始まりは戦乱の世 そして今

@ksumito

闘いの場を求めて

 初めて梶原 修一郎の名を耳にしたのは高2の姪 直子からだ。

身長190センチ 体重120キロの大きな体を持て余すように、背を丸め右足を引きずって歩く姿。ショウウインドウのガラスに映った己に思わずさ「情けない」と呟いた。

オリンピック柔道金メダルを期待されていたが、直前練習の大怪我で大会欠場。

会社はリハビリ中の内勤業務を用意してくれ、少しでも貢献できればと慣れぬ事務作業に頑張ったが、腱鞘炎になり柔道も仕事も両方期待を裏切る事を恐れ 結局自ら休職を申し出る羽目に陥った。

目標を見失うと、世界最強を目指し燃やし続けていた闘志も意欲も減少。リハビリに対して集中力を欠くこともあった。

そんな時は兄の家で愚痴をこぼしていたが、 姪の直子はいつに変わらず元気に話しかけてきた。

普段は五月蠅いばかりに感じていたが、この時は興味引かれるものがあり気分転換になった。


 直子が珍しく怒りを込めて話したのは。

「うちの学校、生徒には厳しい校則守らせといて 自分達は勝手に変な事決めたりするの」

「よくある大人の都合だよ」と 気持ちのこもらぬ返事をしたが 直子は続けた。

「この間 同じクラスの男子 梶原が隣のクラスの男子 岡本から 自分が好きな女子と仲良く喋ってる事に、ヤキモチ焼いて言い掛かり付けられたんよ。でも梶原は何の事か分からんから無視していたら、岡本がバット持ち出して・・・」

「危ないね。それに卑怯だ」思わず私は反応した。

「そうでしょ もちろん梶原は逃げたけど、裏門の方へ追い詰められて行ったんで みんなで先生呼びに行ってる途中に大きな悲鳴が聞こえた。見ると岡本が梶原の足元に倒れてたの」

「どういう事だ 立場が逆転してるじゃないか。大騒ぎになったやろう。彼は何と言った?」

『追い詰められて殺されると思い、夢中で腕に飛びついて揉みあううち気が付いたら こうなってた』らしい

直接その瞬間を見ていた生徒は いなかったそうだ。

「怪我はどんな具合なのか?」

「右の鎖骨と手首の骨が折れて即入院」

「それはひどいな」

「警察は最初 梶原がバットで殴ったと考えたの。でもバットに彼の指紋も無いし、それまで岡本がバットで追いかけてたのは 皆見ていた。次に警察が考えたのは 柔道か空手の技を使ったと疑って、それを本人に聞いたけど本人は否定。

そこで警察の黒帯連中に聞いたらしい。だけど同時に一瞬で2箇所骨折させるのは難しいと全員が答えたの。結局身体がぶつかった時に鎖骨が折れ、倒れるのを防ごうと手をつき手首が折れたと結論付けたわけ。」

「・・・・」私自身の経験からしても 柔道でわざと相手を傷つける技は考えられないので妥当な判断に思えた。

警察の見解は、 梶原は大怪我させたが意図的ではなかったので、偶発的なアクシデントで処理。

元々バットで襲ったのは岡本で、怪我は事故 過剰防衛にも当たらないので処分なしになった。しかし直子はまだ不満そうだった。

「良かったじゃないか。直子はなにが不足かな?」

「警察に文句はないの、学校よ!」と話すうち新たな怒りがこみ上げてきたようだ。

「学校は 大怪我させたのを理由に、梶原に1週間の停学処分。

岡本はお構いなし。多分 岡本の親はPTA役員で、 梶原のところは一般の生徒で有力者でもないからと思う。もし喧嘩両成敗としても絶対不公平。大学推薦入試が難しくなって本当可哀想な梶原。私、生徒会から抗議してもらうつもり」

「大人は一遍決めたら中々変えないからな。それにしても随分熱心やな直子。ひょっとして彼の事好きなのか?」

「そんなんじゃないよ。同じ中学出身でよく知ってるから」と あっさり言った。

「そうか それじゃ改めて聞くけど、彼はどんな子?本当に柔道も空手も経験ないのか?」

「そうやと思う。小柄で大人しい子やから柔道空手より日本舞踊の方が似合うぐらいやわ。それだけに、追い詰められたとはいえ素手でバットに立ち向かって、まぐれでも勝ったんやからちょっと見直した。」

