機械戦争

 パンドラは機械だ。だからその顔に表情なんてありはしない。

 そもそもロボット、そこに搭載された人工知能が感情を持つのか、という問題もある。例えば笑顔を浮かべるアンドロイドがいたとしても、コンピューターに出された命令は『パーツAの角度を一度上げる』でしかない。人間の問い掛けに「愛しています」という言葉を返すチャットボットの中に入っているのは、「愛しています」という文字コードだけ。これらの内面にあるのは愛でも蔑みでも憎しみでもない。0と1の数字だけだ。

 しかし今、千尋は機械であるパンドラの『感情』を強く感じる。それこそ、身の毛がよだつほどに。

 怒っている。

 かつてないほど激しく、止め処なく溢れ返る怒りが、パンドラの身体から発せられていた。


【ギリリリガギリリリリリ……!】


 歯軋りにも似た、パンドラ怒りの唸り。その怒りを向けられた側ではないというのに、千尋はぞわぞわとした悪寒を覚えてしまう。

 果たして円盤を操る宇宙人達、または人工知能は、この巨大なロボットをどう見たのか。

 少なくとも恐怖はしていないらしい。傾いた円盤は体勢を立て直すと、やや高度を上げていき……数百メートルほどの高さに達するや、無数にある百メートル級の円錐から光を放ち始めた。

 何百という数の光が、パンドラ目掛けて伸びていく。円盤とパンドラの距離はざっと五キロは離れているようだが、光は一秒と経たずに着弾。光の出力はやはり絶大で、今や戦車砲さえも通じないパンドラの装甲から濛々と煙が立ち昇った。

 だが、幼体と異なりパンドラは怯まない。

 何百という光を浴びながら、パンドラは大きく口を開いた。生物であれば舌に該当する部分に、赤く輝く水晶状の物体がある。

 煌々と輝くそのパーツが何をしようとしているのか。十年前の戦いを知る千尋は理解し、ぞくりとした寒気に見舞われた。けれども今は、その光景が恐怖や絶望には思えない。

 むしろ――――


【ギャリギャアアアアアアッ!】


 千尋の考えなど余所に、パンドラは開いた口から紅蓮の光線を吐き出した!

 光線は一直線に進み、円盤のやや下側側面を直撃。十年前、自衛隊や米軍を丸ごと吹き飛ばしたその攻撃は、水平を保っていた円盤を三十度近く傾ける。

 先程円盤の攻撃が止んだのは、パンドラが吐いたこの光線の直撃を受けたからか。全長三キロもある巨大物体を傾けるとは、恐るべき出力と言うしかない。

 されど、ただ傾けただけ。

 光線を浴びた円盤の側面装甲は、傍目にも分かるぐらい焼け爛れていた。しかし傷が浅い事も分かる。内部の部品などが露出せず、また装甲も薄くなったようには見えない。中まで熱は通らず、大部分の攻撃は受け流されたようだ。

 二発目の攻撃だけに、パンドラもこの結果は予測していただろう。悔しそうに唸るも、驚いたようには見えない。

 そして円盤にとっても、二度目の直撃。今度は反撃を行ってくる。

 円盤下部にある無数の砲台が再び光り出す。ただし今度は百メートルほどの短い円錐だけでなく、二百メートルもある中型の砲台も光っていた。

 それら大型の砲台が撃ち出したのは、青く光り輝く弾。

 光の弾が、無数に放たれたのである。あれは一体なんなのか? 技術者である千尋でさえ、原理も性質も分からない未知の攻撃だ。砲台一つが放った光は三発程度。だがそれら中型の砲台は何十と存在している。全てを数えれば百は下らない。

 加えて光の弾は極めて速く、五キロ以上の距離を瞬く間に飛んでいく。パンドラは巨体の割に俊敏であり、時速数百キロの猛スピードで走り回れる。しかし光の弾を避けるには、少々足りない。


【ギリィ……!】


 パンドラ自身も回避不能と判断したらしく、避けることはせず両腕を身体の前で交差させて防御態勢を取った。

 光の弾はすぐに着弾。すると巨大な、パンドラの半身を包み込むほどの大爆発が起きる。それほどの大爆発もたった一発の光弾で起きたもの。次々に命中し、繰り返される大爆発によりパンドラの姿は見えなくなる。

