第4話 五十路、白銀になる

「いや~、流石オーナーの見込んだ男っすね」

「でしょ」


 執事喫茶【GARDEN】のオーナーであり、元居た喫茶店カルムの常連様、南さんと、GARDENの教育係、若井さんがツーカーで会話をしてらっしゃいます。

 私の発言が何か不快にさせたかと思ったのですがどうやらそうではなかったようです。


「で、この人をここで働かせると」

「そいうこと」

「いつから?」

「一か月で一人前にして」

「マジで言ってます?」


 お二人の会話のテンポが早すぎてついていけません。

 おろおろとしていると若井さんがこちらを向いて話しかけてくださいました。


「あー、まあ、あの、結構コンセプトカフェと喫茶店って違うと思うんで、その辺に苦労するかもですけど、一先ず頑張ってみましょうか」

「はい、よろしくお願いいたします」


 働ける場所を頂けるなんて有難い。

 私は誠心誠意働くつもりであることを姿勢で示そうとしました。


「おおぅ……なるほど」

「ね? この人のリズムが既にこれなのよ」

「確かに。ある意味日本人離れっすね」


 なんでしょうか? 褒められているような貶されているような……。


「あの……」

「あー、まあ、細かいことはおいといてまずは店の中を案内しますわ」

「私も行く」

「めずらしぃでえええ!」

「余計なこと言うな」

「ふふ……お二人は仲良しなのですね」

「そんなことないからっ!!!」


 南さんが突然大声をあげられました。

 私、何かやってしまったでしょうか……ああ、年寄りは空気が読めなくていけません!

 南さんは真っ赤な顔で口をパクパクさせると、走り去ってしまいました。


「あ、あの……!」

「あー、大丈夫っすよ。えー、そうっすね。福家さんから『私も南さんともっと仲良くなりたいです』とか言ったら多分おっけっす」


 若井さんのアドバイスに従い、南さんにそう告げると真っ赤な顔はおさまりませんでしたが、一緒に付いてきてくださるようになり、ほっと一安心。

 流石、先輩、勉強になります。


 そして、店内の色んな所をご案内頂き、つい年甲斐もなく興奮してしまいました。


「どうっすか、福家さん?」

「いや、素晴らしいです。元居た喫茶店も良い物を使っていましたが、こちらのはなんというか趣のあるもので、その空気感も含めてご満足頂けそうな、なるほど、これがコンセプトカフェなんですね」

「……その通り、喫茶店はコーヒーだけでなくそれを楽しむ時間も含めてじゃないですか。コンセプトカフェはより自分の為の、自分の好きな空間に入り込んで楽しみたい方の為の場所なんです。だから、ここは執事喫茶、お客様はお嬢様、お坊ちゃま、ご主人様となり、自分の為の時間を贅沢に過ごしていただく空間なんです」


 若井さまは、にこりと微笑んで教えてくださいます。

 私は知りませんでした。こんな世界もあるのだと、五十になっても学ぶことは沢山あるのだと痛感しました。


「ふけさん、ゆっくり慣れていってくれればいいからね……」


 南さんも微笑みながら優しい言葉をかけてくださいます。

 ですが、どこか……


「あの、南さん」

「ん? なあに? ふけさん」

「差し出がましいようですが、コーヒーか紅茶淹れましょうか?」

「……え?」

「今日はカルムに行かれずに私をこちらに連れてきていただいたので……いえ、必要なければ」

「飲む!」

「良いんで、え?」


 前のめりに私に迫る南さん、相変わらず石鹸のような爽やかな匂いに年甲斐もなくドキドキしてしまいます。


「飲む! 福家さんのコーヒー飲みたい! し、しかも! わ、私の為に淹れてくれる珈琲!? 飲みたい!」

「あ、いえ、カルムに居た時も、南さんの珈琲は南さんの為に淹れてましたよ」

「意味合いが違うのよ! これは言わば、プ、プライベートで淹れてくれる珈琲でしょ!」

「はあ」


 南さんの興奮度合いが私のような年寄りには分かりかねますが、珈琲をご所望であれば、淹れさせていただこう。こんな年寄りを拾ってくださるんだ。少しでもお役に立たねば……。


