#2 華奢なあの子は大剣使い

 少年と同じくらいの年齢だろうか。まだ幼さの残るあどけない顔つきと、華奢なからだつきをしている。眠っているように目を閉じているが、息はあった。


「おい、大丈夫か。おいってば──」


 少年が声をかけながらゆすってみると、少女はぱちっと目をあけた。


「よかったぁ……生きてる……」


 ふぅ、と息をつく。


 おびゃっこさま……なのか――。


 里人たちの祀る守り神であるおびゃっこさま。その姿を見た者はだれもいない。白銀の毛をなびかせる誇り高き虎の神。そういう意味でお白虎さまなのではないか、という説が有力だった。

 少年の腕に抱かれた少女。どこから見てもふつうの人間。尻尾が生えているわけでもない。短めの黒髪、黒い瞳。白い要素といえば色白の肌くらいなものか。

 ひとつ変わった点があるとすれば、それは少女の着ている服だろう。少年が今までに見たことのない服装だった。


 へんな着物だな──。


「ケガはねぇか?」


 少年が声をかけた。

 少女はなにも言わずにぱっぱと首を動かし、周辺の様子を探る。彼女の耳には少年の言葉など届いていないようだ。大トカゲ妖怪の姿を確認すると、ぴょんっと彼の腕から飛び降り、さっと大剣の陰に隠れる。


「おいおい、無視すんなって──うおっ!」


 少年の横を火の玉が通りすぎてゆく。

 ゆっくりと接近してきていた大トカゲの化け物が火球攻撃をはじめたのだ。ふたりのほうへと連射してくる。

 ひぃひぃ言いながら、少年も少女にならって大剣の後ろに隠れる。

 少女とともに落下してきた巨大な剣。もはや剣なのかどうか疑わしいほどに巨大だった。柄を含めたその全長は大のおとなの身の丈ほどもあり、里一番の力自慢にも振るうことは不可能だろう。


 見たことのねぇ刀だな──。


 少年の知る刀と比べて何倍も何十倍も大きいうえに、形にもなじみがなかった。両刃の刀など聞いたこともない。さらにはその色。闇夜に溶け込みそうなほどに黒い。夜討ちにはうってつけに思われた。もっとも、振れればの話だが。


 それにしても、なんて丈夫なんだ──。


 何発被弾しても大剣はびくともしない。大トカゲの火球はお社を粉砕するほどの破壊力があったにもかかわらずだ。

 なにか不思議な力に守られて攻撃を弾いている。少年の目にはそんな風に映った。

 少女がおびゃっこさまかどうか確信が持てない。鉄の塊が剣なのかどうかもわからない。だが、彼女は大剣を軽々振りまわす豪傑に違いない。きっとそうなのだ。少年はそう信じることにした。


「なぁ、頼みがあるんだけど──」


 と言いかけたところで、少年はあわてて口をつぐむ。


 いやまて。このガキがほんとにおびゃっこさまだとしたら、怒らせちゃまずいよな。助けてくれなくなるかも──。


 助けをお願いする以上、相手の機嫌を損ねるわけにはいかない。たとえ使い慣れていなくとも、少年は苦手な敬語を使うことに決めた。


「あのぉ、おびゃっこさま? おれ……じゃなかった。ぼく、バンっていいます。里のみんなを助けてほしいんだけど……ですけど」


 もう一度声をかけなおした。なんともお粗末な言葉づかいだったが、少年にはこれで精一杯だから仕方ない。

 だが少女は見向きもしない。やはり少年のことなど路傍の石ころ程度にしか思っていないのだろうか。


 もしかして、しゃべれねぇのかも――。


 そんな少年の懸念はすぐに否定されることになる。

 少女は大剣に手をふれ、唱える。


「そうしん──」

「そ……そぉしん?」


 そういえば、さっきのへんな声も、絵馬……なんとかをそぉしん、とか言ってたな。今度はなにが起こるってんだ──。


 少年はかたずをのんで少女を見守る。

 きっと想像もつかないような奇跡が起こるに違いない。そう考えた少年はジャマをしないように静かに待った。


「……」

「……」


 特になにも起こらなかった。

 あたりには火球が飛び交い、地面に着弾しては爆発している。激しい熱風や爆発音に包まれるなか、大剣の陰となっているこの場所だけは、気まずい空気が流れて静まり返っているようだ。少年にはそのように感じられた。

