第58話 五十路、断ち切る。
「お前、福家か!? 福家じゃねえか!」
私に嘘告白をしてきた内野さん。その内野さんとお付き合いをされていて、賭けをし、負けた腹いせに私を殴ってきた同級生。
横河尊さんがそこにいました。
「お久しぶりですね。横河さん。ですが、一応ここでは白銀とお呼びいただけないでしょうか」
「ああ、源氏名か。随分かっこいい名前貰ったなあ。白銀さん」
横河がにやにや笑いながらこちらを見ています。あの頃からその感じは変わらないようです。
「琉偉さんが息子、ということは美穂さんとの?」
「ああ、アレはアイツの子じゃねえよ。あの頃もう一人付き合ってたヤツ」
学生時代、横河さんの女癖の悪さは耳にしたことはありましたが、あの頃もそうだったようです。
「美穂のヤツ、お前との一件の後、すぐに俺に別れて欲しいって言ってきてよ。折角俺から告白してやったのに、キスもしない、ヤってもないまま、離れやがってよ。あの賭けでお前がさっさと告白してりゃあ、俺の勝ちですぐヤレたのにな。そうだ、アイツ、賭けの金も受け取らねえし、変なヤツだったぜ」
そうでしたか、あの後、お別れされたのですね。
横河のこの感じを見て、彼女が不幸な目に遭っているのではと心配してしまいました。
嘘の告白とはいえ、彼女は何故か完全には憎めませんでしたし。
「でも、相変わらず美人だぜ。この前偶然会ってな。娘が芸能人になるくらいだしな。死んだ父親も相当男前だったんだろうよ。で……」
「横河さん、本題は……」
「ああ、そうだったな……福家よお、お前からも何とか言ってやってくれ。昨日までのバカ息子のやったことはなかったことにするようにって。俺も議員とかやってるからよ。困るんだわ。こういうの」
横河が随分と横柄な態度で私に迫ります。
「ダメです。悪いことをすればそれなりの罰を受けるべきです」
「分かんねえかな。困るから、やめろっての。やめなきゃ潰すぞって言ってんだよ」
「そうですか。分かりました」
「……んだよ、おせえよ! ったく、お前は昔からトロクセエんだよ」
「少々お待ちください」
私はスマートホンを取り出し、連絡を取ります。
「んあ? 誰に連絡してんだ? 責任者か?」
横河のかける言葉を無視し、電話先の方とお話します。
「あの、少しこちらの方とお話しいただけますか?」
「めんどくせえな。お前がなんとかしろよ。お前、また、あの時みたいにボコボコにされたいのか?」
私は、覚えたてのテレビ通話の状態にして、スマートホンを横河の前に置きます。
『いやあ、面倒をかけて申し訳ないね。横河君』
「ん? だれ、だ……って、え? あ、あなたは」
「お手数かけてすみません、誠二郎さん」
画面には誠二郎さんがいらっしゃいます。お仕事中であったにも関わらず予定を変更し、お話してくれることになりました。
事前に可能性として言われていたので、対応できるようにしてくださっていた様ですが。
「誠、二郎? やっぱり、あの顔、水戸、誠二郎先生!?」
驚愕の顔を浮かべる横河を尻目に、緋田が千金楽に問いかけます。
「水戸誠二郎って誰です?」
「お前な……。ちょっとは政治とかにも興味持て、えーと、簡単に言うと政府のお偉いさんだ。」
「え? じゃあ、あのおっさんより?」
「相当上。ていうか、あの人が命じたら多分アイツ居場所失うレベル」
そう。誠二郎さんはニュースでも時折見る程の方です。
色々あり、この方もカルムに稀にではありますが、お越しくださるようになりました。
『さて、横河君』
「は、はい!!」
『ここは非常に優良で素晴らしいお店だと聞いているんだが、君はそこを潰すと言ったらしいね? ……では、その前に私が君を潰すとしようか』
「別名、政界の大魔神。気に入らない奴は徹底的に潰すこええ人だ。覚えとけ」
千金楽の言う通り、政界ではかなり恐れられている方らしいのですが、カルムではおばあちゃん達に窘められたりしてもニコニコしていてそんなイメージはありません。
「は、はひ。い、いえ、あの、ち、違うんです! おい! 福家なんでお前が!?」
『福家君は私の恩人でね。その恩人をキミはボコボコにすると言ったわけだ。それ相応の覚悟はしてもらわないとね?』
誠二郎さんはわらっていらっしゃいますが、確かに、迫力があります。
整った顔立ちですので余計に美しく威厳があり、恐ろしいのでしょう。横河が、だらだらと汗を垂れ流しています。
『白銀、安心してくれたまえ。そこの愚か者は、この水戸誠二郎が責任を持って対処しよう。そしたら、君の店に胸を張って伺わせてもらおうと思う』
「はい、誠二郎お坊ちゃんのお帰りをお待ちしております」
『坊ちゃん? はっはっは! うん、君に胸を張れる成果を持って帰って来よう』
「はあっはあ! ま、待って! お待ちください! 水戸先生! お願いです! わた、わたしの話を聞いてくださいぃいいいいい!」
誠二郎さんに縋ろうとする横河でしたが、誠二郎さんは、
『知っての通りだろうが、私は忙しい。白銀に割く時間はあってもキミの為の時間はないんだが、何かね?』
「い、いえ! あの! な、な、なんとかご慈悲を! お助け下さい!」
土下座までして懇願する横河を誠二郎さんは冷たく見つめていましたが、急に何か思いついたように、
『うん、そうだ、こうしようか? 君があの白銀の拳を、そうだね……七発耐え続けられたら、君の誠意と捉え、今回の件は何もなかったということにしようか』
「せいじろ、いえ、水戸先生。それは……」
「やりまーす! やらせていただきます!」
