百合の私と立たない先生

@aoihori

第1話 結婚といっても、そこに愛がなくてもできるものだ

「先生、いいですか?」

 ドアの向こうに問いかけるも、返事はなかった。時刻は昼の十二時過ぎ。ドアの向こうにいるはずの人物は二度寝はしないし、昼寝もしないから起きているし、なんなら仕事中だとわかってもいる。が。

「お昼ご飯どうしますか――聞こえてないか」

 先生と私が呼んでいる男性は年齢は三十八歳で、小説家として生業を立てているおじさんだ。基本的にはややこしい話をするだけで、悪意などはない人なのだが、仕事中はヘットフォンをつけて音楽を聴いている都合、ノックや声を出しても反応してくれないのが玉に瑕だ。

 私はといえば、大手銀行で窓口業務に精を出す二十六歳。文学的素養もないし、その反対の理論派というわけでもない、どこにでもいるただの女だ――変わっているとすれば、性的嗜好だろうが、たかが同棲主義者でしかなく、今日日それは珍しいものでもない。

 ともあれ。

 私はドアの前を離れて、テーブルの上に置いてあるスマートフォンを手に取り、メッセージアプリを起動する。そして、先生宛にメッセージを送った。先生は担当編集からいつ何時、連絡が来ても言い様に仕事用のパソコンの傍にスマートフォンを置いているので、高確率で気づいてくれる。

「……すまない、迷惑をかけたな」

 それを見てか、先生がドアを開けて顔を出した。年齢よりは老けて見えるが、白髪や皺が多いわけでもないその容姿は、元美男子だっただろう、と思わせる。今では渋みのあるおじさんにも、若く見えるおじさん、そのどちらにも属さない中途半端な顔ではある。余計な脂肪はないが、鍛えているわけでもない身体は、同世代の男なら簡単に倒せそうだ。

 この人が。

 私の夫だ。

「慣れましたけど、先生、せめて声をかけたら返事をください。音量を下げるとかして、対策をして欲しいです」

「悪いな、仕事中はあれくらいの大きさがないと……で、用事は?」

「あぁ、そうですね。お昼、食べますか?」

「外にか?」

「はい。……私は料理、できませんし」

「君は作ってもらう側だものな」

 そう言った先生だが、彼も積極的に自炊をする方ではない。では誰が作るか。簡単だ。私がひっかけた女の子たちである。

 先生は私がこのマンションの一室で女の子と戯れている間、仕事部屋にこもるか、外にネタ出しをしているから、女の子とは会わない。だが、彼女らが作った食事は食べるのである。私は小食だし、細身なのだが、女の子たちから見れば食べさせたくなる雰囲気をまとっているとかで、やたらとたくさんの料理と向き合ことになりがちだった。

「というわけで、行きましょう。私、独りご飯は苦手なんですよ」

「君のその趣味はよくわからないが、まぁいいよ」

「お邪魔でした?」

「人に連絡しておきながら、そういう気遣いをするのは感心しないな」

「生憎と、先生に好かれてもメリットありませんし――ありませんよね?」

「嫌われれば、この部屋を追い出せるよ。ここは俺の持ち家だ」

「ローン、まだ二十年ありませんでした?」

「それでも法律上では俺の家だよ。……それで、店の目星は?」

「私、この辺まだあんまり知りません。住むようになってまだ、三か月ですよ」

「三か月で七人。そっちの手は早いよな?」

「私、顔がいいんですよ。大抵の女の子はワンナイトしてくれます――技術も研鑽を重ねていますから、満足させられますしね。女って、そういうのに敏感です」

「ふむ。メモしてくる。一分くれ」

「お好きにどうぞ」

 先生は仕事部屋に引っ込む。手にはスマートフォンがあったが、先生はアナログな所があり、ネタは小さめのノートに書き込むのだ。スマートフォンは連絡用と資料を確認するための道具でしかなく、メモ帳ではないらしい。

 私は先生を待つため、ソファに身を投げてスマートフォンで周辺のランチの情報を集めた。先生はパソコンを活用するが、私は仕事以外でパソコンを使うことはほとんどない。スマートフォンで事足りるからだが、先生はパソコンと紙の本を愛している。

「いい店はあったか?」

 先生が仕事部屋から出てきて聞いてくる。先生はここ――吉祥寺に住んでそれなりに長いのだが、三か月もあれば先生の行きつけの店は回れてしまうもので、今は私と二人で店を探すことが多い。

「どうですかね。先生、意外と食べるから……小食の私とは趣味、合わないですよね?」

「食は細くなったんだけどな――それでも、君よりは食えるが、合わせるよ」

「妥協はよくないですよ。私の精神衛生上ですけど」

 嘆息して、続ける。

「偽装結婚に付き合ってもらっているだけで満足しなきゃいけないのに、その上、趣味まで合わせてもらったんじゃ――釣り合いが取れませんよ」

 先生は、肩をすくめた。

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