CAPRICCIO

@yumenogen20221010

見習い編



 三月下旬。

 澄んだ空に冷たく乾いた冬の風が吹き抜け、穏やかな陽気に春の気配を微かに感じ取る。


 町から離れた高台に自然と樹林に囲まれ静寂が漂う場所にひっそりと佇む大きな建物があった。その造りは新しくモダンで白を基調としたスタイリッシュな外観の二階建て。創立者の希望で立地や周辺環境、騒音配慮し拘った建物だ。


 建物の内部には地下にレコーディングスタジオや様々な楽器が保管されている保管室。一階には応対室と休憩室、資料室と自習室。二階に個人練習室が二部屋、中練習室と大練習室が一部屋ずつ。計四部屋の練習室が備えられ反対側に会議室と会長室がある。屋上にはテラスが完備されている。


 設立して十数年。歴史は浅いがここは音楽をビジネスに展開する音楽事務所。少数精鋭で在籍している全ての者が超一流の音楽家。


 『音を楽しむ。心躍る音を奏でる』を経営理念にアーティストを第一に考え、アーティストの自主性に任せて自由に活動させる。事務所は環境を整え支障がないようサポートに徹する。これは創立者である会長の信念であり経営方針。


 ——そして今日。また一人、才能溢れる青年がこの事務所に所属する事となった——



 事務所一階。休憩室の一角に備えられたキッチンでは火にかけていたケトルが音を立て沸騰し、注ぎ口から白い湯気が昇る。火を止めティーポットに沸かしたお湯を注ぎ淹れ茶葉をじっくりと蒸らす。

 穏やかな時間が流れる室内。固定窓から差し込む暖かな陽の光と風に煽られ樹木が波のように揺れ、葉擦れの音を聞きながら季節の変わり目を感じる。

 食器の掠れる音と暖炉の薪が真っ赤に燃えパチパチと広々とした室内に響き渡る。室内の至る所に写真が飾られていた。壁際にはフォトフレーム、暖炉の上には沢山の写真立てが飾られ、その側には可愛らしい小さな兎の置物も置かれていた。


「——今日入ってくる新人さんって、一体どんな方なんですかねぇ」


 窓際、L字型の白いソファに座っている奈々は大きなクッションを抱えながらそっと疑問を口にして軽く首を傾げた。

 まだあどけないくうら若い奈々は、切り揃えられたボブヘアはストロベリーピンクの髪色。ガーリーな服装に身を包みどこにでもいる年頃の女の子。


「会長が直接にスカウトしたんだって。……確か司くんと同い年なんだっけ?」


 白髪の青年が応えた。

 相貌は彫刻のように美しく色素の薄い中性的な顔立ちに藤色の瞳を宿す彼は、優雅さと神秘的なオーラを醸し出す。その青年の名は藍。スラっと長い脚を組みながら応えた。


「会長がスカウトするなんて珍しいね」


 と、そのとき。給仕を終えた長身の女性がトレイを持ちながら二人の会話に加わった。トレイにはティーポット、シュガーポット、そして四人分のティーカップと一人分のマグカップが乗っている。


「いえ。そもそもスカウト自体、初めてなんですよ」

「あ、確かに。言われてみれば……」


 手慣れた様子で四人分のティーカップに紅茶注ぎ入れていた月は藍に指摘され気がついた。

 ローテーブルの上には有名店のクッキー缶が開封され、五人は一時の休憩時間を楽しんでいた。

 徐に横からすっと腕が伸びてきた。丸いスツールに座る褐色肌の金髪の青年、リワナは当然のようにマグカップを選び取る。カップの縁にそっと口を近づけ軽く息を吹きかけて一口飲む。


「ん〜。あまぁい……。温まるねぇ」


 口の中に広がる優しい甘さに頬を染め笑みを溢した。その表情は純粋な子供のよう。紅茶が飲めない程甘党のリワナは、四人とは別に用意された彼専用の飲み物。ハチミツとオートミールが入ったバニラミルクが彼のお気に入り。冬場になると必ずこれを飲む。


