編集済
私もエッセイ以外、最近書いてないです。
新作書くときって、恥ずかしいという気持ちをエイヤッと
乗り越えないと書けないんです。
今はその勢いがないので、書かずにダラダラと。
お盆休みを利用して書いてみようかな。
作者からの返信
十分に自由な時間がないとなかなかさあ書きはじめるぞとなりにくいのはわたしもあったりします。あと生活が不規則になる事も多く、一旦書きはじめると、ちゃんと毎日こつこつ書いていきたいので、その余裕というか、やっぱり時間的な余裕がしっかりないと難しいと思ってしまって。
いま書き始めているものがあるんですが、本格的には書きつづけられてなくて、まだ空き時間に、気持ちに余裕があればちょっとずつ書き進めているだけでした。ペースをつかむのと、自分の中のモチベーションが合致すれば、どんどん書き進められるでしょうけど、いまはその機会が降りてくるのを待ってる感じでした。
お盆休み、いいですね。
こちらはお盆もできるだけ出勤協力お願いしますというところなので、長期休みがなくって悲しい(笑)
ゲームが自分にプラスにならないものと考えたとして、
他の趣味、例えば読書やスポーツなどは知識や経験としてそれなりに数をこなせば自分のものになると思いますが、そうして(敢えてプラスの定義としての)目に見える結果や成果として現れるかと言えば確証はないでしょう。
ゲームが自分にプラスになると考えれば、そうげんさんが仰る通りゲームは明確に数値などのクリア要件で達成感を結果や成果として容易に得られる面がありますね。
反論でもないですが趣味全般にプラスとか損得勘定的で換算するような意見を持ってる方がいるなら、何が自分にとってプラスなのか訊いてみたいですね。少し意地悪な言い方ですが。
作者からの返信
語部さん、コメントありがとうございます。
一点だけ先に。わたしがゲームをするのと同じ時間を本を読むのに使えば有益だといった、その本というのは、小説などの、一種の娯楽や、または小説の勉強のために小説を読むというのではなく、単純に知識を増やすための読書というか、勉強というか、歴史であったり、地理だったり、科学の専門分野の本だったりといった自身の知見を広げ深めるタイプのものをいってました。
そういった知識が増えれば、自分の書くものにも、考え方にもまた影響があらわれて、いまと違ったものが書けるのかなと、ここまで書いてみましたが、ゲームだってスポーツだって、そこでしかできない体験があって、その体験をもとに自分なりの考え方が作られて行くから、結局はなにをしても考え方によってはそれをプラスに機能させることはできるのか、と思ったら、ここまでの内容は意味が無くなってしまったかもしれません。
わたしたちの世代は子供のころからファミコンに親しんできて、わたし含め一部の人たちはいまも最新のゲームに触れてそれをおそらく一生の趣味にしていくのでしょうね。ゲームをしない人にゲームの面白さをいっても伝わりにくい。本を読まない人に読書の楽しみを教えてもうまく伝わらない。
そうですね。その人はその代わりになにをするのがその人の理想なのかというところをいわないままでした。小説を書くのに、そのジャンルの小説ばかり読んでいてはダメということはいわれます。実際、なにが活きてくるかわからないんだから、けっこうなんでも触れてみるのがいいのでしょうね。
コメント、ありがとうございました!