第8話 五十路、珈琲を頼まれる。

「ごめんなさいね、なんかこの時間はあたし専属みたいで」

「いえ、私が未熟故の事態ですので、お嬢様はお気になさらず」

「ん?」

「え?」


 私と未夜お嬢様の目が合います。

 お嬢様の深い夜空のような黒い瞳が疑問に揺れているようです。何故でしょうか。


「ん~、ああ、なるほどなるほど、ごめんなさい。状況が分かったわ」

「然様、ですか……申し訳ありません。執事である私の方が、理解が遅く……」

「大丈夫。白銀は何も悪くないわ」


 未夜お嬢様は微笑んで理解の遅い老いた執事の私を気遣ってくださいます。


「ありがとうございます」

「ふ~ん……白銀、あなた……」

「はい?」


 私が未夜お嬢様の呼び掛けに応え顔を上げると、じいっと私を見つめるお嬢様が。

 そして、首をゆっくり傾けながらにこりと笑って下さいながら口を開かれます。


「いいわね。あなたの周りだけ時間がゆっくり流れているみたい。いい。とってもいいわ」


 お嬢様からお褒めの言葉を頂く。いや、お嬢様の言い回しが有難い。


 私は昔からのんびりしすぎていると怒られていましたから。

 最近は、音楽でも映像でもなんでも早くて時折ついていけなくなります。


『たくちゃんはゆっくりだから、ばばあは丁度ええよう』


 カルムに居た時は、常連のおばあちゃんがそう言ってくれましたが、若い方からしてみれば、随分ゆっくりしているんでしょうから。


『いや、気のせい。ゆっくりに見えるだけ。無駄がないから結果早い。マジ、みんな、だまされんなよ。この人、ヤバいからな』


 千金楽ちぎらさんが何か言ってましたが、何も騙しているつもりはありません。

 アレはどういう意味だったんでしょうか。


「ねえ、白銀」


 未夜お嬢様の言葉でハッと意識を戻します。

 無意識ながらも身体が覚えた動きだったのか、私はメニューをお渡ししておりました。


「はい、なんでしょう?」

「珈琲って白銀が淹れるの?」

「ご希望とあらば」


 幸い私はカルムでも珈琲を淹れたり料理を作っていたりしたので、キッチンも出来ます。

 ただ、キッチンの杉さん達に、


『お嬢様が、お前さんに淹れてほしいって言われるまで淹れるな。あと、お前さんのやり方を教えろ』


 と、言われてしまいました。私の淹れ方がおかしすぎるので、直してくれるのだと思っていたのですが、アレ以来キッチンのみなさんは無言で私の作業を見つめてきます。

 よほど、修正点が多すぎて、どこから直すべきか迷っているのでしょうか。


「じゃあ、白銀、お願い。日替わりでいいわ」

「かしこまりました。お嬢様の為に、最高の一杯を」


 私は、未夜お嬢様の珈琲を作る為にキッチンへ向かいます。


 その間もお嬢様やお坊ちゃんのいらっしゃるテーブルを通りますが、視線を物凄く感じます。やはり、白髪の執事は珍しいのでしょうか? それとも、コンセプトカフェという若者の場所にジジイは相応しくないのでしょうか。


 とはいえ、無視して通り過ぎるのも執事失格です。

 お嬢様・お坊ちゃまたちに出来るだけ、小さく微笑みながらご挨拶させて頂きながら通り過ぎていきます。


 皆様が顔を引き攣らせながらも微笑み返してくださいます。

 やはり、ジジイの微笑みは……『キモかった』のでしょう。


 それとは別の強い視線を感じます。千金楽ちぎらさんです。

 顔は微笑みながら、目で問いかけてきます。


(お前、やりすぎ)

(申し訳ございません)


 教育係である千金楽さんとは目で会話出来るようになったように思います。

 私の微笑みが良くなかったのは自分でも分かっています。

 キッチンに入った瞬間ホールのざわつきが聞こえてきますもの。


 ああ、やってしまいました! 耳は遠いのですが去り際に『あの白髪の執事って……』と聞こえました。

 お嬢様、お坊ちゃまからあの執事は出来れば辞めてほしいと言われてしまうのでしょうか……。

 もっと好感を抱いていただけるような笑顔を手に入れ、少しでも認めていただけるように頑張らねば。


 ですが、一旦切り替えです。未夜お嬢様の為の珈琲を。

 私がキッチンに向かうと、杉さん達キッチン組が待ち構えていました。


「だと思ったよ! ほら、早く淹れろ! メモ用意!」


 流石、ベテランのキッチン勢。

 未夜お嬢様が日替わり珈琲を私に頼むことを予想していた様です。


「皆さん、ご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします」

「「こちらこそ」」

「さあ、やってくれ!」

「では」


 私は一つ深呼吸をして心を整えます。


「お嬢様の為に最高の一杯を」


 さあ、ゆっくりと、丁寧に、作りましょう。

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