 その爆発の中から、パンドラの腕が飛び出した。

 腕を伸ばしての攻撃? 届く筈がない行為に、千尋は一瞬困惑する。だがその腕がのを見て、ようやく状況を理解した。

 攻撃ではない。パンドラは、先の攻撃により腕を失うという大ダメージを負ったのだ。


【ギ、ギギリィイイアアアアアッ!】


 爆炎の中から飛び出したのは、右腕を失ったパンドラ。

 パンドラの防御力が如何に優れているか、十年前の戦いから『人類』はトラウマになるぐらい理解している。ナパーム弾など『弱点』を付いても、膝を付かせるのがやっと。しかもそのダメージもすぐに対応され、今では通じなくなってしまった。

 円盤が放った光弾は、パンドラにとって不意打ち気味の一撃ではあっただろう。しかしそれを差し引いて考えても、一瞬で腕を吹き飛ばす破壊力は凄まじい。

 それこそ、核兵器に匹敵するのではないか。

 人知を超えた力だ。ひょっとすると、本当にパンドラを倒せるのではないか……円盤が見せた攻撃に、そんな予感か千尋の脳裏を過る。

 そしてそれは、パンドラも同じらしい。


【ギャアアアリリリィィイイアアア!】


 パンドラが吼える。ただし円盤に向けてではなく、千尋達――――千尋達を持つ幼体パンドラに向けてだった。

 吼えられた瞬間、幼体パンドラは身体をびくりと震わせる。千尋達も怯み、尻餅を撞いてしまう。音だけで言えばただの咆哮であり、単語にすらなっていない雄叫びだが……ハッキリとパンドラの言いたい事は理解出来た。

 早く逃げろ。此処から、出来るだけ遠くへ。

 幼体パンドラを逃がそうとしているのだ。幼体パンドラは少し迷いを見せたが、傍にいる千尋達を一瞥。千尋達を手で掬い上げ、パンドラに言われた通り、この場から背を向けて逃げ出す。


【ギャリリリリリリィィーッ!】


 そして幼体パンドラが逃げ出すのと共に、パンドラは本気の戦いを始めた。

 雄叫びと共に全身のあちこちが開き、無数のミサイルが飛び出す! 十年前からパンドラが積極的に使っていた対空ミサイルだ。

 大きさこそ小さく、威力も弱い。しかし圧倒的な手数を誇り、パンドラも何百という数のミサイルを撃ち出していた。更にこのミサイルは圧倒的な速度と機動性を誇り、最新鋭の戦闘機さえも易々と追尾してみせる。対空攻撃として比類なき強さの攻撃であり、人間の防空システムではどれだけ高度でも防ぎきれるか怪しい攻撃だが……円盤にはレーザー染みた閃光がある。

 何百とある百メートル級の砲台から、何百という数の光が放たれた。光は光速ほどではなくとも、瞬きしている間に数キロ彼方に着弾する程度には速い。着弾まで数秒と掛かるミサイルを狙い撃つなど造作もなく、パンドラが放った無数のミサイルは全て空中で爆発した。

 しかしパンドラは、この展開を狙っていたらしい。

 ミサイルが撃ち抜かれ、爆発するやパンドラは走り出す。爆発が煙幕代わりになり、円盤の視界を遮っていた。漂う煙は何百メートルもの範囲の上空に広がっており、体長百メートルのパンドラを隠すには十分。


【ギャリアアッ!】


 一瞬姿を眩ませている間に、残っている片手を力強く開く。掌にある赤いパーツが煌々と輝き、力を溜め込む。

 そして煙が晴れてきたのと同時に、掌からエネルギー弾を撃ち出した!

