第4話 3 乗馬の時間です! 少尉さん

 少女は少しずつ、しかし確実に成長する。


 アンが初めてレイルダーに会ってから三年余りが過ぎた。

 くせっ毛も、背が低いのもあまり変わらないけれど、それでも少しでも彼に追いつこうと、苦手な牛乳を飲んだり、軍関係の本を読んだりしている。勉強は得意ではないが、学校も休まず通っている。

 夏の終わりから始まった学期は、もうじき年度を終える。アンは四年生になるのだ。

 しかし、アンは貴族の子弟が多いこの学園に、あまり馴染めないでいた。男子生徒は自己主張が強く、目立ちたがり屋が多いのだ。

 彼らはいつも大きな声で喋るし、自分の得意なことをひけらかす。

 貴族社会では要領よく立ち回ってなんぼだから、仕方がないのかもしれないが、自分より弱いものを上手におとしめる学友達を、アンは密かに嫌っていた。

 彼女の立ち位置は微妙なのである。

 貴族としての位は高くはないが、父は有名な軍人として尊敬を集める存在だ。かつて内戦を勝利に導いた英雄で、今は王宮警護の近衛隊の副隊長なのだ。

 けれどアンには、際立った部分は一つもなかった。

 女生徒は、アンの平凡な容姿や服装を見下してくるし、男子生徒は父の話を聞きたがったが、あいにくフリューゲルは家庭で仕事の話をしないので、話ができない。そもそもアンはそれほど話し上手ではない。

 そんなわけで、今では教室内で空気のような存在になってしまっている。

 それでも一部の女生徒とは気が合うので、全くひとりぼっちという訳でもない。


「今日の午後は乗馬だわねぇ。苦手だわぁ」

 黒髪のソフィがため息をついた。彼女は裕福な布商人の娘である。

 貴族の子弟が通う学園だが、最近は門戸は広く開かれている。身元が確かで一定額の寄付をすれば、優秀な平民にも機会は与えられるのだ。

「今日は練習の総仕上げで近衛の馬場に行くのよね。近衛の兵隊さんが見物に来るかもしれないし、嫌だなぁ」

 眼鏡のローリエも憂鬱そうだ。彼女は薬卸商の次女で学業優秀だが、運動系は全くダメだった。

 女生徒と男子生徒とでは、座学以外で科目が違うこともあるが、中には一緒に学ぶ授業もある。

 ダンスや乗馬がそれだ。

「アンは乗馬が上手いから羨ましいわ」

 ソフィとローリエは声をそろえて言った。

「だって、それしか取り柄がないもの」

 容姿も成績も運動も平凡か、それ以下のアンだが、乗馬だけは得意なのだ。

 彼女は小さい頃から馬が大好きだったし、馬も彼女を慕ってくれる。幼い頃、初めて乗馬を教えてくれた父が「こりゃすごい」と舌を巻いたほどだった。

 しかし、学園では目立たないように、教官のいう通りおとなしく学んでいる。

「馬ってとても賢いのよ」

「はいはい。だから、下手な人を馬鹿にするのよね。馬だけに」

 ソフィの冗談に三人は笑いながら、集合場所へと向かった。


 近衛の馬場は広い。

 王宮の警備をする近衛の訓練場も兼ねているのだから当然だが、馬も厩舎も美しく手入れされている。

 貴族の子弟と言っても、今は屋敷に厩舎を持たない家も多いから、大抵はここで初めての乗馬を体験する。

 馬も、軍馬としては大人しい、引退した馬を使うのだ。

「それでは諸君、順に常歩なみあしで一周してくるように」

 教官が二十人の三年生に向かって行った。まだ乗馬に馴染めていないものには補助の教官がつくが、去年一年間練習を積んだので、ほとんどの生徒たちは並足ならば、なんとかぎょせるようになっている。

「さぁ! やるぞ!」

 男子の中では一番上手なヨアキムが一番にまたがった。

 彼は伯爵家の次男で、成績も良いが要領もいい。今もちゃっかり一番良さそうな馬を選んでいた。

「先生、速歩はやあしをしてもいいですか?」

「いやまだだヨアキム。全員が常歩で一周してからだ」

「……はい」

 ヨアキムは不満そうだが、早く練習したくて早速馬を進めている。

 アンは最後の方に一番大人しそうな馬に跨って進んだ。高いところが苦手なローリエは、補助の教官が付き添っていた。彼女は本当に乗馬が苦手で、今も緊張で体が固まっている。

 広い馬場にはいくつもの訓練場があり、学生たちが使わせてもらっているところは隅の一番広いコースだ。ここならコーナーもさほど厳しくはない。

「あなた、七十二号っていうのね? 本当に賢いわ」

 アンは今日のパートナーの首を叩いた。栗毛の雌馬で、アンと目が合うと、すぐに乗って欲しそうに鼻面を擦りつけてくる。

「よしよし」

 こんなことを言っても誰にも信じてもらえないだろうが、アンには馬の心が手にとるようによくわかるのだ。一部の人間よりも気持ちが伝わると言っても過言ではない。

「あら七十二号、早く駆けたいの? でも、も少し我慢してね」

 アンは静々と雌馬をうたせた。

「おお! アン・フリューゲル、安定しているな。姿勢も美しいぞ」

「ありがとございます」

 教官の褒め言葉をヨアキムが聞きとがめた。彼はさっさと一周を終え、二周目に入ろうとしている。

「邪魔だ! 地味女、どいてろ!」

 ヨアキムは馬に手綱をくれて速歩に切り替えた。

「はいっ!」

 彼につられて少年たちが次々に速歩に切り替えていく。

 彼らは自信があるのか、ゆっくり手綱をうたせている生徒をからかっていくが、コース取りはまだ未熟である。

 彼らはもたもたしているローリエのすぐ脇を激しく駆け抜け、その勢いに怯えたローリエが思わず手綱を叩いてしまい、彼女の馬が急に走り出した。

「きゃあああ!」

 馬は走れと命じられたと思っているのか、勢いは止まらない。

 不意をつかれた補助教官も馬には追いつけず、ローリエは恐ろしさで鞍にしがみついているが、今にも振り落とされてしまうそうだ。

「ローリエ!」

 アンは思わず、七十二号に手綱をくれた。


 

   *****



Twitterにレイルダーの瞳の宝石の画像があります。

アンの瞳も探してます。

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