その時の直子の『素手でバット』の言葉に、子供の頃聞かされた話が不意に頭に浮かんだ。


 小学6年まで通っていた 柔正会大八木 鉄心会長を訪ねて近況報告の中で、例の高校生の事を話した。

なぜならまだ低学年の頃、会長から1度だけ聞いた『素手で日本刀と闘った男』の話を思い出したからだ。

会長は暫し黙考し、

「あの話は 元々父 鉄太郎から聞いた事で、話し始めて直ぐに今時の子供たちには理解しにくい事に気付いて 途中で止めたんだ」

でも何故か私には印象に残って憶えていて、その旨を伝えると。

「君だけだよ、そんな事憶えているのは」と 妙に感心された。

事件に実際にその場に立ち会った鉄太郎先生は、相当大きな衝撃を受けていられたようで事細かに憶えていて 酒が入ると繰り返し話されたそうだ。

「近藤君の話を聞くと、実際に起こった事をそのまま伝えた方が良いだろう、昔の事を憶えている人も多くはないので」と続けられた。

「あれは 戦時中の事、場所は陸軍士官学校。戦意高揚目的に日本武道の良さを知らしめようと、武術の演武会が催された。

召集されたのは 日本拳法の神田秀作さん 琉球唐手の喜屋武真栄さん 柔道は 僕の父親 鉄太郎 それと柔術の竹ノ内さんの4人」

「ちょっと待ってください。その当時柔術ってあったんですか?」

鉄太郎先生も聞いたことはあったらしいが、現物は初めてで興味深々だったそうだ。

{竹ノ内さんはかなり高齢の方で、他の3人は30代 力が充実した世代で自信満々に控えていた。

4人全員演武台で待っていると、日本刀を腰の高級将校が1人 文字通り乱入。主催者に『この記念すべき会に剣道剣術が招かれないのは、おかしい』との異議申し立て。

今回は武具を用いない武術に限定、剣術は次回との説明に納得せず、勝手に演武台で真剣を振り回す暴挙。

台上の4人に『戦場ではもう古すぎて役立たず、時代遅れのタコ踊り』と言いたい放題。

危険なので遠巻きにしていると、竹ノ内さんがひょこひょこ近づき『時代遅れはお互い様、鉄砲で撃たれたら死ぬ。目糞鼻糞を笑うの類いだ。そんな鈍刀、家へ帰って大根でも切ってるのがお似合いだ』の言葉に顔を朱に染め『許さん、生意気なジジィぶった切ってやる』と切りかかったが 目にもとまらぬとはあの事。

一瞬で懐へ飛び込み体が触れた途端 悲鳴が聞こえ将校が足元に倒れていた。後で聞くと鎖骨と右肘が折れてた}と一息に話された。

「手首と肘の違いありますが殆ど同じですね。その後どうなりましたか?」とあまりによく似た事態に驚きつつ続きを待った。

「とにかく会は中止散会。以後戦況の厳しさもあり開かれる事は無かった」

「それで竹ノ内さんは?」

「相手が悪かった。陸軍トップの身内がいて 酷い嫌がらせを受けて何処かへ行かれ、以後こんにちに至るまで消息不明。父も死ぬまで気に掛けていたが、当時既にご高齢だったので・・・」と厳しい表情。だが続けて

「しかしその高校生は竹ノ内さんの後継者かも分からない。本人はその様な事は一言も口にしてないのだろう?何らかの事情があって隠しているのか。もしそうなら直接聞いても 正直に答えないだろう。彼にそんな技があれば、今回が初めてとは考えにくい過去に同様の事を起こしていれば 警察の記録に残っているはず、例え少年でも。それとも被害者が何らかの事情で訴えていないと、表に出てこない事もある。

それ以外に本当の偶然の一致も無いとは言えないから、もう少し慎重に調べて確証を得てから本人に当たる方が良いと思う」とアドバイスされた。

「それなら 幸い私の姪が以前から彼を知っているので 参考になる事がないか尋ねてみます」


「直子。梶原君の件どうなった」

「停学処分は取り消しで厳重注意に少し軽くなったから記録には残らなくなった。まだ不満やけど仕方ないわね。叔父さん、彼の事まだ興味があるの?」

「そう 実は彼は昔の知り合いの身内かとも思ってね。彼の事もう少し教えてくれるか。例えば両親の事とか仕事とか」

「ふーん、彼ね母子家庭なの。お父さんは鉱山技師やったけど事故で、彼が生まれてすぐ亡くなったの。お母さんはその鉱山で働かせてもらっていた。でも閉山になってこの町へ中学2年で越してきて、その時に同じクラスになったの。そして今年また高校で同じクラスになったという訳」

