うちのぴーすけが何か言ってる

ぴよ2000

廊下から来るもの

 常夜灯の明かりが眩しい。


 暖房をつけてはいるものの布団の外はひんやりする。

 そんな夜。


 壁掛け時計に目をやると、薄闇の中でカチッと分針が動いた。

 午前1時55分。


「……眠れねぇ」

 眠れない。

 部屋に入るまでは眠かったのに、毛布を被ったとたんに目がさえた。こんな経験は今まで沢山してきたし、瞼を閉じていればそのうち眠くなる。


 大丈夫。

 そう自分に言い聞かせても、明日の朝のことを思うと不安だ。夜更かしとは身体にとって劇毒でしかない。


 ごーっと時折うるさいエアコン。時計の秒針が刻む音。パトカーのサイレンが遠くから聞こえ、音は極めて小さいはずなのに眠気が遠のく。


 喉が、渇いた。


 いや、実はそれほど強い渇きでもない。部屋が少し乾燥しているだけだ。コップ半分の水で充分喉は潤う。その程度。わざわざリビングまで脚を運ぶまでもない。


 ただ、一瞬でも意識してしまうと、不快感が増幅する。眠れないのは喉の渇きのせいだと訴える声がある。でも今部屋を出てしまうと更に眠れなくなる。どうしよう、と、ぐるぐる葛藤する。

 そのうち、

「ピヨ」

 枕元で何か聞こえた。


 まるで、これまでの思考を打ち消すかのように。

 即座に首を回し、鳴き声(?)の出所を確認する。濃く、暗めの木目のヘッドボードに並ぶのは読みかけの小説。眼鏡。スマホ。数体のぬいぐるみ。

「?」

 何もない。

 音を発するものといえば、強いて言えば携帯くらいだが、さっきのはなんというか、着信時のものとは考えにくい。そもそもあのような通知音は聞いた事がないし、設定もしていない。


 気のせい、と思いたい。ただ、いやにはっきり聞こえた。なんとなくではあるが、無視できないような気分に駆られる。


 かたん。

 音が聞こえた。

 今度はドアの向こう。

 家族の誰かが廊下に出たのか。しかし、ドアの隙間から光は差し込まない。電気もつけずに廊下をうろつくなんて、なんだか変だ。


「……泥棒、とか」

 突飛かもしれない。

 だけど、被害にあう人達は皆「まさか自分が」と思うのではなかろうか。窓はしっかり閉まっていただろうか。

 鍵は? 玄関はどうだったのだろう?


 考え出したら不安が止まらない。気付けば背中が汗ばんでいた。布団の中がいやに暑い。


 喉が渇いた。


 廊下の物音は気のせいかもしれないが、万が一のために確認にいった方がいい。何もなければリビングで水を飲もう。何もないことを確認して、安心さえすれば眠れるだろう。


 ベッドから足を出し、カーペットを踏みしめた。

「ピッ」

「えっ」

 ヘッドボードを振り向いた。暗がりの中、何かがベッドの下に落下していくのが見えた。一瞬生き物かと思って身構えたが、それから再び、しん、と静まり返る。

 何も起きず、何かが動く気配もない。

 だからこそ、怖かった。

 ただ、このまま放っておく事の方が恐ろしい。手を握りしめ、おそるおそる、ベッドの下を覗いてみる。

 映画だと、ここで何か得体のしれないものが飛び出してくる展開だ。フェイスハガー的な何かが顔に張り付いて来ないことを祈りながら、それを見た。

「あら」

 幸い、怪物は潜んでいなかった。

 大きさは拳二つ分で、ぼてっとした二頭身のシルエット。小豆のようなつぶらな瞳。とさかのついたニワトリ頭のフードを被り、胴体も白色であるのに中身はヒヨコという、少し変わったなデザインのぬいぐるみ。

 ヘッドボードに飾っていた内の一体である。

 ベッドから降りた拍子、振動で落ちたのだろうか。

「ぴーすけ」

 思わず呟いたのが、そいつの名前だ。

 命名は妹である。


 物心ついた頃には既に我が家にいた。大事にしているつもりはないが、捨てたりクローゼットの奥にしまう気になれなかった。

 年数を経てぺちゃっとなったオレンジ色のくちばしがへの字に曲がっていて、僕を元の位置に戻すのだ、と言われてるような気分になる。

 拒む理由もないのでぴーすけを拾った。かつてふかふかの綿が詰まったお腹周りが、今は磨り減って平らになりつつある。でも、仄かな温かみがある……何故だ? 暖房か?