 一方の少女はというと、空気だの雰囲気だのと、そんな些細なことはいっさい気にかけていなかった。やはり少年のことは眼中にないようだ。


「クゥ、どうした?」少女は自分の首筋にふれる。「いない……」


 くぅ? ひとりでなにをぶつくさ言ってやがるんだ──。


「あのぉ、どうかしたのか……しましたか?」

「おい、おまえ。オコジョを見なかったか?」


 少女がようやく少年に対する反応を見せた。


「オコジョ、っていうと……イタチみてぇなやつか……ですか?」

「そうだ。白くて小さい、イタチの仲間だ。わたしのそばにいなかったか?」

「いや、見てねぇ、です」


 じっくり考えるまでもなかった。白い生き物が近くにいたら見逃すはずはない。ここには基本的に緑の草木しかないから白はよく目立つはずだ。それに、このあたりにはそもそも動物が近寄ってこないため、めずらしく生き物がいれば目につきやすいだろう。


「もしかして、遠くに落ちたかも……です」

「どういうことだ?」

「おめぇ……あなた、が空から落ちてきたとき、火の玉にやられてばらばらに飛び散ったんだよ……ですよ」

「そうか。そのときにはぐれたのか……」


 はじめて不安げな顔を見せる少女。これまでの強気な態度と高圧的な口調からは想像できない表情だった。


 きっと、大切にしてたんだろうな――。


 少年は自宅で飼われていたイヌのことを思い出す。

 家族同然にいっしょに暮していたイヌが行方不明になったことがあった。幼いころの少年は、どこかで死んでしまったのではないか、と心配して泣いたものだ。二、三日するとひょっこり帰ってきたのだが。


「イタチを探すのはあとで手伝ってやる……手伝いますから、あいつらをやっつけてくれ……ください。里も妖怪に襲われてるんだ……です。そのすごい刀を振りまわして、やっつけてくれるんだろ?」


 期待のまなざしを向ける少年。

 そんな彼に対して返される少女の言葉は、あまりにも無慈悲で残酷なものだった。


「アホか、おまえ。こんなでかいもの、ふつうの人間に振れるわけないだろ」

「はあ、そうですか…………って、はあぁぁぁぁ?」


 爆発音にも負けず、少年の声は森に響き渡った。


「うるさい」


 少女は顔をしかめた。


「振れねぇのかよ! だったらなんでこんなもんといっしょに落ちてくんだよ! まぎらわしいっての!」


 バンは声を荒らげる。

 少女がおびゃっこさまでも救世主でもなさそうだとわかったことで、彼の口調はいつも通りにもどっていた。


「おまえにとやかく言われる筋合いはない。こっちにも事情があるんだ」

「へんっ、なにが事情だ。おびゃっこさまなんていうから、てっきり強そうな虎の神さまだと思ってたのによ。こんなちんちくりんのガキだなんて、がっかりしたぜ!」

「なんとでも言え。おまえになにを言われようが、わたしはわたしだ。事実は変わらない。それに、そもそもわたしは、おびゃっこさまなんて知らない」

「やっぱり人違いかよ。ずいぶん余裕ぶっこいてるけど、このままだとおれたち、まとめて焼き鳥になっちまうぜ?」

「焦る必要はない。あの程度のザコなら、こいつで十分だからな」


 ザコだって? この状況をわかってねえのか、こいつ――。


 少年は疑いのまなざしを向けるが、すぐに考えをあらためることになる。少女が腰のホルスターから取り出したものを見たことによって。


「それって……もしかして、鉄砲?」

「知っていたか」

「この目で見るのははじめてだけどな。でも、もっと細長いもんだと思ってたけど……」


 バンが聞いた限りでは、鉄砲は人の腕くらいの長さがある筒状の細長い武器、という話だった。

 だがいま目のまえにあるそれは、少女の両手のうえに乗っかるほどの大きさしかない。さらに例のプレートと同じように、少年には未知の材質でつくられているようだ。


 これなら期待できるか──。


 少女はちらちらと様子を見ながら反撃のタイミングを待った。大トカゲの火球攻撃が途切れて隙ができる。すかさず大剣の陰から飛び出し、片膝をついた体勢で狙いを定め、引き金をしぼる。

