第4話
なぜ自分がN県警捜査本部に呼ばれたのか。
久我にはそれがわかっていた。
このボタンがあったからだ。
昨日の夜、県警本部長は「事件の解決をお願いしたい」と電話で久我に告げていた。
最初から事件であると県警本部長以下の捜査幹部たちは判断している。
だが、現場の刑事たちには、その意志は伝わってはいないようだ。
足で稼ぐことをモットーとしている現場主義の刑事たちからしてみれば、久我のような捜査をおこなう捜査官は邪道だと煙たがられるだろう。
いままでも、そんな経験を何度もしてきた。
もらえるはずの情報をもらえず、イチから全部自分で調べて解決へと導いた事件もあった。
事件を解決するには、久我のような捜査をおこなう人間も必要なのだ。
そのことを捜査幹部たちはわかってきている。
ただ、古き伝統を重んじる現場との温度差が大きいだけなのだ。
久我は右手の中に収められた小さなボタンの感触をしっかりと手のひらで感じながら、目を閉じた。
なにをはじめるつもりなのだろうか。
姫野は黙って久我の様子を見つめている。
最初にやってきたのは、闇だった。
しばらくすると、遠くに小さな明かりが見える。
その明かりに近づいていくと、何か音が聞こえて来ていることに気がついた。
風を切る音。
派手なシャツを着た男が立っている。
その脇にいる白いジャージ姿の男は、先ほどから金属バットを振っていた。
風を切る音は、この金属バットが奏でる音だった。
野球経験があるのだろう。素人目に見ても良いスイングだと思えるほどである。
派手なシャツの男がニヤニヤと笑いながら、話しかけてきている。
タバコと酒の混じった嫌な臭いがした。
「――――が払えないっていうからよ。恨まないでほしいんだわ」
男は言い訳がましいセリフを吐く。
金属バットが風を切る音が耳障りだった。
男の言葉に頭を垂れた。
その時になって、全裸であるということがわかった。
泣きながら許しを乞うた。
しかし、男はうるさいといって、蹴りつけてきた。
なんとか男の腰のあたりにしがみついて、許してほしいと泣き叫んだ。
「ダメだ。もう手遅れなんだよ」
冷酷な声。
男のヒザ蹴りがアゴの辺りにヒットした。
血の味が口の中に広がる。
それでも男にしがみついた。
強く男のシャツを掴んだため、袖からボタンが取れた。
その取れたボタンをしっかりと手のひらで包み込んだ。
男はそのことには気づいていなかった。
二回目のヒザ蹴りが来た。
今度は耐えきれず、その場に倒れた。
意識は朦朧としている。
「もういいや。おい、いいぞ」
男がそういうと、金属バットを振り回していたもう一人の男が近づいてきた。
その男は完全に目がイッてしまっていた。
おそらく薬物をキメているのだろう。
髪をつかんで体を引き起こされ、その場で正座をさせられた。
「じゃあな」
フルスイングだった。
しっかりと振られたバットは顔のど真ん中を打ち抜いていた。
「ホームランっ!」
それが最期に聞いた言葉だった。
こんな残酷なことがあってもいいのだろうか。
目を開けた久我は、無念を残したまま死んでいった彼女の死体を見下ろしていた。
すべてのものに記憶が宿る。たとえ、それが無機物であったとしても。
ものの記憶。久我はそれを『残留思念』と呼んでいた。
久我は、その残留思念をものから読み取るという能力を持つ人間だった。
警察庁特別捜査官である久我は、その特殊な能力を使って事件の捜査をおこなう特別捜査官なのだ。
特別捜査官という存在を知らない警察官はいないが、久我の能力について知っている警察官はひと握りしかいなかった。
また、久我の能力を知っていても、信じていない人間も少なくはない。
いま久我が読み取ったのは、この小さなボタンに残されていた残留思念であった。
「姫野さん、この街にいる暴力団組織の人間の顔写真とリストを用意してもらえますか。それと手の甲に小さな蜘蛛の
久我は姫野にそう伝えた。
小さな蜘蛛の刺青は、金属バットを振り回していた男の手に描かれていたものだった。
見えたのは一瞬ではあったが、久我はその刺青をしっかりと見ていた。
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