私の声より先に、横河が手を挙げ賛成の意志を表明します。
「かしこまりました! 実は、この横河、格闘技を習っておりまして、その腕はその道のプロにもなれると言われたほどでして。必ず、耐えきって、先生に誠意をご覧いただきたいと思います!」
横河が腕をぶんぶんを回し、誠二郎さんに向かってアピールを始めます。
「水戸先生、これは……」
『白銀、これは必要な事だよ。察するにあの男が君を過去に縛り付けた張本人なんだろう。きっとこれは何かのめぐりあわせなのさ。大丈夫、この水戸誠二郎の名で、ここで起きたことはこの場だけの話にしてみせる。何をしてでもね』
私は、誠二郎さんがこういう目をしたら、もう止まらないことを知っているので、苦笑せざるを得ません。
そして、観念し、千金楽達に呼びかけます。
「お嬢様お坊ちゃんが来ないようにお願いしますね」
「ああ、分かってる」
「はっはっは! 流石にみっともないところは見せられないものな」
横河が笑っています。なんでしょう、ちょっと『ムカついて』きたかもしれません。
自身の彼女に嘘告をさせたのも、賭けをさせたのも無理やりだったのではと思えてきました。もしかしたら、彼女にしたのも強引に……。
別れ際の彼女のあの目は……。
だとしたら、自分も許せませんが、やはり、この男は……。
私は、包帯を用意していただき拳に巻いて準備を整えます。
「やるからには本気でやりますよ」
「あーあー、御託は良い。さっさと殴りかかって来いよ、じっ、じぃい!? うえ、ご、げほっ!」
一発目。
一応、武道の技を使うのはそれぞれ習った先生に申し訳ないので、ボクシングのフックに近い一撃を横河の脇腹に打ち込みます。
流石格闘技を習っていたというべきか。横河は、目を大きく見開いてよろめいたものの膝はつきません。
「うげえ、へっ……! へっ……!」
『うん、よく一発目を耐えたね。素晴らしい』
誠二郎さんの冷たい称賛が聞こえます。
『では、二発目行こうか』
「ひぎい……!」
何故でしょう。私は微笑んでいました。
楽しいわけではありません。
ただ、あまりにも、心の中で怒りが憎しみが渦巻いていてそれを抑えるには微笑むしかなかった。
そんな感覚でした。
二発目からは、もう早く終わらせようと一撃入れてはゆっくり引きながらテイクバック。
そして、一撃と入れていきました。
四発目あたりから足が震え限界の様子でしたが、関係ありません。
「な、なんで、お前こんだけ強いのに、あの時……!」
「あの時の私は勇気がなかった。人と戦う勇気が。でも、今はありますよ。私達の大切な場所を食い荒らそうとするケダモノ達と戦う覚悟が。私にも、大切な人たちを見つけることが出来たから。この【GARDEN】を荒らす者には消えていただきたいと思います」
七発目。
打ち込む直前に、横河は膝をつき震えて蹲ってしまいました。
「横河さん、あなたから受けた暴力はこんなものではありませんでした。ですが、私はもう十分です。もっと償うべき人があなたにも、あなたの息子さんにもいるでしょうから。では、お気をつけて」
『横河君、君の『誠意』は受け取った。これ以上は無駄だ。帰りなさい。そして、これから自分の身に起きることをしっかり受け止めると良い』
横河が朦朧とした様子で去って行きます。これでもう会うことはないでしょう。
「すっきりしたか?」
千金楽さんが聞いてきます。
「そう、ですね。すっきりしてしまいました」
人を殴ってすっきりする。それは決して正しいとは言い難い。
『白銀、意味も意志もなく振り回す力は暴力だ。けれど、これは、清算だよ。彼にとっての、そして、君にとって。力を何のために振るうかが大事なんだよ。だからね、白銀。迷う事はあっても、信念を貫くことだ。君には守る為の力が本当はあるんだからね』
「はい、誠二郎さんは、今日はありがとうございました」
『うん。お礼はそちらに伺った時に白銀が淹れた最高の珈琲で頼むよ』
「かしこまりました。ですが、私はいつだって最高の珈琲のつもりですよ?」
『あっはっは! だから、君が好きなんだ。うん、では、楽しみにしているよ』
誠二郎さんとの通話が終わります。
そして、
「白銀、ありがとうな」
千金楽さんが私の元にやってきてそう言います。
「いえ、これは私の……」
「お前が、【GARDEN】の為にやってくれたことだ。だから、俺達はお前に必ずこの恩を返す。だから、勝手にやったことなんて言うな。俺達は、仲間だ」
やめて欲しい。
年を取ると涙腺が緩くなるんです。
本当に。
仲間。
仲間が私には、居ます。
大切な仲間が。
喜びも悲しみも痛みも分かち合える仲間が、居ます。
「そう、ですね。では、この活躍の分は今日の帰りに、ご飯でも奢ってもらいましょうか」
「え!? マジっすか!? 自分も行きます! 勿論奢らせていただきますから!」
「みんなに声かけようぜ。そしたら、白銀に驕る分が安く済む」
「千金楽は吝ですね」
「何が良い? ラーメン? 焼肉?」
「いえ、そばとか」
「ジジイ!」
千金楽と緋田が笑います。
でも、不思議とジジイと呼ばれてもイヤな気持ちはしませんでした。
ジジイですから。
ジジイだけど、みんなと仲間ですから。
その日、私の行きつけの蕎麦屋さんは【GARDEN】のスタッフほぼ全員と言う大人数でやってきた私達を驚きながらも笑顔で迎えてくださいました。
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