 こん。


 不意に、ノックの音が聞こえた。

 やっぱり誰かそこにいる。

 気配を感じてドアを見た。続いてノックされるかと思ったが、何も聞こえない。


 誰?


 喉まででかかった声を、すんでのところで飲み込んだ。何か、厭な予感がした。その理由は自分でもわからない。家族しかいないはずの家の中。どうぞ、と相手を招き入れる事に何故こんなにも抵抗を感じるのか。

 ここに自分がいることを知らせない方がいい。

 ドアを開けない方がいい。

 今は廊下に出ない方がいい。


 本当に?


 沸き立った直感に疑義を申し立てる声がある。

 廊下には何の異変もないことを確認したかったのではないか? 

 喉を潤したかったのではなかったか? 

 安心して眠りにつきたかったのではないか?


 ノックは、家族の誰かだ。


 でなければおかしいではないか。

 厭な予感と、それを排そうとする二つの感覚。

 ぐるぐる頭を巡って、いつの間にかドアの前に立っていた。

「……」

 ドアの隙間から明かりは差し込まない。廊下は真っ暗ということか。

 さっき聞こえてきたのは……あれは、多分家鳴りだ。家中で反響して、それがノックの音に聞こえてきたのだ。

 部屋の中からヒヨコの鳴き声みたいなのが聞こえるし、かと思えば、廊下では何者かの気配を感じる。意識が室内と廊下を行ったり来たりして、少し疲れた。


 全ては自分の思い込み。

 そこには誰もいない。


 心の中で唱えながら、ドアノブを掴んだ。アルミの取っ手は思いの外ひんやりしていて、そして……違和感があった。

 掴んだレバーの位置。

 本来なら水平であるはずなのに、少し斜めを向いている。

 あとちょっとでもレバーを下げればドアが開く状態。


 こんな不調はなかったはずだ。

 誰かが向こう側でレバーを掴んでいない限りは、こんな。いや、誰かとは。


「ピヨッ」


 思わずドアを開けてしまったのと同時、胸元から鳴き声が聞こえた。ぎょっとして見下ろし、無意識に抱き締めていたぴーすけの存在に気付く。そういえばヘッドボードに置き忘れて、そのまま連れてきていた。

「ピピッ」

 ぴーすけが生き物のように振動した。

 わわっと半ば投げ捨てるようにぴーすけを取り落とし、ドアの向こう側で、廊下に控えていたそれにぽす、と、ぶつかった。


 それ。

 長い髪の女、のように見えた。

 暗闇よりも濃い影が、ぬうぅっと目の前に立ちはだかっている。しかし、この至近距離でもシルエット以外が掴めない。


「っ」

 声が出なかった。

 家族の誰でもない。いや、人間という印象すら受けない。

 それは、筋張った細長い腕をドアノブから外し、こちらへ伸ばす。仰け反るタイミングを逸し、その指先が数センチのところまで迫る。

 その時だった。


 それが「    !」奇声をあげながら床にのたうちまわった。見れば、ぴーすけがぶつかった辺り、それの頭の部分? がぽっかり凹んでいた。


 途端、ふっと身体が軽くなり、慌ててドアを閉める。そして全体重をかけてドアを押さえた。今更になって心臓がバクバクとうるさくなる。

「      !」

 再び奇声が聞こえ、ドン、とドアに衝撃が走った。体当たりをされたのか。

 恐怖で目眩がする。

 もうすぐであれに捕まるところだった。

 指の数は8本。手のひらに大きな目玉が付いていて、ぎょろりとこちらを睨んでいた。

 これは何かの悪い夢だ。


 目を覚ませ。

 目を。

 ドン! ドン!