「それ以前の事は知らんのか?」情報量の少ない可能性にがっかりしながらも、気を取り直して聞いてみた。

「それで中学高校通じて彼にトラブルは無かったか?」

「彼は争い事は好きじゃないし、周りの誰にも優しくて揉め事なんて聞いたことない。それだけに今度の事には皆驚いたの」

私は余り期待を込めず

「そうか、それじゃ彼の周りでトラブルに巻き込まれ困っていた人はどうかな、誰も居なかった?」

「うーん 。中学の時一人いたけど運良く治まったわ」

「運良くとはどうやって いつ頃?」

「梶原が転校してきた中学2年のクラスメートで 土屋って頭の良い子が上級生にいじめられて不登校になりかけて、このままだと高校進学も危ないって皆心配してたの。けどそのイジメてた上級生が自転車事故に遭って学校へ来なくなったの。お陰で 土屋は無事高校進学できたの」と嬉しそうに答えた。

その事故に梶原が関わっているとすれば 時期的にはあっているが

「何でその子は自転車事故ぐらいで学校来なくなったのかな?」と聞いた。

「元々勉強嫌いやったし、腕大ケガで暫く鉛筆も持ちにくかったのをええ口実に ズルズルやめてしまったらしい」

「えっ!腕を怪我したのか?」と思わず声が大きくなった。

「急に大声だしてどうしたの?右腕としか聞いてないけどね」

「その子 今どうしてる、名前覚えてる?」

「真面目になって 家の商売手伝ってるらしい。名前は中山 中山健夫」


 緊張した様子の 中山に自己紹介をすると

「存じております。」と丁寧に答えた。元不良と聞いていたので意外に感じた。

「君が僕の事知ってくれていて嬉しい。最初に断っておくけど これは個人的な興味で他意はないが、3年前の自転車事故について教えてほしい」と聞くと

「今頃どうして?怪我?」と訝しげに それでも

『それは鎖骨と手首の骨折です。それが何か?」といかに答えるべきか様子をうかがってるように思った。

怪我がまるで岡本と一緒。これはと思い勇んで聞いた。

「実は この間 高校生が喧嘩で、君と同じ怪我をした。警察は事故で処理したんだけど、別々の原因でそっくり同じ場所を怪我って変じゃないか。ひょっとして君も本当は誰かに、例えば土屋君の事で痛め付けられたとか?」

彼は暫し目と口を大きく開き 何故そんな事を知っているのかと驚いた顔をしていたが、大きく息を吸って

「土屋の事も知られているんですか、それじゃ今さら隠してても仕様が無いので初めから話します」その内容は

{中3の秋体育館の裏で一人煙草吸ってたら、見知らん中学生が近寄ってきて『土屋君に構わないでください』と言ってきた。

このガキはなんだと思ってると『土屋君に手を出すな』と偉そうに言ったので、殴りつけたつもりが 逆に殴り倒され気が付いたら首を絞められて 耳元で『今度 土屋君に何かあれば、次は本当の痛い目を見る事になる』と脅され、次の瞬間絞め落とされていた。

気が付いたら誰もいなくって相手の顔も思い出せない、まるで悪い夢をみた気分。頭がグラグラするので現実だとは解った} との事。

「それで君はどうした?やられっぱなしかな?」

「もちろん仕返しする積りで 次の日からナイフ忍ばせて そいつを捜しました。肝心の土屋が、3日後ようやく学校へ来たので痛め付けたが全然理解できないようでした。その日の学校の帰り道 近くの新今川神社で待ち伏せされました。用意していたナイフで不意打ちを狙ったんですが 簡単にかわされ腕取られて、強烈な痛みの中『約束は守れ。次は左腕その次は足だ』と言う声。

それまで意気がってた手前 誰にやられたとも言えず、自転車で転んだ事にして医者へ行ったんです」

「医者は信じたのか?」普通は警察へ通報するはずと思い聞いてみたが。

「どうせ悪ガキの言う事、関心もなく警察にしらせず済ませたんでしょう。入院中考える時間は山ほどあって 悔しさより恐怖心が段々大きくなって、学校で土屋に会うのも怖くなった。それと今迄 突っ張って悪ぶってたのがアホみたいで恥ずかしく、学校へ行くのが嫌になりました。あれもこれもと反省する事が次々とうかんで、これからはもうちょっと真面目に生きようと思いました。あの時痛め付けられた事を 今は感謝しているぐらいです」

