第4話 減速開始

『まもなく目的地の赤色矮星グリーゼ六六七Cの恒星系に到着する。係員は第二惑星に向け、無人探査機を射出せよ』

 コントロールルームで立花千鶴に火器管制システムの操作を教えるという心地よいひと時を過ごしていると、よく響く男性のアナウンスが聞こえてきた。

 時計を確認すると、間もなく昼の十二時だ。

『宇宙港にいる各員に告げる。まもなく移民船は一Gでの減速を開始する。人工重力切り替え作業後、宇宙港では重力方向が変更になるので注意せよ』

 一瞬、聞き流しそうになって、放送内容が居住区とは違うことに気がついた。

「えっ? 重力方向が変更ってどういうこと?」

「艦長席の後ろ側の壁が床になるってことだ」

 立花千鶴の席の横に立ったまま、誰とはなしに質問すると、葉隠先輩が親切に答えてくれた。

「総員、シートベルト着用」

 瓜生副長の鋭い声が響く。

「居住区では無重力状態になるって聞いたんですけど」

 まだ十分事態が呑み込めていない俺は、葉隠先輩に重ねて質問した。

「ここだって切り替え時には無重力にはなるぞ。慣性航行中の移民船は回転で生じる遠心力を疑似重力にしているが、減速時は減速で生じるGを疑似重力にする。移民船の居住区は球形の居住区全体を疑似重力の方向に合わせて向きを変える仕組みがあるが、宇宙港にはそんな仕組みは備わっていないからな」

「そうなんですか」

「ふん、無学な奴だな」

 雅春が横から嘲るような声で口を挟んだ。

「うるさい!」

 俺は反射的に反撃した。

「いいから、四の五の言わずに早く席に座ってシートベルトを締めろ!」

 瓜生副長が怖い顔をますます怖くしていた。

 気が付くと席についていないのは俺だけだった。

 雅春の奴は憎らしいことにシートベルトを締め終わっている。

 みんな緊張した面持ちだ。

「すみません、ベルトを締めます」

 俺がシートベルトを締め終わると、すぐにそれはやってきた。

「うおっ」

 まず、胃がせりあがってくるような不快な浮遊感に襲われ、続いて、身体全体がシェイクされるような感覚がやってくる。

「なにこれ!」

 最前列から赤井先輩の不機嫌そうな声が漏れてきた。

 映像コンテンツで見たことがあるジェットコースターって、きっと、こんな感じなんだろうなと反射的に思った。

「移民船が回転運動をやめ、船尾を進行方向に向けるために方向転換しているところだ」

「別に理由を知りたいわけじゃないのよ!」

 葉隠先輩が引き続き親切に解説してくれたが、赤井先輩の御機嫌が回復することはない。

 重力方向の変動は何分も続かなかったはずだが、俺にはとても長い時間に感じられた。やがて、座席の背もたれ側が『床』になり、不快な感覚は終了する。

「ふう」

 斜め前から小夜の小さなため息が聞こえてきた。

 様子を見ると、珍しく、安心したような表情を浮かべている。

 表情の乏しい彼女にしては珍しい。

 俺がシートベルトを外そうとすると、突然、サイレンが鳴り響いた。

 艦内の警報装置ではなく通信装置を通じて流れてきたものだ。

「何事だ!」

 流川艦長がみんなを代表して大声を出した疑問は、続いて流れてきた情報によって、すぐに解消された。

『移民船各所から設備損壊の通報あり、居住ブロック稼働による衝撃が原因とみられる。現在、複数エリアで給水管、排水管の破損や電源ケーブルの損傷による浸水、断水、停電の被害が発生中。各員は応援要請に備えて待機せよ』

