決戦前日
「ひょえぇぇえぇぇ……!」
千尋のか細い悲鳴が、響き渡る。
恐怖に染まりきった悲鳴であるが、彼女を気遣う者はいない。何故なら此処にいるのは千尋以外には秀明と『パイロット』だけで、千尋が怖がっている理由を二人とも知っているのだ。
ヘリコプターの窓から見える街並み……その風景から突き付けられる、高い場所にいるという現実に怯えているだけなのだと。
「はははっ! 相変わらず君は飛ぶ乗り物が嫌いだねぇ」
「だ、だって、き、金属の塊が、飛ぶなんて、非科学的ぃぃぃ……」
「うーん、技術者らしからぬ発言だぁ」
怯える千尋の姿を見て、秀明はにこにこと笑う。その頬を引っ叩いてやりたい気持ちになる千尋だったが、確かに彼の言い分も尤もだ。ヘリコプターもまた先人技術者達の努力により生み出されたもの。それを不安がり、ましてや非科学的だと語るのは、些か失礼かも知れない。
怖いものは怖いので、怯えるのを止める事は出来ない。しかし少しは控えようと、千尋は佇まいを直し、窓の外を見ないよう努める。
それでもまだ怖さは消えてくれないので、別な事を考える。
例えば今の日本やパンドラ、そして自分達が何故ヘリコプターで移動する事になったのかについてなど。
――――東郷重工業で起きたロボットの事故、そして『パンドラ』の誕生から四日の時が流れた。
米国の全面協力は得られたが、だからと言って世界最強の米軍様が直ちに駆け付けてきてくれる訳ではない。自衛隊と米軍の方針擦り合わせ、双方の国の政府での閣議決定、部隊の編成、周辺国への説明や調整……どれもこれも時間が掛かる。むしろたったの五日、明日にでも攻撃作戦が行われるのは、在日米軍という形で日本に駐留している部隊があるお陰と言えるだろう。尤も、その在日米軍がこの作戦後も日本に残っているかは、今の世論を思うと色々厳しいかも知れないが。
また中国やロシア、他にも様々な国が日本に支援を申し出ているというニュースがある。
表向きは『人道支援』であり、実際援助自体はとても有り難い申し出だ。武器にしろ弾薬にしろ資金にしろ、いくらでも欲しいのが実情である。
だが諸外国の内心は善意などではなく、何かしらの見返りを求めているのは明白。むしろ政府と言うのは「自国の利益」を追求するものであり、当然そう動いていると考えるべきであろう。
具体的な支援内容や『見返り』の詳細は公表されていないが、一説にはパンドラの残骸提供を求めているのではないか、と言われている。自衛隊の攻撃をものともしない装甲、人格を有したAI、巨体を支える部品強度、ナノマシン制御……暴走により生まれたあのロボット怪獣は、新技術の集まりの可能性が高い。技術力は国の発展や国際的発言力に欠かせないもの。他国を出し抜くためにも、出し抜かれないためにも、意地でも『協力』したいに違いない。米国が作戦に協力するのも、そういった面で『穏便』に協力を取り付けるため、という見方がある。
被害を受けて追い込まれる日本、何がなんでも技術を得たい他国。どちらが有利な立場なのかは、外交の駆け引き次第といったところか。
しかし一般人には(実際には無関係ではないが)そんな外交の話などどうでも良い事だ。重要なのは、現在進行形で町を破壊し、人間を虐殺しているロボットがいる事。少なくとも現時点では自衛隊の攻撃をものともせず、ロボットは自由に暴れ回っている事。
そしてパンドラが今、首都圏を目指して進んでいる事である。
それは千尋達も例外ではない。本社がある東京はパンドラの進路上にあり、パンドラに襲われても不思議はない。経営者である秀明はすぐ社員全員に避難指示を出し、東京から離れるよう促した。取締役などの重役は状況の把握や対応会議があるため、東北の第二支店へ向かうよう命じている。
秀明と千尋も第二支店へと向かう。避難経路は様々だが、ヘリを使ったのは折角だから……なんて理由ではない。東郷重工業は事故の発生場所であり、アメリカ政府が根本原因とはいえ、全く責任がないとは言い切れないのが世間の見方だ。そうなるとマスコミが取材、或いは『追究』をしてくる可能性がある。秀明としては説明責任を果たす意思はあるものの、車で移動中にあれこれ尋ねられては極めて迷惑だ。
そうした面倒を避けるため、誰もちょっかいを出せない空で支社へと向かう事となったのだ。ちなみに千尋が彼と一緒に行動しているのは、単純に人見知り過ぎて誰かと一緒でないと電車もタクシーも上手く使えないからである。この点については秀明も「ちょっと甘やかし過ぎたかなぁ?」という考えだが、緊急時の今特訓する余裕はない。
「そんなに怖がらなくても落ちはしないさ。うちの会社が整備に金を惜しまないのは知っているだろう?」
「うっ……そうだけどぉ……」
思考で恐怖を誤魔化そうとしていた千尋だったが、どうやら上手くいっていなかったらしい。秀明に励まされ、その羞恥で千尋は顔を赤くする。
そして指摘されれば、自分の身体が震えている事も理解してしまう。
「そうだね、一つ話題……というより確認したい事がある。あまり楽しい話ではないが、頭を使えば少しは気が紛れるだろう」
ついには秀明に気を遣われてしまう。
申し訳ないと思いつつも、『楽しくない話』に興味がないと言えば嘘になる。千尋は顔を上げ、秀明の目を見た。
「は、話って?」
「ずっと疑問なんだ。パンドラは、どうして人間を襲うのだと思う? 人間に恨みでもあるのだろうか?」
秀明から尋ねられた謎。その答えは千尋も持ち合わせておらず、秀明の思惑通りヘリコプターへの恐怖を一時忘れてまた思案する。
パンドラは人間を積極的に殺している。
それは住宅地を万遍なく爆破したり、逃げようとする人々の避難経路をミサイルで破壊したりするなど、行動を見れば明らかだ。自衛隊どころかマスコミを狙い撃ちにした事さえもある。これで人間を襲っているつもりはない、というのは些か無理があるだろう。
だが、それをしてなんになるのか?