「ボクも楽しみだなぁ〜。新しい仲間が増えるのは嬉しいねっ!」

「ねっ!」


 奈々が相槌する。


「そのコの名前はなんて言うノ?」


 ソファの端。クッキーを一口で頬張った華は片言で藍に問いかけた。


「……名前?」


 シュガーポットから角砂糖を二、三個紅茶に溶かし入れながら『確か、名前は——』と、藍はその新人の名を思い出す。



 事務所二階の会議室。暖房が効いた室内には二人の青年が向かい合い面接を行っていた。テーブルには履歴書や契約書などの資料が数枚置かれ、事務所に在籍する為に必要な契約交付が進められていた。


「——梅」


 短髪のキリッとした眉。アンニュイな垂れ目の精悍な顔立ちの青年の司は、向かいに座る赤毛の青年の名を口にした。

 事の発端は数日前。長期不在で何処にいるかも分からない行方不明の会長から突然、連絡がきた。そしてなんの前触れもなく『才能ある子をスカウトした。この子を育成して歌手にする!』と、突拍子のない事を発案し、司にその指導役と世話係を命令してきたのだ。だが、その青年の詳しい事情は一切伝えられずに初顔合わせを迎えた。


「会長からも説明を受けて知ってるとは思うが、俺たちは『INSTRUMENTALISTS』というバンド名で現在もボーカルが不在のままインスト曲を中心に音楽活動を続けてる」


 INSTRUMENTALISTS。十年以上前に結成された音楽集団。メンバーの中には超名門の音楽学校を卒業した者が数名所属する。キャリアが長く経験豊富。前任者の厳密な指導の影響もあってか総じて演奏技術が高い。会長の理解と手厚いサポートの下、全員が納得して質の高い音楽を作り続けた結果、数々の音楽賞を総嘗めにしてきた。

 名声と実力を獲得して国内に留まらず世界にまで活躍する者まで現れた。

 数年前から個人活動にも力を入れ、自主性と自由を尊重し、今まで通り音楽家たちが思い描いた音楽を事務所はサポートし続けている。


 インスト : インストゥルメンタルの略称。歌詞や歌唱がない。楽器の演奏による音楽のこと。器楽。


「この会社は『音を楽しむ。心躍る音を奏でる』を理念に全員がそれを良く理解して日々、楽曲制作に励んでる」


 赤毛の青年はじっと説明を受ける。

 口数は少なく単調な相槌。常に無表情で何を考えているのか読み取れない。緊張している様子はない。礼儀も常識も一応はあるように見える。淡々とこちらの質問に答える彼に少し違和感を感じながらも司は説明を続ける。


「俺たちは器楽奏者のバンドとして活動しながら個人でも音楽活動して、その他にもライブやレコーディングの演奏依頼がくれば参加したり、アーティストと専属契約を結んで期間限定で仕事する人もいる」


 そう言うと司は書類をファイルに仕舞いながら今後の予定を軽く説明する。


「梅は将来歌手になる為、これからの一年間……を……」


 司は話しの途中、何かを見つけ呆れた表情を浮かべる。司の視線につられて梅も振り返ると、ドアの隙間からヒソヒソとこちらの様子をじっと見つめている者たちがいた。無論、梅にとっては初めて会う人たち。


「……」

「……あのマヌケ面でこっちを見てるのが俺の仲間たち。音楽の才能と引き換えに頭がイカれてるけど大切な仲間たちだ。梅、紹介するよ。……お前ら入って来い」


 ドアの外にいる仲間たちに手振りで入室するよう促す。皆、興味津々に梅を見つめる。


「お前たちも既に知ってるとは思うが、会長にスカウトされ、今日新しく所属する事になった。それじゃあ皆んなに挨拶」

「梅……です。……よろしくお願いします」

「面倒を見てやってくれ。それじゃ、お前たちも簡単に挨拶」

「は〜い! 初めましてわたしは『世界"一"可愛いピアニスト♡』奈々で〜す! よろしくお願いします!」


 手を振りきゃぴきゃぴした様子で愛想を振りまく奈々。『世界"一"』とやけに誇称した言い方は、彼女のただならぬ野心が垣間見えたような。気のせいだろうか。


「ボク、リワナ! 担当はドラマーだけど楽器は何でも出来るよ! 好きな食べ物はお肉と甘い物。よろしくね!」


 続いてリワナ。担当はドラムだが楽器全般出来る万能人。プロデューサー業や作曲、DJなど様々な事をマルチにこなす天才肌。ワンコのように純粋で人懐っこい笑顔を向ける彼はフレンドリーでおっとりマイペース。仲間を大切にする優しい子。天然で人たらし。帰国子女で英語が堪能。世界中を旅し現地の料理を食べたり音楽を聴くのが趣味で自身の音楽に取り入れたりしてる。そしていつも司を怒らせる。