「少しばかりお借りしますね。では、……真心込めて、作らせていただきます」


 私は、エプロンをお借りし、珈琲を淹れる。

 丁寧に丁寧に心を込めて。


「どう? 若井君?」

「淹れ方は別に普通っすね。教科書通りというか……いや、完璧に教科書通りってのが逆に凄いのか?」

「んふふ、そうよ。ただひたすらに限りなく丁寧。飲む人だけでなく、豆や道具にも。ねえ、耳澄ませてみて」

「ん? いや、特別な音はなんも聞こえねーっすけど……! は?」

「そう、福家さんは余計な音を一切立てない。珈琲の作られる音を楽しんでもらうために、消すの。自分の足音さえも。とにかく不快の可能性を消し去り、己を殺し、誰かのために、何かの為に全てを捧げられる」

「いや、忍者じゃねーっすか」


 お二人の声が聞こえます。忍者、いいですね。

 時代劇は祖父の影響で大好きです。

 そんなことを考えてる間に、珈琲は出来上がります。

 今日の珈琲は……。


「お待たせしました」


 私は、南さんの前に珈琲を置きます。


「余計な音が全然しねー……! んでも、カップを置いた音はちゃんと聞こえる。こわ」


 若井さんがぼそりと呟きますが、私の耳が遠いのか小さくてよく聞こえませんでした。

 一方、南さんがちょっと大きな声で私を呼びます。


「あの、福家さん」

「はい?」

「お、お願いがあるんですが!」


 南さんが声を上ずらせながら上目遣いにこちらを見てきます。

 大変愛くるしく、年甲斐もなくドギマギしてしまいます。


「なんでしょう?」

「あの、ちょっと、試験として、なんですが、『お嬢様の為に淹れたモーニングコーヒー、お持ちしました』って、言ってみてくれませんか!?」

「ぼふっ!」


 なるほど……試験も兼ねていたのですね。流石、南さん、やられました。

 後ろでなにやら咳き込み始めた若井さんを睨んでらっしゃいますが、続けてよいのでしょうか。


 私は南さんの傍に近づきます。

 なんせ、若井さんが声を上げて笑い出したので、少々騒がしく聞こえづらいかもしれません。それにこんな機会を下さった南さんの好意を無駄には出来ません。


「あの、福家、さん?」


 本当にありがたい。優しい方だ。


 私は、そっと南さんの耳元に顔を寄せ、五月蠅くなく、かつ、しっかりと聞こえるようにお伝えします。


「私を拾ってくれたお嬢様の為に、心を込めて淹れさせていただいたモーニングコーヒー、お持ち致しました」


 あ。

 年寄りは駄目ですね。

 物覚えが悪く、課題の言葉はこんなに長くなかった気がします。

 南さんも怒っていらっしゃるのか、顔を真っ赤にしてプルプル震えていらっしゃいます。

 情けない。

 ほら、若井さんも大笑いを始めてしまいました。


「あの、南さん?」


 私が声を掛けようとすると手で制されてしまいました。


「ちょっと……待ってください……もう、キャパオーバーで……!」


 何が良くなかったのでしょうか。

 そこまで悩ませてしまうとは……!


「あーあー、大丈夫大丈夫。心配しなくていいっすよ。ちょっと待ってれば」


 ひいひい腹を抱えて笑いながら若井さんが私に話しかけてくれます。

 大丈夫とは?


 ひとまず、先輩である若井さんのアドバイスに従い、私は静かに待ち続けました。

 すると、南さんが大きく深呼吸を一つ。

 そして、ゆっくりと私の珈琲に口を付けてくださいました。


「……ふう」


 よかった。飲んでくださった。

 なんでしょう、今日のこの達成感は。


「若井さん……! 南さんが私の淹れた珈琲に口を付けてくださいました……!」

「んんっ……!」


 感動を出来るだけ小さく若井さんに伝えたつもりですが南さんにも聞こえてしまったようで、少し咽てしまったようです。

 なんでしょうか、もしかして、口を付けるという言葉が若い方が言う所の『キモかった』んでしょうか。

 申し訳ない……その上、少しその声が色っぽかったと思ってしまう私はなんという色ボケジジイなんでしょうか、拾って下さった方に、情けない!


