幸に終わったサプライズをフォローして、兄妹の中を一晩掛けて取り持った……
兄妹の病院暮らしの最終夜は、この様にツンデレな思い出だけを残し、ようやくにも何とか終了したのである。
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