 これもまた十年前に使い、自衛隊と米軍を壊滅させた技だ。口から吐き出す閃光ほどの威力はないが、連射可能という利点を持つ。今回も瞬く間に何十と放ち、円盤に当てていく。

 更にパンドラは、一点を狙って攻撃していた。威力が低くとも、同じ場所に当て続ければダメージが蓄積していく。これにより一発では壊せない装甲が相手でも、破壊可能という訳だ。

 狙うは口からの閃光をぶち当てた場所。最大の一撃を浴びせた場所に追撃をお見舞するのが、破れる可能性が一番高い。

 だが、円盤はその狙いを読んでいた。

 ぐるんとし、今まで見せていたのとは別の面を向けてきたのだ。閃光を浴びた場所でなければ、そこにあるのは無傷の装甲。口からの一撃に劣る攻撃が通じる筈もない。


【ギギギ……ギィアアアアア!】


 パンドラも攻撃が防がれた事を理解したようで、苛立つように吼える。

 そのまま左手をまた煌々と光らせ、次の攻撃を準備する。相手が挫けるまで、攻撃を続けるつもりらしい。されど円盤に付き合うつもりがなければ、思惑通りにはいかない。

 パンドラが更なる攻撃の意思を示すと、円盤は高度を上げていく。ハッとしたように顔を上げたパンドラは、すぐエネルギー弾を放ち攻撃するが……円盤はこの攻撃を無視。何百メートル、何千メートルと離れていった。

 エネルギー弾は強力な攻撃だが、射程が短い。恐らく放出したエネルギーが大気中を漂う酸素などの分子と反応してしまうからだ。円盤はその弱点を見抜いたのか、高度を上げる事で距離を取ったのだろう。放ったエネルギー弾は全て着弾したものの、距離が開くほど爆発は小さくなっていく。

 離れていく円盤に、パンドラは悔しそうに歯軋り。

 いくらパンドラといえども、空は飛べない。何十万トンもある巨体を浮かばせる事は、人間にも出来ない事だ。対空攻撃能力はあっても、空高く飛べなければ威力の高い攻撃は届かない。

 対して、円盤は射程に優れていた。

 浮かび上がり、パンドラを真下に捉えるや砲台から無数の光を放つ! 幼体パンドラにも放った、雨のような攻撃だ。いや、より正確に言うなら幼体パンドラの時よりも更に激しく光が降り注ぐ。幼体パンドラよりも、パンドラの方が遥かに危険だと判断したのか。


【ギ、ギリ、ギ、ギィ!】


 円盤の判断は正しい。この攻撃で身動きが取れなくなった幼体パンドラと違い、パンドラは立ったまま次の反撃を繰り出した。

 背中から背ビレこと子機を発射。円盤に向けて飛ばしたのだ。円盤が放つ光の一部は子機に狙いを変え、これを撃ち落とそうとするが……子機はミサイルと違い頑丈だ。数秒程度の照射であれば耐えられ、その前に右に左にと動いて当たる場所を変えれば更に長く耐えられる。

 ミサイルと違い、子機は円盤まで到達。最大速度で装甲に激突して食い込む! そして深々と刺さった状態で、子機は内部に持つ燃料と爆薬を点火。大爆発を起こし、円盤の内部に向けて爆風を送り込む。

 人間との戦いで、数多の艦船を轟沈させた攻撃だ。未知の円盤がどのようなテクノロジーで動いていようと、内側に重要な部品があるに違いない。これを焼き尽くせば撃沈には至らずとも、大きなダメージを与えられる筈……そう、中に火さえ通せたのであれば。

 しかし円盤の防御性能は、パンドラの想定を大きく上回っていたらしい。

 確かに子機は円盤に深々と突き刺さっていた。だが、爆発の跡を見てみれば、装甲に穴は空いていない。。そして子機が爆発して跡形もなくなった後、凹みはすぐに元の形へと戻る。

 円盤の装甲は頑丈であるのと同時に、極めて柔軟らしい。ちょっとやそっとの物理的衝撃では貫くのは困難だと分かる。

 そしてこれで、パンドラの打つ手はなくなった。


【ギキキキ……ギィギィヤアアアアッ!】


 パンドラは雄叫びを上げると、身体の表面がパチパチと煌めく。そして放たれた閃光が、パンドラに届く前に弾けて消えた。

 十年前に人間達相手に見せた現象であり、それは『バリア』の展開だった。

 人間達にとっても最大の脅威と言えるこの能力は、世界中の科学者達が研究し、今では(あくまでも推測だが)正体も分かっている。十年前に千尋が予測した通り、これは強力な電磁装甲……それも人類が未だ実用化出来ていない通電方式だ。強力な電流を表面に流し、これに触れたものを感電させる。そして電流が流れた際に生じる熱で溶解等をさせ破壊するというもの。円盤が放つ閃光はなんらかの粒子の集まりなのか、電流により動きが乱されて霧散しているのかも知れない。

