2023.03.17(金)
2023.03.17(金)
勤務だったけれど体調がすぐれないので0時で帰宅した。
おととい日中に活動していて、ふだんと異なるタイムスケジュールで動いたから体調を崩した可能性が高そうだ。多少のめまいもあったので大事をとって帰ってきた。
その割に、帰ってきてから目は冴えているので、『剣の街の異邦人』のつづきをすこし遊ぶ。この時間にLv4まで上げることに。クラスチェンジ(転職)をするにも、どのクラスにどんな能力があるのかいまいち把握できていないため、初期に選んだ職業のままに進めてしまっている。移植作だし、すでに最強のキャラクターの作り方、みたいな風にチャートはあるだろうな。まずは自分の判断でプレイしてみたい。
朝、昨日見ることのできなかった『相棒season21』をTVerで視聴する。渡辺いっけいさんのイメージ通り、やっぱりこの人はまわりまわっていい人を演じることになるんだなと思った。本当に悪いことをするキャラクター、いわゆる悪役は担当されない俳優さんという印象をわたしは持っている。そのイメージが崩れなくてよかった。ほっとする。
Twitterでも書いたのだけど、今回の話、子供からの親に向けて突き付ける糾弾の力強さに心打たれるものを感じた。人は14(もしくは15だったか)の歳を越してしまうと、大人や、社会を糾弾するための力を失う。それは物を見る目に曇りが生じるためだ、という話をわたしはどこかで見るか聞くかした覚えがあった。
今回表向きやり玉に挙がったのは団塊の世代だったけれど、作中に子供たちが対象にするのは、親世代、つまり団塊ジュニア世代、いまの子の親世代ということになっている。子供が親を恨む。ある世代が他世代に罪をかぶせてのうのうとしている。その非生産的な営みはこれまでもこれからも続けられていくように思えるけれど、どこかで断ち切ろうとしてもそれはたぶん難しい。
ただし、まだ13歳の子供が大人にたいして、社会に対して挑戦する今回の話は意味が異なるように思う。それはまっすぐな正義の心からの他者の不正を匤そうとする試みだったのではないか。
しかし単純に毎話、脚本の巧みさにうならされながら楽しんでいる。
放送終了後、寺脇さんのTweet内容から類推するに、Season22もありそうなので、おそらく半年後、今年の10月からまたシーズンがスタートするのじゃないかと思っている。また半年、毎週楽しむことができるようでわたしは嬉しい。
相棒のあと、アニメを視聴する。
『とんでもスキルで異世界放浪メシ』第10話。タイトル「二匹の従魔はチートが過ぎる」。ミスリルリザードを倒した後、てっきりスライムのスイがまたミスリルを吸収して新たな特殊能力を得るのかと思ってしまった。フェルとスイのチート気味の能力はダラダラ長くなりそうな戦闘シーンを一瞬で終わらせることで、この作品のメインコンテンツである、美味しいものをたっぷりつくってみんなで食べるというシーンに大きな尺を割くことができるというメリットがあるのかなと感じる。
また、今回は土・火・水の女神さまの加護も得ることになった。甘いものは女神さまの心まで摑んでしまうわけだ。そのうち創造主さままで出てきそうな気がするけどどうなんだろう。
今回の討伐目標の〈牛〉、一瞬で倒したのは、やっぱり「アニメで四本足の動物の足の動きを描くのは難しい」というポイントから来ているものかなとは思った。
岡田斗司夫さんのアニメ関連の解説動画をよく見るのだけど、一般的にワンクール物のアニメでは、人の手の動きであったり、馬の走るシーンであったりは、省略されることが多いらしい。手であればテーブルの上や、膝の上から動かない。馬なら胴体の部分から上だけを写すようにする。そのように工夫されるものらしい。今回のシーンも、牛の群れが猛り立ったり逃げ出したりするシーンを描くのは骨が折れる。だから省略されてるのかなと思ったけれど、解説動画の功罪は、こちらもなにかわかったような気分になって作品を上から見てしまいかねないところにあるのではないかと感じた。
でも前述した通り、この作品のメインは戦闘よりもおいしいメシ(ごはん)なのでこれでいいんだと思う。企業が協賛しているのは強い。ステーキに会う各種のタレが美味しそうで買いたくなってしまう効果もあるし。
今回も楽しめた。
