第28話27 お疲れですか? 少尉さん

 二人は並んで前線基地をゆっくり駆けた。

 疲れた馬の負担にならないように、そして話ができるように。

「あの、軍馬さんたち……三頭とも怪我がなくて、本当によかった。あの、でも……ラジムさんの馬車を引いていた子たちはどうなったんですか?」

「……」

 レイルダーが答えないので、アンは馬車馬たちが犠牲になったことを知る。人間たちの勝手な思惑で、罪もない馬たちまでが死んでしまうのだ。

「もう、戦争は終わりますか?」

「ああ。敵の指導者が逃げ出して捕まったんだから」

「よかった」

「髪を切ったんだな、アン」

 背中の中ほどまであったアンの髪は、今は男の子のように刈り込まれている。髪が多くて巻き毛だから、それでもふわふわしているが。

「え? あ、はい。病院ではなかなかお風呂に入れないと思って、首都を出る前にエレンに切ってもらいました」

「エレンは残念がってただろう?」

「泣いてましたね」

「そりゃなぁ……」

「ますます、不細工ですもんねぇ」

 アンはちょっと悲しそうに笑った。

「ぶさいく? いったいアンはなんのことを言ってるんだ?」

 彼はそう言って馬に軽く手綱を当てると、アンを追い越して七十二号の前に出た。

 そんなことはないと、少しだけでも慰めて欲しかったアンの期待は、見事に外れてしまう。

 厩舎前の柵に入ったレイルダーは、さっさと馬を下りて歩き出した。厩舎の入り口は開け放たれている。へこみ気味のアンなど振り返りもしない。

 それは昔から見慣れた姿。でも、命が危ぶまれる闇を通り抜けたこの朝に、なぜだか見たくない姿だった。

 川向こうの戦場でアンの命を救い、怖くて泣き出したアン一生懸命に泣き止ませてくれたのは、ついさっきの出来事なのに。

 小さい頃から見つめ、追いかけてきた真っ直ぐな背中がどんどん遠ざかる。


 お願い……こっち向いて!

 私を見て!


「少尉さん!」

 朝の冷えた空気の中にアンの澄んだ声が、きんと響いた。男の足が止まる。

「少尉さん」

 その間にアンは走って追いつき、彼の横に並んだ。厩舎はもうすぐそこだ。

「あのぅ……やっぱり私のこと、怒っているんですか?」

 冬の空より明るい瞳がアンをとらえる。無機質な表情からその感情を読み取ることはできなかった。

「……ああ、そうだな。俺は怒っている。アンをこんなところにまで来させてしまった」

「言ったでしょう? 私がここに来たのは私の意志です。少尉さんのせいではありません」

「……もっと早くアンに伝えておくべきだったよ。軍隊には関わるなって」

「それは、私が少尉さんの言うことを、なんでも素直に聞く子どもだから、ですか?」

「……」

 レイルダーはその言葉に一瞬立ち止まったが、黙って厩舎に馬を連れて入った。

 厩舎は前線基地の端にあるので、最前線が川の向こうに移ってからは砲撃されることがなくなり、馬たちは落ち着いていた。

 近代戦における攻撃や移動手段は、車両に置き換わっているから、馬の数は多くない。当直の兵士もたった二人だけだった。

「ご苦労様です!」

「ここは俺がやる。お前たち、ちょっと外せ」

 敬礼する兵士にそう言い捨てて、レイルダーは馬たちを馬房に入れた。

「……は!」

 アンも飼い葉桶にえん麦を入れ、水桶には綺麗な水を満たしてやる。二人はしばらく黙々と馬たちの世話をした。

「ご苦労様。ゆっくりと休んでね」

 七十二号がすっかり安心しているのをみて、アンもやっと心が軽くなった。


 これからは馬たちも平和に暮らせるといいな……って、少尉さんは?


 見ると、レイルダーは乾草の山の中にどっと腰を下ろし、水筒から水を飲んでいた。彼はこの数日間、ずっと敵地で行動していたのだ。よほど疲れているのだろう。

「アンも飲みな」

 くしゃくしゃになった金髪をかきあげながら、レイルダーは水筒を差し出した。

「は、はい。ありがとうございます」

 受け取ったアンは、ごくごくと冷えた水を飲み下す。気がつかなかったがよほど喉が渇いていたのか、水はあっという間になくなってしまった。

「あ、全部飲んじゃった。ごめんなさい」

 アンはレイルダーに水筒を返そうと差し出した。

「……えっ!?」

 突然体が傾く。

 空の水筒が床に転がり、その金属音に馬たちがぴくりと耳を立てた。

 なのに、アンは馬たちの気持ちを推し量ることができなかった。

 強い腕にすっぽりと包み込まれていたから。



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