 無論これほど強力な電気を生み出すには、相応の発電装置が必要だ。これもまた推測だが、恐らくは熱エネルギーを変換する事で賄っている。十分な熱がなくとも発動自体は可能だろうが、すぐに『体力電力』を失ってしまう筈。そのため強力な防御手段だが、相応のダメージを負ってから出ないと使えない技でもあると考えられている。

 パンドラはここまでの攻撃で、かなりの打撃を受けただろう。物理的衝撃だろうと雷撃だろうと光だろうと、あらゆるエネルギーは最終的には熱へと変わる。傷付いた分だけパンドラは強力な守りを展開出来るのだ。それを証明するように、円盤が放つ閃光は悉く無効化されていく。

 人類では破る方法も分からない、驚異のテクノロジーだ。

 ――――しかし異星人にとっても驚きであるかは、分からないが。

 電磁装甲を展開して光の雨を防ぐようになったパンドラに対し、円盤はついに最も巨大な、五本しかない三百メートル級の巨大砲台を動かす。パンドラの全長を優に三倍近く上回る砲台は、根本の部分から稼働し、先端をパンドラに向けた。

 そして表面にある紋様が、不気味に光り出す。

 千尋達人間だけでなく、きっとパンドラ達にも、円盤がどのようなテクノロジーで動いているかなど分からない。だがその紋様の光り方は、莫大なエネルギーを集めているのだと察せられる。

 しかもたっぷりと、殆ど溜めもなく放った光や光の弾を撃った砲台と違い、十秒以上も掛けてこれをやっているのだ。放たれた攻撃の威力がどれほどのものか……楽観的に考える事など出来ない。


【ギ、ギリリィヤアアアアアアッ!】


 パンドラは大きく口を開き、自らも特大の閃光を放とうとする。電磁装甲も全開にしているのか、身体が纏う輝きはどんどんその強さを増していく。

 しかし円盤の砲台からの攻撃は、それらの輝きを上回る。

 放たれたのは巨大な、同時にパンドラの口から放たれた閃光さえ細く見えるほどの一閃。青く輝くそれは、パンドラ渾身の一撃を容易く掻き消した。

 パンドラさえも呆気に取られたのだろうか。はたまた無駄だと察してしまったのか。彼女は身動きも取れないまま、円盤の攻撃に包まれた。


【ギギガギギギィィィィィィッ!?】


 断末魔としか言いようがないパンドラの叫び。それさえも、円盤の放った閃光は掻き消してしまう。

 閃光と称したが、やはりこれもレーザー光線ではないのだろう。高速ではあっても、軌跡が目で追えるのだから。パンドラを包んだ光はその余波で大地を削り取っていく。遥か何十キロと続く荒々しい光の津波は、大地を、自然をも吹き飛ばす。

 攻撃時間は、ほんの数秒。

 その数秒で大地に刻まれたのは、一直線の爪痕。幅は数十メートルほどであるが、直線距離にして数十キロは焼き払われただろうか。全長数百キロの巨人が指でなぞったかのよつに大地が抉れ、溶解した地面がマグマとなって溜まっていた。もう、自然にあったものは一つとして残っていない。

 唯一その中で形を保っていたのが、パンドラ。

 しかしパンドラも悲惨な姿となっている。腕だけでなく両足も取れ、胴体も装甲が溶解していた。全身のあちこちに穴が開き、中身である複雑怪奇な配線や動力炉が丸見えとなっている。電気系統も破損しているのか、あちこちでバチバチと電流が迸っていた。

 比較的原型を留めている頭でさえ、半分は溶けているような有り様。辛うじて動力系が生きているのか、頭を動かし、顎を開閉させていたが……最早何時もの鳴き声すら出せていない。

