第二話「勇者の掟」

「私が先に仕掛ける――」

 勇者、桐生きりゅう直人なおとの前でゆいが囁いた。

 直人とコンビを組み怪物の討伐を行う一三歳の妹は、中世の魔法使いを思わせる紫色のローブを身に纏っていた。

 普段は愛くるしい唯の表情が、今は凛々しい勇者の表情に豹変している……腰まで伸びた赤い髪が、風で棚引き優雅に揺れていた。

「都会にあの怪物は不釣り合いね。兄さん」

 そう言って唯は眼前のバドラを睨みつけていた。

「一秒でも早くおとぎの国に帰すべきだわ」

「奴が自主的にそうしていれば、俺達は殺し合わずに済んだのに……」

 直人は悪態を付きながら、腰に下げた長剣AVALONアヴァロンを、鞘からゆっくりと引き抜いた。

 彼は機動性の高い甲冑を身に纏い、手には“切れないものは無い”とコーディネーターから託されたアヴァロンの剣を手にしている。

 狂気を孕んだ抜き身の刀が、街灯の灯を受けて鈍い光を放った。


 直人は最大の敵を前に、疑念と恐怖に心を捕われていた……意味が無いことと知りながら、渦巻く思考の流れを止めることができなかったのだ。

 ……俺達は兄妹で生きて家に帰れるのか? 何故一億人いる日本国民の中で、俺達兄妹があんな化け物と戦わなければならないのだ? 何故怪物が西暦二〇××年の地球に出現するんだ? 何故軍隊が怪物と戦わないんだ? そして何より……もし俺が死んだら妹はどうなるんだ……

 疑念はいつしか恐怖に変わる……直人はいつしか手の震えを止めることができなくなっていた……一切の音が途絶えたこの街で、長剣のカタカタと震える音がやけに大きく響いた。

 そんな消極的な相棒の心情を察したのだろうか? 妹である唯が兄に向けて恐ろしい言葉を告げた――

「勇者の敵前逃亡は死刑よ!」

「殺らなければ、殺られるのは私達兄妹よ。兄さん」

 そう言うと唯はいつもの様に上目遣いで彼の目を射抜いた。

 そのルビー色の赤い瞳を前にすると、直人はたじろぎこうしがたい気持ちになるのだ。

「勿論分かってるさ唯。今更言われなくても分かってる。俺達に逃げ道は無い……勇者に選ばれた三ヶ月前からな」

「それなら……今ここで腹を括って! スライム戦の二の舞は御免よ」

 小柄な唯が厳しい眼光で直人を叱りつける。

「それでもだ唯……こんな時でも絶対に納得できないことがある……」

「何に対して?」

「俺達が人類の為に殺し合いをしている間、当の人類は飲み食いしながら戦いを観戦しているんだぞ! 安全なうちの中でな」

 直人の言葉に唯は下を向き、話す言葉を探した後、ようやく自分を納得させる様に言った。

「勇者は……誰かがやらなければならない仕事よ……その番が私達に回って来ただけのことだわ」

「でも……生涯順番待ちがほとんどだぞ。何故俺達が選ばれたんだ???」

「そんなこと分からないわ! 私が知る訳ないでしょ?」

「精神感応力なら、俺達を超える奴等何てザラにいるぞ!」

 直人の言葉に唯は小柄な身体からだを震わせていた。

「……兄さんの……兄さんの言っていることは正しいわ。勇者業は楽じゃない。世界中の誰もがやりたくない仕事よ……怪物から逃げれば《逃亡罪》で人に殺される……戦ったところで、今度は怪物に殺されるかもしれない……でも……でも人に殺されるより、怪物に殺された方がまだましだわ……」


 ――身を隠し、敵を背後から仕留める作戦だったが、勇者二人の会話は鋭敏なバドラの耳に届いていたのだ。


 物陰に潜む兄妹と、バドラの目線がバチリと交錯した。

「ひゃっっっ!!」

 唯の驚きとも恐怖とも取れる声を直人は背中越しに聞いた。

 次の瞬間、バドラは兄妹の視界から消えていた……

「どこだ!?」

 二人は首を振りセンター街を見回した。

 その刹那、頭上で巨大な羽音が響いたのだった――

 二人は一瞬にしてどす黒く不気味な物陰に呑まれていた……そう、体重四〇トンの怪物に頭上を取られていたのだ。直人は自分がブラックホールに呑み込まれた様に感じていた……つまり、気付いてからでは手遅れなのだ……

「兄さん!」

 唯が頭上の怪物を見て絶叫した。

 その化け物は、兄妹を冷徹な目で見下していた。

 直人はその時思い出していた……以前他のドラゴンと戦った勇者の話を……ドラゴンと戦い敗北者となった故人は、磔刑にされ生皮を剥がれ、両手両足を捥がれたあげく捕食されたそうだ……大抵は魔力の全てを奪われて、干乾びたミイラの様になって死んで行くらしいが……

 兄妹はバドラの眼下で、末梢神経まで恐怖で凍りつき、足がすくんでいた。

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