「どうして?」

 小夜がぼそりとつぶやいた。

「この移民船もだいぶ古いからな、あちこちガタが来てて当たり前だ」

「そんな! 設備の不具合は命にかかわる話じゃないですか」

 流川艦長の達観したような発言に、俺は思わず大きな声を出してしまった。

 ここは巨大ではあるが宇宙船の中で、周囲は極寒で真空の宇宙空間だ。

 俺たち住民は、エネルギーの供給が途絶えれば寒さに凍え、ガス交換装置が止まれば窒息死する。

「ああ、そのとおりだ。だが目的の惑星に着くまであと少しだ。何とかなるだろう」


 災害復旧作業に軍人が駆り出されるのは、今も昔も変わらない。

 俺たち『朧』の乗組員は、居住ブロックの浸水エリアに派遣され、家具の移動や清掃作業、消毒作業に勤しんでいた。

「なあ、明日の夜なんだけどさ」

 通路部分に合成樹脂製の青いデッキブラシをかけながら、俺は近くで同様の作業をしていた長身の雅春に声をかけた。俺たちは二人とも黒い軍服姿だ。

 作業内容を考えれば、軍服姿である必要など全くなかったが、お偉いさんたちは軍人も社会の役に立っていますよとアピールしたいらしい。

 俺たちは『ジャージかなんかの方が作業しやすいのに』と内心自分たちの服装を呪い、額に噴きだす汗を腰に下げたタオルでちょくちょく拭っていた。

「何か用か?」

「大門町の屋上広場でお祭りがあるんだけど。みんなで行かないか?」

 一週間も経つと災害復旧の目途がたち、移民船内部ではお祭り気分が盛り上がってきた。

 幾世代にもわたる数百年の旅がいよいよ終わりに近づいてきたのだ、無理もない。

「大門町かぁ、ちょっと遠いなぁ。うちの町じゃ、やんないの?」

 雅春はデッキブラシを持つ手を休め、めんどくさそうなリアクションを返してきた。

 俺とこいつは仲町に住んでいて、大門町は二ブロック離れた町だ。

 大和皇国の移民船は、円筒形の船体の内部に球形の居住ブロックが六つ、輪になって配置されていた。慣性航行時に遠心力による人工重力を得るためだ。そして、隣町に行くには連絡通路のあるフロアに移動する必要があった。

「残念ながら、うちの町では、お祭りをやる予定はないらしい」

「ちぇっ。で、お祭りって何やるの?」

 俺の答えに一瞬がっかりしたような表情を見せた雅春だったが、すぐに持ち直した。

「無人探査機のライブ映像を上映しながら屋台料理で盛り上がるっていう企画らしい」

「ふ~ん、屋台料理はどうでもいいけど、無人探査機のライブ映像は良いよな」

「だろ」

「で、みんなって誰? 四人? 六人? 八人?」

 職場の人間で同期だけだと俺、雅春、小夜、立花千鶴の四人、葉隠先輩と赤井先輩を入れれば六人、艦長と副長を入れれば八人だ。

「八はないでしょう」

 俺は即座に答えた。

「だよな。拗ねられたら面倒だから六にしとくか?」

 先輩方は基本いい人なので異論はなかった。

「異議なし」

「しかし、賢人にしては積極的だよな。何か下心でもあるの?」

 なんて失礼な物言いだと思ったが図星だった。

 しかし、まさか立花千鶴とお近づきになるのが目的だとは言えない。

「ない」

 一瞬、うまい返しが見つからず、なんとかそれだけ答えた。

「どうだか。立花千鶴の浴衣姿を見るのが目的なんじゃねえの?」

 相変らず何て鋭い奴なんだ。

「そんなことはない。真田小夜の浴衣姿も捨てたもんじゃないと思うぞ。たぶん」

 俺は誤魔化すために無理やり他の人間も話題に混ぜた。

「小夜の浴衣姿かぁ、座敷童だよな、きっと」

「なんて失礼な。彼女もあれはあれで十分かわいいと思う」

 子供っぽいのは確かだが、妖怪扱いはひどすぎると思った。

「そおか、お前、ロリだったのか」

「違う!」

「おっ、小夜」

 少し離れた十字路から青いデッキブラシを持って出てきた軍服姿の小夜を見つけて、雅春が声をかけた。

「明日の夜、空いてるか? 賢人の奴がお祭りに行こうってよ」

「私、座敷童じゃない」

 おかっぱ頭で小柄な小夜はプイと横を向いた。

 マズイ、どうも色々聞かれていたみたいだ。

「そおか、行かないのか」

「行く」

 小夜は俺の方をじっと見つめて、そう言った。

 表情が乏しいので何を考えているのかよくわからなかったが、雅春に怒りをおぼえていることだけは確かだ。

 そうこうしていると、今度は小夜とは反対の方角から艶やかな長い黒髪の立花千鶴が通路にデッキブラシをかけながら現れた。

「立花さん、明日の夜、みんなで遊びに行こうって話してるんだけど」

「えっ、明日ですか?」

 弾んだ声で話しかけた俺に、彼女は沈んだ声を返してきた。

「都合、悪かった?」

「えっ、えーと、ごめんなさい。予定が入ってて」

「えっ? そうなんだ」

「本当にごめんなさい。せっかく誘ってくれたのに」

 彼女は本当に済まなそうな表情をして、顔の前で手を合わせた。

「いや、無理ならいいんだ。無理なら。ははは」

「いやあ、無理してんな」

 内心ショックを受けながら立花千鶴に乾いた笑いを返した俺に、雅春が抉るような突っ込みを入れてきた。

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