「ひっ」

 ドアノブがガチャガチャ回る。向こう側からドアが押され、その力に一瞬怯んでしまう。我を取り戻して押さえ直し、ドアの外に追いやった。

「    !」

 またあの奇声から轟く。なのに家族の誰も目を覚まそうとしない。


 何で? 誰か。助けて。


 ドン! ドン! ドン!


 ドアが叩かれ、続いてドアノブが回る。向こう側から力が加わってきて、涙目になりながらドアを押さえた。


「    !」

 奇声に続いて、ドン! ガチャガチャ!


「っ」

 幸い、廊下にいるそれはそれほど力が強くない。今はまだ人の力で抵抗できる。

 ドン!

 部屋への侵入を許してしまったらどうなる?

 気を緩ませて、ドアの向こうの奴に捕まったら……? 


 ドン!


 怖い。家族は誰も起きる気配がない。

「           !」

 これが、夢なら。悪い夢であってくれたなら。

 頼む。頼むから。

 目を。

  

「ピヨッ」


「あぁっ!」

 ガバッと上半身を起こして、周囲を見渡した。

 いつも通りの部屋の光景。

 それが、自室のベッドの上から見える。

 常夜灯が優しく照す中、壁掛け時計を見るとカチッと分針が動いた。


 午前1時55分。


 暖房が少し暑い。少し背中が汗ばんでいて、湿った寝間着の生地が気持ち悪かった。

 なんだか、厭な夢を見た。

 もう内容は思い出せない。思い出せないが、ふと、ドアの方が気になった。


「……」


 ドアがしっかり閉まっている事に安堵した。

 何でだろうか。ドアにまつわる夢だったのか。

 それとも何かが、廊下に……。


「ピッ」


 声が聞こえた。

 部屋の中ではない。

 廊下の方から聞こえた気がした。

 ベッドから足を降ろして、カーペットを踏みしめる。ドアノブを握った瞬間、ドクン、と動悸がした。何故だろうか。


 かちゃ。


 ゆっくりドアを開け、先を覗く。

 室内の薄明かりが廊下に差し込み、床を淡く照す。一見して、誰もいない。

 誰もいないが、奇妙なことが一つだけあった。

「なんで」

 ヘッドボードに置いていたはずのぬいぐるみが一体そこに落ちている。ニワトリ頭のフードを被った、二頭身のひよこのぬいぐるみ。

 ぴーすけ。

 うつ伏せで倒れていて、ひんやりした床の上で一人ぼっちはかわいそうに思えた。素早く拾い上げ、部屋に戻る。


「さっきのは、お前か?」


 勿論、ぴーすけは何も言わない。

 代わりに、僕を元の場所に戻せ、とばかりに睨んでくる。どうして廊下にいたのかはわからないが、不思議と怖くはなかった。


 かちゃり。


 後ろ手にドアを閉めて「ん?」違和感に気付いた。

 手を離してもドアノブが水平に直らない。

 故障か? 何だ。

「ピヨッ」

 その声が手元から聞こえると同時、ドアノブが弾かれたように元に戻った。

 しん、と部屋が静まり返り、少し悪寒がする。

「……」

 ヒヨコの鳴き声らしきものはともかくとした。

 廊下に何かがいて、その何かは、こちらからドアを開けるのを息を潜めて待っている。

 そんな、気がした。

「だから?」

 呟き、思わずぴーすけを見た。

 余計なことは考えずに寝ろ、と目が訴えかけている。従って、ベッドに潜り込んだ。


 月曜日の朝は、寝坊しがちだ。

 せめて一週間が8日間あれば、いや……最後の8日目は休みだろうか。

 そんな馬鹿なことを考えているうち、眠気がやってきた。

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