 カチッ。


「……」

「……」


 やはりなにも起こらない。


「って、またかよ! やっぱダメじゃねぇか!」

「ちっ……」


 少女は舌打ちした。

 銃が不発に終わったことへのイラだちのためか、いちいち騒ぎ立てるやかましい少年へのイラつきのためか。

 そうこうしているあいだに、しびれを切らした大トカゲがさらに近づいてくる。悠長なことをしている時間は、もうほとんど残されていない。


「おい、おまえ。ダンとか言ったな」

「ダンじゃない、バンだ!」

「パンダ?」

「バ、ン!」

「ではバン、おまえに問う。おまえは、生き延びたいか?」

「はあ?」


 なに言ってんだ、こいつ──。


 いきなり当たり前のことを聞かれて戸惑う少年。


「答えろ。生き延びたいかと聞いている」


 少女は真剣な目つきで少年を見据えている。

 決してふざけているわけではなさそうだ。なにか意味があるのだろう。少年はすなおに答えることにした。


「ったりめぇだろ! 死にたいやつなんかいるかよ!」

「そうか……そうだな……」少女はほんの一瞬だけ物悲しい笑みを浮かべ、質問を続ける。「仲間を救いたいか?」

「ああ。だからここに来たんだ」

「救う方法があるなら、自分の命を投げ出す覚悟はあるか?」

「命……」


 少女から投げかけられる重い言葉に、少年は言い淀んだ。


「さっきまでの威勢はどうした? 生き残りたいのなら、命くらいかけてみせろ!」


 そうだ……どうせこのままじゃあ、みんな死んじまうんだ。ちょっとでも可能性があるのなら──。


「わぁったよ! やってやろうじゃねぇか! おれの命、てめぇにくれてやるよ!」


 覚悟を決めた少年は威勢良く言い放ったが、そのからだは小刻みに震えていた。


「よし、それでいい。おまえには時間を稼いでもらう」

「わかったぜ。具体的にはなにを──」

「死ぬなよ」


 どんっ。

 少女は少年の言葉をさえぎり、無情にも戦火のなかに彼を突き飛ばした。


「えっ?」


 不意をつかれた少年は非力な少女にあらがえず、「おっとっと」と体勢を崩しながら大剣の陰の外に出てしまった。

 大トカゲ妖怪の動きがぴたりと止まる。突然飛び出してきた少年に意表をつかれたのだろうか。

 見つめ合うふたり。ぶつかり合う視線。


 案外きれいな目をしてんだな。赤い瞳か、はじめて見たぜ──。


 時が止まり、ふたりだけの世界がひろがっていくかのようだ。そこからはじまる恋の予感――なわけもなく。

 ターゲット、ロックオン。目標、頭のわるそうなガキ。


「うがぁぁぁ!」

「うわぁぁぁ!」


 ふたたびはじまる火球攻撃。


 あのやろう……いきなり突き飛ばしやがってぇ──。


 少年は走って逃げまわりながら、忌まわしき少女の姿を探す。

 一方の少女は恨みがましい視線を向けられていることなどこれっぽっちも気にしていなかった。あわれな子羊を生贄として捧げたあと、木陰から日向へと移動して銃を高くかかげている。


 なにやってんだ、あいつ? まさか野菜みたいに生長するわけじゃあるまいし。あんなんでどうにか出来るってのかよ――。


 よそ見をした少年の足元に一発の火球が着弾。爆発。


 しまっ──。


「ぐぅ……」


 草むらにうつぶせに倒れ込む少年。

 化け物は情け容赦なく次の攻撃で仕留めにかかろうとしている。


 まずい、はやく逃げねぇと──。


 立ちあがろうとする少年に対し、少女が叫ぶ。


「伏せてろ!」


 その言葉を理解するよりはやく、少年は本能的に地面に突っぷして頭をかばう。

 少女は銃を構え、化け物に狙いを定めていた。


 あれは……いけんのか――。


 先程はうんともすんとも言わなかった鉄砲。修理するわけでも弾を込めるわけでもなく、ただただ太陽に向かってかかげていただけのもの。

 そんなものが本当に使えるようになったのだろうか。少年は疑いながらも信じて伏せている以外になかった。


 これでダメなら、もうおしまいだな――。


 少女は引き金にかけた指に力を込める。

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