『アルスの巨獣』第10話。タイトル「守り人の使者」。クウミがあんな運命に見舞われるとは。素直に受け取れば悲しいけれど、ズルい見方をすれば物語を盛り上げるための〈薄幸〉というか〈悲劇〉というか〈病もの〉に寄せてしまったようにも感じられて、ちょっとズルくも思われ、そして勿体ないようにも感じられてしまった。これも物語の締めくくり次第だと思う。9話を見たあとで、円盤を買うことも検討している。しかし上下巻で割引されても三万円ちょっと。買うにはちょっと高いかな。サブスクはいつか撤収されそうな気もするし、放送終了後にもう一度初めから見直すくらいで自分の中でけじめをつけようかとも思っている。
その後、朝食を作る。
昨日の予告通り、鶏モモミンチを塩して捏ねて、ネギ・ニラを入れて、醤油・日本酒・牡蠣油・和風顆粒だしを入れてさらに捏ねる。フライパンに油をしいて、両面焼いてから、醤油・日本酒・砂糖を煮詰めて照り焼きにする。4個作ったけれど、2個は自分で食べて、のこり2個は両親に1個ずつおすそ分けする。ほかに菜の花のおひたしと、里芋の味噌汁。ごはんが進んだ。
食後、すこしローダン新刊『焦点の三角座銀河』を読む。
10時から昼3時半まで睡眠を取る。
起きてから、口寂しいので、ポテトチップスうすしおを一袋と、ハリボのグミを食べる。
その後入浴。
さらにローダン新刊を読みすすめる。
前半部「焦点の三角座銀河」読了。イルナの本心が見えない。アトランとイルナの関係はどうなるんだろう。二人は無事再開できるのだろうかと不安になる。
夜8時前、お腹が空いてきていたが、今夜はごはんを抜くことにする。たまにはお腹を空かしてみようと思って。つぎのごはんはたぶん明日の朝の3時4時台になるだろうか。
引き続き、後半部「ふたつの顔を持つ女」も読む。一日でローダン一冊を読んでしまうのはひさしぶり。いつもは何日にも分けてゆっくり読んでいるから。
アトラン、イルナ、そしてエイレーネ。三人の想いの変化や、衝突、信頼の崩壊、そして再構築。エイレーネが二人の間に挟まることで、わたしも読みながらイルナを疑う気持ちが生じてきたし、その変化があったからこそ、今回のイルナの、この言葉が揮っている。
P.256
《ばかいわないで!》
《一度も疑わなかったなら、あなたなんて願いさげよ。おろかな男に用はないもの》
アトランとイルナ、二人は末永く幸せでいられるんだろうか。また大きな波乱とか、別れもあったりしそうかな。エイレーネも一波乱引き起こしそうだし。
次の巻も楽しみにしている。
その後、大江健三郎さんの『燃えあがる緑の木 第一部 「救い主」が殴られるまで』(新潮文庫)のなかの「第一章 蘇りとしての呼び名」だけ読む。
p.38にあるように、農場にやってくる土地の若者は《オーバーの物語に自分を繋いで生きようと企てる者はいない》と新しいギー兄さんが口にする。かれは《私はオーバーから集中的にこの土地につたわっている伝承を物語ってもらった。そこには神話も民話も歴史も、家族の来歴というようなものまでもふくまれていた。私はそれらをまるごと受け入れようとして力をつくしたよ》といって、オーバーの物語の受け止めが土地の若者とは違っていることをサッチャンに述べる。そんなギー兄さんだからこそ、オーバー亡き後、〈農場〉をどのように運営していくのか、若者をどのように導いて一緒に〈魂〉のことをしていくかといったことに打ち込むようになっていったのかと。
この土地の裔であるK伯父さんではなく、カリフォルニア生まれの新しいギー兄さんの介在によってオーバーの物語を再展開していくところに、物語をつむぐ著者の底意(語り手を替えることから新たに物語を語り直す姿勢)も感じられて、いきなりこの物語を大江作品のはじめの読書にした当時の自分の面食らったことをも思い出した。〈森のフシギ〉とか〈先のギー兄さん〉とかまったく知らないところからこの作品にあたったわけであったのだし。
のちに『同時代ゲーム』などを読んだときには、このことだったかと思うこともたくさんあった。
その後、『剣の街の異邦人』のつづきをプレイ。レベル7まで。転職したいけれどどうしようかと思ううちにずるずるレベルだけがあがってゆく。とりあえず集めたアイテムを売り払ってできた資金で手持ちの装備品の強化を繰り返している。オークの村の待ち伏せポイントの敵が強すぎて歯が立たない。まずはここで稼げるまでこちらの実力をあげていかないと。いまはスラムのほうのダンジョンに挑戦している。血統種をぽつぽつ倒せてきている。『シアトリズム』のように根詰めて遊びはじめると癖になるので適度なところで中断する。
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