第30話29 今…なんておっしゃいました? 少尉さん近しい
「……え?」
今、この人なんて言ったの?
私のこと大好き? とかおっしゃったかしら?
あ、でも……そうね。
愛するお母さまの娘で、昔から知ってる子だから「親愛」の「好き」よね?
うっかり、美しく誤解をするところだったわ。
アンがぐるぐる考え込んでる間に、レイルダーはアンを軽く持ち上げ、自分の膝の間に挟み込む。
「あ! すみません! 重たかったですよね! 私ったら、なんでいつまでも乗っていたんだか……」
「乗せたのは俺だし、これ以上アンが上に乗っかっていると、俺がおかしくなりそうだったから」
「はぁ……すみません」
「なんでアンが謝るんだよ。でも……じゃあ、聞いてくれる? 俺のこと」
「もちろんです! 伺いたいです!」
アンは身を乗り出した。レイルダーはそんなアンから少し目を逸らすと、静かに語り出す。
「秘色については聞いたんだろ?」
「はい。少尉さんとお父様は、同じ村のご出身なんでしょう?」
「そう。秘色の人間は国中に散らばっているが、俺と閣下とは同じ血を受け継いでいる。近しい血縁ではないが小さな村だったから。もっとも俺は小さくて、閣下のことは会うまで思い出せなかったけど」
「秘色の方々は、髪や目の色が鮮やかで、不思議な能力があるのでしょう?」
「全てではないようだが、そうだよ。俺は人一倍感覚が鋭敏で、人には聞こえないような音が聞こえたり、遠くのものが見えたりして、子どもの頃は随分苦しかった」
それはそうだろう、とアンは思った。
看護の勉強をしてわかったことだが、人間の感覚器官は良くできていて、周りにどんな刺激があっても、自分の見たいものや音に集中することができる。
例えば雨の日に話していたとしても、雨の音が気になり過ぎることはない。
しかし、感覚が鋭敏すぎると、刺激の取捨選択ができなくて、頭の中が情報でいっぱいになってしまうのだ。
「すごく大変そうです……」
平凡な言葉しか出てこない自分をアンは口惜しく感じる。繊細な少年は、どれほど苦しんだことだろう。
「だから泣き虫だったんですね」
「なきむし」
「え? お父さまがそんな風に言っておられて……あの?」
「勘弁してくれ」
レイルダーは骨張った手で、自分の目元を
大の男が小娘に、泣き虫だった子どもの頃のことを指摘されたのだから、これは仕方がない。
「まぁ……そんな感じのガキだった。けど、だんだん能力を上手に扱えるようになったさ。適応力ってやつ。なるべく他人と目を合わせない、酒は力の制御が難しくなるから飲まない、煙草は逆。気持ちが落ち着く」
「なるほど」
じゃあ、お母様の煙草も、きっとそう言う意味があったのね。
「でも故郷の村……なくなっちゃったんですね」
「そう。お父上が出ていってから人は減り続け、血の濃すぎる奴も出てきて、おかしなことになってきたから全員で村を出た。俺の身内には戦闘の才能があるものが多くて、父親や兄貴、村の一部の人と一緒に傭兵で食い繋いでいったんだ」
「少尉さんのお母さまは?」
「俺が三歳くらいの時に、父親と別れて村を出たようだ。母も苦しかったんだろうけど、俺はよく覚えてない。実は覚えていないことだらけなんだ。俺が薄情になのはきっとそのせいだ」
「そんなことはない、です」
よほど厳しい時代があったんだろう、とアンは思った。
「俺は父より兄より戦いの才があって、いろんなところで雇われた。知覚が鋭いから斥候としても役に立って、大陸中を渡り歩いたよ。レイルダー親子の名は、傭兵たちの間ではちょっとしたものになってね。だが逆に言えば、罪深いことを色々してきたってことだ。アンにはとても言えないようなことも」
翠の瞳が暗く
それはとても辛そうな顔だった。
「だから俺は普通じゃないみたいなんだよ。情が薄くて言葉も上手くない。人とうまく付き合えない」
「それでラジム公爵さんに雇われたんですか?」
アンはさりげなく話の方向を変えた。
「ああ。払いがよかったから……最初だけは」
レイルダーは、吐き捨てるように言った。
「奴は俺たちの評判を聞いて、常に最前線で戦わせた。俺たちが敵……つまり、アルストロム統一王国の領土に攻め入った所で、両側面から王国がわの攻撃を受け、仲間はたった十数人で敵地に取り残された。つまり、見捨てられた」
「じ、じゃあ……」
「……もちろん、全滅だよ。父も兄も惨たらしく死んだ」
「それならアルストロム統一王国を憎んでいらっしゃった?」
「全然違うよ。俺の
「お父さまが?」
「あの人は俺を覚えていて、状況を理解した上で助けようとしてくれたんだよ。けど、敵地で部下の大半を失って、重傷を負ってラジムに人質にされようとしてた。王国との取引材料として」
「……」
「ラジムは笑って兵士たちに捕まえろと言った。その後のことは、よく覚えてない。気がついたら俺は血だらけで閣下を背負って逃げてた。きっと大勢殺したんだろう。持ってた小銃は俺のじゃなかった。敵の銃を奪っては次々に
「お、おうさつ」
「そう。皆殺し。背後には死体が延々と続いていた。でもラジム親子だけは取り逃した。あとはアンも知ってる通りだ。俺は閣下に拾われ、何事もなかったふりをしてここまできた」
「……」
「ほら、俺って恐ろしい人間だろう? 多分人の心ってものがないのさ。だから」
「大好きです!」
「……」
「確かに、戦争は罪だわ。でもそれは一人の人の罪じゃないです。少尉さんはお父さまを助けてくださった」
「それは俺を助けてくれたからだ。けど俺が殺した人間は数知れずだ。
「……」
「ラジムはおしまいだ。奴は今度こそ領地を取り上げられ、死罪か、死ぬまで幽閉だろう。俺は目的を果たした。だからこの国を去るよ」
「そんなのだめです! お母さまのことはどうするのですか?」
「は?」
レイルダーはものすごく不思議な言葉を聞いたように、一瞬目を丸くした。
「なんで、ここにカーマイン……お母上が出てくる?」
「だって……その、あまり道徳的には良くないかもですが……でもその、少尉さんは愛していらっしゃるのでしょう? お母さまのこと」
「……あい?」
「ごめんなさい。私、ずっと知ってたんです。少尉さんが特別な目でお母さまを見てらしたこと。でも、お父さまのことがあるから、ご自分の想いに
「ちょっと待て。アンは一体どういう誤解をしてるんだ? 俺がカーマインを愛しているって?」
「間違いないですよね? だって名前も呼び捨てで……」
この後に及んで誤魔化されないぞ、とアンはレイルダーを見つめた。
「え? いや、そう言われてみれば、愛している……のかな?」
しらじらしく首を傾げる様子に、アンは無性に腹が立った。
「のかな? のかな……ってなんですか! 私は最初から気がついていたんですからね! どんなもんです!」
この子は俺が言ったこと、全く聞いてなかったのかな?
それとも、やっぱり俺のことが嫌いになったのか?
アンがなんでちょっと威張っているのか理解できないまま、レイルダーは言った。
「俺だって気がついてたよ」
「そうでしょ! その通りでしょ!」
「うん。だって、カーマインは俺の姉だから」
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