「アタシは華! ベーシストヨ! よろしくネ!」


 辛い物が大好物なベーシスト、華。アッシュベージュの髪をお団子に纏め、ぱっつんとした前髪と一重の大きな瞳がチャームポイントの彼女は芯が強く負けず嫌い。努力家で自分に不可能はないと自負しキビキビと行動力がある。中華料理が得意。リワナとは味覚も性格も正反対だが昔からとても気が合う。そしていつも司を怒らせる。


「初めまして。僕はバイオリンニストの藍です。趣味はクラシック鑑賞とお酒を飲む事です」


 中性的な顔立ちの彼は軽く笑みを浮かべる。父親はピアニストで母親はバイオリンニストという音楽一家。幼少の頃より母親からバイオリンの英才教育を受けて育つ。才能を見出され音楽学校に入り何度も受賞する程の実力者で『天才少年バイオリンニスト』と呼ばれていた。現在は大物有名歌手のバックバンドとしていくつもの専属契約を持ちながら、個人の音楽活動を行っている。持ち曲はいくつもあるが毎度CD、アルバムの売上が良くない。容姿が大変良いので(事務所の戦略で)不本意ながらアイドル売りをしている。が、本人はあまり良く思っていない。酒癖が悪く極度の運動音痴な残念なイケメン。


「初めまして梅くん。私はサクソフォニストの月です。梅くんに会えるのを楽しみにしてました。分からない事があったらいつでま聞いてね!」


 ブロンドベージュの長髪を綺麗に纏め上げ、ロングスカートにピンヒールを履いたエレガントな装いの女性が優しい口調に柔和な笑みを浮かべる。耳元のピアスが揺れ、どこか大人の余裕を感じる月は皆んなのお姉さん的存在。壊滅的に料理が下手くそ。

 ここまでリズミカルに自己紹介を終えて最後、司の紹介となった。


「そして最後。僕たちの頼れるお兄ちゃん的存在。ギタリストの司くん! 別名エロ紳士!」

「?! なんだその呼び名は。やめろ」

「え、じゃあ変態?」

「変態でもないわ!」


 慣れたようすで藍にツッコミをれるのはギタリストの司。この中で一番の常識人故に苦労人。一応肩書きはギタリストだが普段は長期不在の会長に変わって事務所の管理と雑務をこなす事務員になっている。会長、リワナ、華に振り回されながら個性が強いメンバーたちをまとめるリーダー的存在。一見クールに見えるが誰よりも音楽に対し敬意を払い、熱い心を持ってる(時に周りがドン引きする程に)。


「それで、梅くんは何の楽器が得意なの?」

「……それが、出来ないそうだ」

「え? ……楽譜は読めるの?」

「読めない」

「……新しい事務員雇ったの?」

「違う」


 困惑する藍をそのままに気を取り直して司は説明する。


「梅はこれから一年間、見習生として音楽の基礎を学んでもらう。歌手になる以上、最低限の知識は必要だからな」

「なるほど。準備期間てことか」


 司は藍の言葉にコクリと頷く。


「いろんな経験を積んで立派な音楽家になってくれ。結構ハードなスケジュールになるが、俺たちも出来る限りサポートをするつもりだから、一緒に頑張っていこう」

「あ、はい。こちらこそ」

「改めて。弊社にようこそ。梅の入社を心から歓迎する」


 一同、姿勢を正して梅の方を向くと、ポケットにしまっていたクラッカーを鳴らして歓迎の言葉をかける。梅は少し照れ臭そう。


 会長期待のルーキーは一体どんな新しい風を吹かせてくれるのか。固定観念を壊し習慣に変化を。仲間たちと共に人々に喜びと活気を与える。そんな音楽家になって欲しいと、司は心の中でそう願っていた。

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