彼の話を聞いて 梶原の正体をほぼ確信し、近日中にこの事を本人にぶつける用意はできた。何時 誰に何処で鍛えられ どの様に過ごしていたか?聞くべき事は多かった。

そこへ直子から驚くべき連絡が入った。

「叔父さん、梶原が今日の昼休み学校で刺され入院したの」

「命に別条はないのか?誰に?何で?」矢継ぎ早の質問に対し。

「あの岡本が『殺してやる』と 叫んでナイフ振り回しながら近づいて太腿刺して逃げて行ったの」

「彼は防ごうとせんかったのか?」と不思議に思い聞いた。

「突き出してきたナイフ持っている手を抑えようとしたけど、間に合わなかった。命に別条はなかったけど」

「刺されただけで、反撃は?」

「血が出ているのをジッと見ていて、それどころじゃなかったのと違う?」

私はこの事件に違和感を持った。中学時代ナイフに鮮やかに対応したのに、今回、易々と刺され何の反撃もせず逃がしてしまうとは。

防ぐ積りならその時間も充分あったのに・・・。この疑問を解くには絶対本人に会わねばならない。

しかし彼に会えたのは、約一ヶ月後この町から遠く離れた彼の故郷にある療養先だった。


 そこには来島療法院と書かれた小さく古びた看板が掛かっていた。待合室に小柄で大人しそうな一人の少年 梶原修一郎が座っていた。

「刺された怪我の方はどう?」

「大分良くなりました」直子から聞いていたイメージより落ち着いた声で答えた。

それにつられて私も冷静にと心を落ち着けて、話掛けた。

「どうしても確認したい事があって来たんだ。君は岡本君を怪我させた時、警察で空手も柔道もやってないと答えてるね。でも本当は武術の達人なんだろ?」の問いに、怒った様子も驚きも見せず。

「何を根拠に言ってるのですか?」と予想通りの返答。

「そう言うと思って君の周辺、中学まで遡って調べた。そして幸いなことに土屋君をイジメてた中山君に辿り着いて、全部話を聞いた。

心配しなくても良い、念の為言っとくけど彼は今更生しているし君に感謝している。それだけに君が刺された不可解な今回の事件には悩まされた。そして考えぬいて結論に至ったんだ。君はわざと岡本君に刺された」と言い切った。

かれは困った迷惑そうな顔で

「何故 僕がわざとそんな痛い思いを喜んでするんですか?」

「メリットがあるからだ。先ず君は100パーセントの被害者になれる。つまり喧嘩両成敗は成立しないので推薦入試に悪影響はない。一方岡本君は100パーセントの加害者で殺人未遂で捕まり、今後君に近づく事はなくなる、これが第二のメリット。第三に生徒の一部で噂されている君の隠れた武闘力だ。それを払拭するため君は無抵抗で刺されたんだ。違うかな?」と迫った。

彼は苦しそうに

「・・・もし僕が全て認めたら、近藤先生は警察に通報するのですか?」

「そんな事はしないよ。警察だって今更処分を変えるのは困るだろう、面倒だもの」

戸惑った風に彼は聞いてきた。

「だったら目的は何ですか?」

「武道家としての好奇心、興味で真実を知りたかったんだ」

「それを知れば満足なんですね?」

「いーや、そうなるとその特殊な技を体感したくなってくる・・・。そこで提案だが、直ぐではなくていいから 一度僕と立ち会ってくれないか?」

「試合って事ですか・・・すこし相談したいのでちょっと待ってて下さい」と診療室へ入った。暫らくして一人の老人と共に戻って来た。


「院長の来島です。修一郎から全部聞きました。熱心に調べられた事が解ります。3年前の事件が表沙汰にならず、世間を甘く見た彼の今回の軽率な行動があなたの目を引きました。ご賢察通りこの子は私の指導で柔術をいささか心得ている。試合をご希望だそうですが、柔道と我々はルールが違います、その隔たりは大きいですが?」

「充分理解している積りです。彼に柔道は望んでません。私がそちら側を全面的に受け入る覚悟です」

「解りました。後日ルールを含め細目を決めましょう」

「ありがとうございます。ところで来島先生にお聞きしたいのですが」と、大八木会長から聞いていた、あの事件と来島先生の関わりを知りたくて問いかける。

「どの様な事でしょうか?」

「【竹ノ内】という名に心当たりはございませんか?」

来島先生は目を瞑り一息ついて

「【竹ノ内】かぁ」と嚙みしめる様に口にされた。そして

「修一郎にも伝えてないが 【竹ノ内】は我が流派の名前」と明言。

【竹ノ内】が人名でなかったのなら、大八木 鉄太郎先生が会ったのは誰か?

