最近思うこと

 今日は神田明神を参拝した。


 明日から新年度の仕事が始まるので、無事に次の年度まで勤まるように祈ってきた。


 夕方に眉のカットを予約していたが時間があったので実家に寄った。


 父からちょっとと部屋に呼ばれて何の話かと思ったら、母の体が思っているより弱っているから、それなりにいろいろ覚悟しておいてほしいとのことだった。


 母は2019年に心室細動で心肺停止になり救急搬送されている。


 駅で倒れたのが幸いで駅員さんたちが心臓マッサージやAEDで直ぐに対応してくれたので、本来の生存率は低い病気だが奇跡的に息を吹き返した。


 それから手術をして心臓に機械を入れて、今も生きている。


 退院して最初の頃は近所の肉屋さんとかに買い物くらいは行っていたが、最近は近所でも歩くのがきつくなっている。


 足がむくんだというから見てみたら、僕のふくらはぎより膨らんでいて、これはあまりよくないなとさすがに思った。


 こういうのは皆順番に訪れることなんだが、自分の家もそんな時期に入ったのかというのを改めて実感した。


 母親は結構気の強い人で僕が小学生の頃、公園で友達に砂をたくさんかけられていじめられて家に帰った時に「ケガさせたら謝りにいってやるから、とりあえず、砂をかけた奴にやり返してこい!」と泣きながら家に帰ったのに、リベンジのためにもう一度公園に行かされたりしたのを覚えている。


 少年野球の練習も休ませてくれない人で本当に熱があるから休みたかった時でも、ユニフォームに着替えさせられ、とりあえず練習に出向き自分の言葉で体調が悪いから帰りたいと伝えてこい!と言われたのも懐かしく思う。


 数年前に近所の方が亡くなられて葬儀に行った際にそこの息子さんが泣いているのを見て母親が僕に「お前は私の葬儀の時はあんなみっともなく泣いたりするな!」と言われたのを覚えている。


 母は人前で男が泣くのはみっともないという価値観が強い世代の女性だからだと思う。


 母親の実家は新潟県の長岡というところで、その土地の価値観としても男は強くあるべきという考えが強かったらしい。今はたぶんそういうのないと思うけど、福島県の会津藩があった地域とか岩手県の南部藩があった地域と似たような考えはあるのではないかと思う。


 父と結婚し東京に出てきてからは東京の男はスマートであるべきという価値観を持っていたみたいで、話す言葉も下町言葉ではなく山の手言葉を使うようによく注意されたし、僕がスーツや靴とか身だしなみに気をつけるのも母の影響が大きいと思う。


 最近は実家に寄っても前のような気迫は感じられなく、弱ってきていることがわかるだけに何を話したらよいかわからない時もある。


 たぶん、その時が来たら、僕よりママっ子だった姉などは大泣きするのだろうけど、僕は母親が夢に出てきて叱ってきそうだから、たぶん無理してでも泣かないと思う。


 お釈迦様の言う通りってことを言いたいわけではないが、人間は生老病死の苦しみから解放されることはないんだなとこの年になって、よく考えるようになった。


 


 

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