秀明が言うように、恨みを晴らそうとしているのだろうか。可能性としては、あり得なくはない。パンドラは米国の研究により生み出されたが、その存在は機密であり、隠され続けていた。挙句パンドラが少し外ではしゃいだ事を理由に、封印しようとしている。人間にとってはバグだらけのプログラムの廃棄でも、人工知能にとっては『殺害』されるようなもの。自分を殺そうとした相手に復讐を誓うのは、動機としては分かりやすい。自我を持っているなら尚更だ。千尋だって、パンドラの立場ならそう考えるかも知れない。
しかしどうにも千尋には納得出来ない。そしてその理由は人工知能と人間の感性が違う可能性、等という曖昧なものではない。
もしも本当にパンドラが人類を恨んでいて、手当たり次第に殺そうとしているのなら……何故今まで行動を起こさなかったのか。先日ケネス達から聞いた説明が正しければ、パンドラが外に逃げ出したのはかれこれ一年近く前だ。即ち約一年前の時点で、パンドラは世界最高峰であろう米国国防総省のセキュリティを突破する能力があった筈。
企業のセキュリティがどれほど強固かは会社によってまちまちだろうが、どれだけ真剣に取り組んでいたとしても米国国防総省ほどのものは早々ないだろう。低い水準のものであればいくらでも見付かり、時にはある程度知識を持つ者なら呆れて物も言えなくなる状態の企業も(褒められたものではないが)ある。寄りにもよって、それがインフラ関係な時も皆無ではあるまい。貧困や政治腐敗が著しい途上国なら特に。
仮にパンドラが人類全体を恨んでいたとして、それで人間をたくさん殺したいと考えたとする。ではどうやるのが一番効率的か?
簡単だ。真冬や真夏に原発を吹っ飛ばせば良い。放射能汚染と過酷な気象条件で、人間達はバタバタ死んでいくだろう。勿論原発に限らず、発電所を全て機能停止させるのも悪くない手だ。
或いはどこかの国のミサイル施設でもハッキングし、あちこちに発射するのも面白い。米国の軍事施設を弄って、弾道ミサイルを北京にでも撃ち込めば終わりなき世界大戦の始まりだ。テロ組織に米国や中国の核施設の場所を流しても良いし、SNSで世論を先導するのも悪くない。もっとせこい方法で良いのなら、今やすっかり主流となった自動運転の車を狂わせて玉突き事故などの選択肢もある。
やろうと思えばパンドラは何時でも、いくらでも人間を殺せたのだ。上手くいけば絶滅させる事も可能だろう。それを考えると巨大ロボットで暴れ回るというのは……ちょっとばかり効率が悪い。ハッキリ言って『お馬鹿』である。
自我を持つパンドラが合理的とは限らないが、だとしても人類絶滅が目的ならもう少し『マシ』なやり方を選ぶと思われる。つまりパンドラの目的は人類の絶滅などではないのだろう。
だとすると……
「……多分、人間を殺す事に、大した意味は、ないと思う」
「意味はない?」
「うん。多分だけど、あれは楽しいから、やってるんじゃ、ないかな」
千尋が推測を語ると、秀明は目に見えて不快そうな表情を浮かべた。人殺しを楽しむマシーン……確かに『語感』は最悪だろう。
だが俯瞰的に考えてみればどうか。
例えば人間の幼子。何年か前、千尋は秀明の孫と会った事がある。当時のお孫さんは二歳ぐらいで、小さい子供特有の無邪気さは可愛らしくもあったが、しかしその無邪気さでアリやダンゴムシを踏み潰して遊んでいた。命を粗末にする行いに、これはよくないと千尋もお姉さんぶって叱りもしたが、秀明の孫はにたぁと笑うだけ。ますます元気よく虫達を踏み潰した。
結局あの時は秀明が叱って事なきを得たが、あれを人間の子供特有の感性と思うべきではない。と言うより生物は基本、自分以外の生物に優しくないものだ。シャチがアザラシを玩具にして殺すように。
パンドラはAIである。つまり人間ではない。高度に発達したAIから見れば、人間などそこらを歩き回っている虫けらであり、踏み潰したところで心など痛まないのだろう。或いは『肉体』を得て、単純にはしゃぎ回っているだけなのかも知れない。爆弾やミサイルを人間に向けて放つのは、目標として都合が良かったからか。