「それでは戦時中、素手で日本刀と闘い一瞬で倒した人物はどなたですか?」改めて問い直すと。

「そんな事も調べていたのですか」と呆れ顔。

「それは 私の師で16代当主 竹ノ内 宗春その人」

来島先生は認められたが、それ以上は昔話だと口数少なく早々に切り上げられた。                       

おそらく戦時中陸軍に迫害をうけ、不遇のまま人生を過ごされたのでしょう。公権力に利用され、切捨てられた先人達の事が最後の言葉として残されていた。

『目立つな。表に出るな。深く密かに伝えよ』

その気持ちは今も変わらず、梶原に完全に継承されるまで、隠して来られたのだろう。その時に先生が17代を名乗られるのだろうか?。


 試合が決定。目的目標ができリハビリに励みもつき、気力体力が充実してきた。そして相手を深く知る事が戦うために、必要だと考えた。

そこで兄に相談すると、知人で日本武道に造詣が深い歴史学者 石田教授を紹介され頼る事にした。数日後、調査結果が送られてきた。

{柔術竹ノ内は忍者の里として名の知れた甲賀に居た【竹の衆】と呼ばれていた人達が始祖。竹林だらけの耕作不適合地のため貧困に苦しみ、武具刀剣を手に入れることは叶わなかったので 争いごとには素手で抵抗を強いられた。この点は沖縄と状況は似ていたが、多大な犠牲を出しつつ、捨て身の攻撃から工夫した特異な技を確立した。

戦国時代は刀剣を帯びず、油断した敵に近づき攻撃。死者より重傷者の扱いに兵員兵力が割かれる事が多い点に目を付け、殺すより負傷させる事に特化した。

この頃、名称を【甲賀竹ノ内】に変えていたと思われる。戦乱の時代は大いに重宝されたが 平穏な江戸時代になると、剣術 柔術 槍術など殆どの武術は大衆化され実用性より形式や洗練された優雅優美さを求められた。

【竹ノ内】は柔術にカテゴライズされていたが、元来相手の負傷を目的として成立した武術で一般に普及は望むべくもなかった。当時の武術大全柔術の項目末尾に【お止め流 竹ノ内】と記され禁止されている。それ以降【竹ノ内】の名は消えている。

明治になり柔術が柔道に多くは吸収され置き換わった。ところが明治・大正・昭和の初期まで政府要人の護衛警備担当者に『竹ノ内 宗春』なる人物名が現れる。時間的隔たりから代々名跡を継いでいるように思える。そして昭和初期に再びその名は消えたが柔術お止め流派【竹ノ内】は密かに継承されていたのではと考えられる 以上です}