「南さん! 私は、一生懸命真面目に働いてみせますので、どうかお側にいさせていただけないでしょうか!?」

「は、はひ……よ、よ、よろこんでぇえええええええ!」


 南さんは、顔を真っ赤にしてどこかへ駆けて行ってしまいました。


「あ、あの、若井さん」

「あー、じゃあ、また魔法の言葉を『南さんと一つ屋根の下で一緒にお仕事出来るなんて幸せです』って言えば、大丈夫です」

「なるほど!」


 私は、その後、南さんを見つけ、若井さんから教えて頂いた魔法の言葉をお伝えしました。

 そうすると、南さんはまた顔を真っ赤にさせてどこかへ行ってしまいました。


 そして、背後で大笑いする若井さん。


 若井さんのうそつき……。




 そして、若井さんの丁寧な指導のもと、一か月が過ぎました。

 未熟な私を、若井さんは厳しく突き放し成長を促してくださいました。


「ちょっと、若井君! 福家さんの指導途中から適当じゃなかった?」

「適当って言っても適切な方の適当ですよ。もう教えることないんですもん。一か月のつもりの研修が、半分で終わっちゃいましたからね……っていうか、研修期間でファン出来ちゃってるし……」

「ははは……皆さん、お優しい方ですから、新人の私に自信をつけさせようとしてくれたんでしょう」


 私がそう言うと若井さんは呆気にとられたような顔をして、小さく溜息を吐きます。


「こんな新人いねーっすよ」

「それもそうですね、お恥ずかしい」


 若井さんの仰る通り、こんな年寄りに新人という言葉は似合わない。

 いい大人が新人という言葉で予防線を張るべきではないな。反省せねば。


「絶対、違う事考えてるだろうけど、もうツッコまねーから」


 私は、黒のユニフォームに身を包み、胸に名札を付け、お出迎えの準備を始めます。

 今日から一人前の従業員としてしっかり頑張らねばなりません。

 名札にはこの店での名が刻まれています。




『名前を、変えるんですか?』

『一応っすね。まあ、別世界を楽しんで頂くためにも、我々もなり切る為にもあったほうがお互いいいんすよ。ちなみに、俺は千の金の楽しみで、【千金楽ちぎら】』

『素敵な名前ですね。ええと、私は……』

『ああ、福家さんは大丈夫。オーナーが考えてくれてますから』

『そうなんですか?』

『ええ、うん、あの、その【白銀しろがね】ってどうかしら? 福家さんの髪色にも合うんじゃないかと』

『白銀……そんな名を頂いてよいのでしょうか』

『だいじょーぶだいじょーぶ。だって、これ、ずっと前からオーナーが福家さん用びっ!』

『余計なこと言うな』

『え? なんですって?』

『なんでもないわ! それより、その名が恐れ多いなら、これから頑張ってその名にふわさしい仕事をしてちょうだい!』

『かしこまりました!』

『(モテすぎると困るから)ほどほどに!』

『(年寄りが無理せず)ほどほどにですね分かりました』

『……絶対ズレてるけど、まあ、おもしろそうだからいっか!』




 胸で輝く【白銀】の二文字。自分のこの髪を誇りに思う日が来るなんて……。


「さあ! 福家さん、改め、執事【白銀】! みんなを幸せにしてあげてちょうだい」


 弾けるような南さんの笑顔。

 ありがたい。もう一度私に頑張れる場所を下さった。

 その期待に応えたい。


「ご主人様の仰せのままに」


 南さんと若井さんがプルプル震えています。

 何かまたやらかしてしまったのでしょうか。

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