いずれにせよ、人間を殺す事に大した意味や目的はない、と考える方が自然に思える。そしてパンドラの意思や行動を残虐だの悪魔だの言うのは、あまりにも人間を特別視し過ぎている。人間の存在を尊重するのはあくまで人間だけ。『世界』がそうではない事は留意すべきだろう。
勿論、だから殺されるのは仕方ない、という訳ではない。重要なのは、相手は悪でもなんでもないのだから、人間が頑張ってどうにかしなければならないという事だ。
そして悪意がないのなら、必ずしも完全な破壊に拘る必要はない。
「最悪な、気持ちになるのは、分かるけど、むしろ、希望があるかも。楽しんでるだけ、なら、そのうち飽きるかもだし、痛い目を見れば、それだけで、撃退出来る、かも」
「成程。万が一奴が日米の攻撃に耐えても、殺戮が続くとは限らない訳か。完全勝利に拘らなくて良いのは、少し気持ちが楽になるな」
ある種楽観的な、或いは暢気な考え方だが、秀明は本心からそう思ったのか。強張っていた表情に安堵が浮かぶ。
無論脅威を完全に排除出来るなら、その方が良いに決まっている。ヒグマや農業害虫などの野生動物だと生態系への影響があるためおいそれと絶滅させる訳にはいかないが、パンドラは一から十まで人間が作った、最近までこの地球に存在しなかった存在だ。完全な根絶を果たしても問題はなく、むしろ消し去った方が地球環境に優しい可能性が高い。
だが相手の実力は未知数だ。人間も全力で破壊を試みるとはいえ、万が一も起こり得る。それでもここでの敗北が人類滅亡に直結する訳でないのなら、まだ希望を捨てずにいられる。
どんな結末になったとしても、希望は必要だ。人間は頭が良いからこそ、希望を持たねば生きていけない面倒臭い生物なのだから。
「さぁ、もうすぐ着陸だ。戦いは軍人達に任せ、自分達は出来る事をしよう」
そうこう話していると、秀明が目的地の到着を伝える。
え、と驚きを覚えながら窓の外を見てみれば、確かに今までよりも随分と高度が低い。何よりコンクリートで出来た『地面』が見える位置にある。
第二支店ビルの屋上にある、ヘリポートのすぐ近くまで来ていたようだ。恐怖を紛らわすための会話だったが、千尋が思っていた以上に効果覿面だったらしい。こうも効果的だと、自分の単純さが恥ずかしくて顔が熱を帯びてきた。
悶えている間にもヘリコプターは降下していき、ヘリポートに着地。扉が開かれ、秀明が降りる。千尋も後を追うようにしてヘリコプターから降りると、そこには大勢の社員……それなりの重役なのだろう。集まった男女問わずそれなりに年齢を重ねた者が多い……が出迎えた。経営者の一人である秀明が来たのだから、ある意味当然の歓迎か。
なんにせよ、安全な場所に辿り着いたから一安心、とはならない。
技術者として、躯体であるロボットの生みの親として、千尋にはやれる事がある。
「(何かあった時、パンドラの弱点を見付けないと……)」
パンドラと軍の戦い。もしも軍が負けた時、パンドラを倒すヒントを見付けられるのは、きっと自分だけなのだ。
されど胸の奥底で、微かに思ってしまう。
人類がついに生み出してしまった、自我を持つAI・パンドラ。『彼女』は果たして、人間の手に負える存在なのだろうか。
勝てない相手に対して選ぶべきは、闘争ではなく――――
「……それは、また今度、かな」
首を横に振りながら、千尋はビルの中に足を踏み入れる。最初から負けを考えていては、勝てるものも勝てない。根性論や精神論で現実は変わらないが、しかしそもそもやる気がないの論外なのだから。
あと十数時間で始まる、人類と造物の決戦。一つの情報を見逃さないために、今はやれる事をやるだけだ。
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