 いよいよ決戦の日が来た。

柔正会 大八木柔道場  午前 6時 無観客

柔道6段   近藤 勝利

       対

柔術竹ノ内  梶原 修一郎

立会人主審 柔正会  大八木 鉄心会長

立会人副審 柔術竹ノ内流 来島 和三郎

試合時間  5分打切り 延長なし

勝敗     ギヴアップ又は試合続行不能で決する

ルール 嚙みつき・目潰し・金的攻撃等武道精神に反するものは禁ずる


『始め!』  


目を開けると 覗き込む大八木会長の心配そうな顔と声。

「気が付いたか 良かった」

「うっ」胸の辺りの痛みに 思わずうめいた私に

「動かない方がいい。落ち着いて」と宥められた。

知らず知らずに抱えていた左腕から 手を離して

「試合はどうなりました?」と聞くと

会長は首を横に振るだけだった。試合内容を尋ねると

「全然覚えてないようだな」無念そうに

「そうなんです。『始め!』の声の後・・・」

「そうか・・・」と一拍置いて

「君が奥襟を取りにいった左腕の肘を撥ね上げ すれ違いざまに君の胸に手刀を叩き付け そのまま背中に回り地獄絞め・・・」

「会長 申し訳ございません。見っともない事で」

「謝る必要はない。勝敗は時の運 まして未知の相手だ」と 慰められた。

「あの人達は どちらに?」

「もう帰られた。『自然覚醒の方が身体に負担が掛からない』と言い置いて」

「あまりにも手応えなく弱過ぎて がっかりされていたでしょうね」

「そんな事はない。まるで反対。凄く感謝されていた」

不思議に思い 尋ねると

「来島先生によると『我々は長い間 闘う事を禁じられていた』そうだ」

「知ってます。江戸時代は あまり危険なので【お止め流】として禁止されたと聞いてます」

「だから今回 こうして闘かう事が出来た事を喜んでおられた。明治以降は解除され秘かに要人警護に登用、しかしその技が生かされるのはあくまで仕事、試合ではなく私闘でしかなかった。その意味で流派にとってまた梶原本人にも、自身の実力を知る機会となったのも 貴重な体験だ」そうだ、

柔道とルールが違ったとはいえ、完敗だったので複雑な気持ちだった。

同じ武道家の一人として 試合が出来ないのは 自分の力や技を発揮する場もなく、目標も立てられず、私だったら堪えられない。

あの人達は後世に伝えること事だけが モチベーション維持の原動力なのか。そのメンタルも使命感も驚くばかり、それを実現するための稽古はどれ程厳しいか、見当もつかない。最後に先生が

「私は 梶原修一郎という後継者を得る幸運に恵まれたが、彼にはどんな未来があるか 彼自身で見つけなければならない」とおっしゃたそうだ。


 思ったより早い怪我からの回復で、柔道の稽古も元に戻った。しかしその内容はまるで変わった。これまでは 恵まれた体格と体力を力だけを頼りにしたもので、彼から見れば私の攻撃はあまりに不用意で隙だらけだった。あの試合で 技は一挙手一投足が緻密に構成されたものでなければと気付き、意識せず正しい姿勢とタイミングプラススピードを兼ね備える事、それが実行出来る様に頭を使って稽古の質向上を図った。

幸いにも 復帰初戦小さな大会ではあるが優勝し手応えを感じた。

再び世間から注目されるようになったが、まるで慢心する事は無かった。他人の評価がいかに高くなっても決して世界最強でないのは自分自身がよくわかっているからだ。

直子にはあの試合の事は教えてないが、何かを感じ取っているようで、私の愚痴が減って嬉しいと彼に告げたり また逆に時々彼の近況を報告してくる。

「相変わらず誰にも優しいが、身長も伸びて男らしくなったし たまに考え事している様子は、随分大人びてみえる」らしい。

その彼がわたしの復活優勝を歓び 珍しくはしゃいでいたと聞き、稽古に益々力がはいった。

それから僅か2週間後、直子から彼 梶原修一郎の 病欠にしては余りにも長い休みに危ぶんでいたら、担任より退学したと知らされた。引越しは既に済んでいて、お母さんは再婚され一足早くよそへ移られていた。彼の行く先は誰も知らなかったが 外国へ行ったらしいとの事。


 ほぼ同じ日に彼からの手紙が届いた。

{高校中退し国外へ出た私の行動を驚かれたと存じますが、突然思いついた訳ではありません。以前より熟慮の結果です。ご存知かもしれませんが我が家は母子家庭、私の気懸かりは唯一母親でした。しかし今般母の再婚が決まり、その相手つまり私の義父となった方が信頼でき母を幸せにしてくれると確信した事が大きな要因。

もう一つは、近藤先生とのあの試合。それ以前は単なる喧嘩、正面きって正式に強敵と少しの緩みも見せられぬ緊張は、何物にも代えられない歓び。現状日本国内では二度と得られぬない事。しかしブラジルをはじめ南米に於いては、わが流派同様のほぼ禁じ手無しの格闘技があるそうです。【竹ノ内】を生かせるには他の道はありません。来島先生からは『自分で選んで自分で決める』の言葉をいただきました。【竹ノ内】の名を残す事に拘らないが、世界の何処かで【竹ノ内】の技が継げているなら大きな喜びと付け加えられた。

最後に、もし近藤直子さんが私の行動に『無茶やアホやな』と言ったら伝えてください}

『竹ノ内は無鉄砲が始まり』で文は結ばれていた。末尾の一行のためこの手紙は書かれたのではないだろうか?

【柔術竹ノ内流】梶原修一郎は世界へ飛び立った。

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