 当然、口からの閃光による攻撃など出来っこない。手から放つエネルギー弾も、全身から放つミサイルも、全て使用不可能だろう。

 戦闘不能だ。されど円盤はこのまま見逃すつもりなんてないらしい。

 小型・中型の砲台が動き出し、光と光弾の二つがパンドラに向けて放たれた。閃光が装甲を打ち抜き、光弾による爆発が装甲を吹き飛ばす。そして胴体と頭が離れ離れになり……その頭と胴体も、爆風に飲まれてしまう。

 キノコ雲が上がるほどの大爆発により、パンドラは粉々に粉砕されてしまった。


「ま、まさか、こんな……」


 ――――ここまでの戦いを遠くから眺めて、秀明が唖然とした声を漏らす。千尋も呆けたように、呆然とする事しか出来ない。

 パンドラの敗北。

 あり得ない、とは言わない。パンドラだって一つの存在に過ぎず、自分を上回る相手、相性の悪い相手と戦えば負ける事もあるだろう。しかしこれほど一方的に、容赦なく敗北するとは思わなかった。

 ましてや戦い方すら分かっていないような幼体パンドラに、どうこう出来るとは思えない。


【ギ、ギ、ギゥゥ】


 幼体パンドラにとっても、勝てる相手とは思っていないらしい。怯えた声を出し、じりじりと後退りする事しか出来ないでいる。

 しかし円盤は、彼女を見逃すつもりなどないのだろう。

 円盤はゆったりとした動きで降下しながら、幼体パンドラの方に迫っていた。まさか今更友好を結ぼうなどと言ってくる事は(宇宙人の思考回路など理解しようがないので断言は出来ないが)あるまい。攻撃のため、距離を詰めてきていると考えるのが妥当だ。

 戦って勝ち目がない以上、逃げるしかない。逃げられるかは兎も角、それ以外に生き延びる方法はない。

 だが、幼体パンドラは動かない。いや、動けないのだ。『恐怖』で腰が抜けている……パンドラの同型機だと思えばそんな馬鹿なと言いたくなるが、子供だと思えば得心が行く。幼子であればちょっと臆病なのも可愛らしい個性だ……この状況下でなければ。


「(どうしたら良い!? どうすれば……!)」


 打開策を千尋は考えようとするが、どんな方法があるかも思い付かない。そもそも『指示』を理解出来る存在ではないのだ。

 打つ手なし。

 しかしだからこそ、身体が勝手に動き出す。


「逃げて!」


 思わず、千尋は叫んでいた。

 幼体パンドラに言葉は通じない。コミュニケーションは出来たが、まだ単語の意味などは何も教えていないのだから。

 けれども千尋の必死な想いは、奇跡的に通じたのかも知れない。


【キュ、キュウリリリリーッ!】


 悲鳴染みた叫びを上げながら、幼体パンドラはこの場から走り出す。千尋達を優しく抱えながら、可能な限りの全力疾走で。

 それでも円盤が追ってきたら、きっと勝ち目なんてなかっただろう。

 けれども円盤は、追ってこなかった。幼体パンドラが逃げ出すと一旦停止し、次いで空高く上がったのだから。背を向け、逃げ出した幼体パンドラは脅威ではないと判断したのか。

 或いは、パンドラ以下の強さであるなら放置しても問題ないと考えたのか。

 いずれにせよ見逃してもらえたなら、千尋としてはあり難い。幼体パンドラの掌の上で、へなへなと千尋は座り込む。秀明も身体から力が抜けたらしく、その場に座り込むと乾いた笑みを浮かべた。千尋も、無意識に笑みを返す。

 助かった。パンドラのお陰で。

 けれどもパンドラはもういない。円盤との戦いで、完膚なきまでに破壊された。それはつまり、地球最強の『兵器』が敗北したのと同じ事。

 では。


「(あの円盤が何かした時、誰が止められるのかな……)」


 答えなど分かりきっている疑問。

 だからこそ今は考えたくもなくて、千尋は重大な懸案を一度頭の片隅へと寄せてしまうのだった。

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