第16話 女神の祭壇

 ……走る。走る。走り続ける。誰もいない路地を、全速力で。

 目指す先は、都市の中央。今や黒い瘴気に満ちあふれている、神の祭壇へと。

 辿り着いた長い階段の前は、激しい戦場になっていた。

 合成獣キメラをさらに強力にしたような見た目の、四足歩行の巨大な怪物――合成魔獣キマイラが混じっており、最後の関門として立ちはだかり、街への進攻を老齢の熟練者がたった三人で抑え込んでいた。

「マスター!」 

「その声……貴様は――レイオス・ライトハート! 何故此処に?!」

 そんなことができるのは、この都市でたった一組しかいない。

 顎髭が特徴的な老騎士――軍神ランドルフが振り返ると、この場に現れたたった一人の援軍に驚きの声を上げる。

「助太刀に参りました! みんなは、〝デュラン・デルト〟のみんなは、どこに!」

「〝デュラン・デルト〟の皆様は、あの黒い結界の中で、全ての元凶と今も戦っております」

 賢者マティスが杖で道の先を指し示す。

 階段の先。禍々しい黒い結界のせいで、先が見えないが――あの中に、みんなが。

 逸る気持ちを抑えながら、首座オイコスに問いかける。

「あの黒い結界は――」

「……この世界の〝ことわり〟のそれとはまた違う。攻撃を受けても再生する性質から、かつての神魔戦争で橙の魔王が使用したブラックバリアとよく似ている」

 合成魔獣キマイラを剣で軽く相手にしながら、俺の質問に答えるオイコス。

 理外の術式、とっておきの禁術か――だが、俺はこんなところで立ち止まるわけにはいかない。

「俺は、あの中に行かないといけない。どうしたらいい?」

「貴様、何を言っているのかわかっているのか!? 儂達でも抑えるのが精一杯のこの魔獣共を抜けて、結界を超える――無茶を超えて無謀だ! 貴様は死ぬ気か!?」

 合成獣キメラを自慢の両手剣で軽々と斬り捨てた軍神が吠える。

 強い言葉ではあるが、それは俺の身を案じているようでもあった。

「大体、一次職に過ぎない貴様一人が行ったところで何ができる!? 世界を救って見せる、とでも言う気か?!」

 冗談も大概にしろ。そんな彼の言い草に、俺は正直に答える。

「……俺は勇者じゃない。ルトみたいに、世界を救うような真似は、俺にはできない」

 この聖剣が――デュランデルが――ルトの時のような輝きがないのがその証拠だ。

 俺は世界を救う勇者にはなれない。どこまで行っても、俺にできることは限界がある。

 だが、しかし、それでも。俺には俺の、できることがあると声を上げる。

「だが、! あそこに仲間がいるなら駆けつけるし、俺がいる限り絶対にみんなを救ってみせる! それが、俺にできる唯一のことだ!」

 ――もう二度と誰も死なせない。ルトが死んだあの日、俺は誓ったから。

 心からの叫び声に、ランドルフは驚き気圧されていた。言い返すことができなかった。

「あそこで仲間達がまだ戦っている、なら! 俺はあの場所に行かなきゃいけない!」

 絶対的な、覚悟。「しかし……」と悩む素振りを見せる軍神を手で制すと、オイコスは真剣な眼差しでこちらに問いかける。

「……約束できるか。貴殿もまた、生きて帰ってくると」

「当然です。俺の帰りを待ってくれてる人がいます。死ぬわけにはいかない」

 即答だった。

 俺の帰りを待つ仲間達が、〝トラベルウォーカー〟のみんながいる。あの時のような――魔神討伐作戦の時のような、自己犠牲のような真似はとるわけにはいかない。

「……すこし、変わったか」

「……?」

 ふとオイコスが、笑ったような気がした。

 気のせいだったか、と思うほどに真剣な眼差しを向けるオイコスは、腹の奥底から宣言する。

「――ランドルフ! マティス! この者をあるべき場所に送り届ける!」

 突きつけた剣の向かう先は、黒い結界の先。そこまで俺を送り届けると。

「正気かオイコス!? 彼は一次職の――」

「――……わかりました。マスターのご命令とあらば」

 ランドルフの声を遮って、マティスが深い一礼と共に応じる。

 困惑している軍神に向けて、眼鏡を軽く押し上げた賢者は問いかける。

「ランドルフ。貴方の馬鹿力で、あの結界に穴を開けることは可能ですか?」

「無論可能だ。だが、あの再生する結界に穴を開けられるのは、ほんの一瞬だけだぞ」

「ええ、ええ。それだけできれば十分ですとも。でしょう? レイオス殿」

 こちらを見つめる、嫌味ったらしい視線。

 だが今に限ってはそれは、それだけすれば十分だという信頼の証でもあった。

「この状況、他に頼れる者はいません。ならば一縷の望みに賭けて彼を送り出すのも、悪くはないかと私は考えます」

「マティス……」

「……こんなこと貴方に頼みたくはありませんでしたが……クレアを――私の孫娘を、よろしくお願いします」

 深々と頭を下げるマティスに、目を丸くする。

 だがその意味を――彼女を助けられるのは俺しかいない、という事実を遅れて理解し、強くうなずいた。

「私が上級魔法で道を開けます。準備はよろしいですかな?」

 詠唱を始めるマティスに、うなずく俺達。

 合成獣キメラ合成魔獣キマイラを相手にしながら、詠唱の終わり、その時を待つ。

「行きますぞ……――目の前の敵を貫き滅ぼせ。ボルティックアロー」

 ……そして、その時は来た。

 杖から放たれる強烈な――それこそ、流星と見紛うような太く鋭い雷撃。

 一瞬で目の前の敵を穿ち、貫き、包囲網に穴を開ける。

「行くぞおおおおおおおおおお!! うおおおおおおおおおおおおッッッ!!」

 雄叫びと共に、両手剣を構えたランドルフが突撃する。

 まるで大砲のように突き抜ける彼に続いて、俺も全速力で駆け抜ける。

「前だけを見ろ! 殿は私が務める!」

 威厳ある声が響き渡る。最後尾を務めるオイコスは階段まで辿り着くと足を止め、合成魔獣キマイラ達の足を止めるために、その場に残った。

 その姿を一瞥すると、俺はさらに走る速度を早める。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

 ランドルフは階段を凄まじい勢いで駆け上り、大跳躍。

 衰えを感じさせない跳躍力を見せつけると、空中を蹴り飛ばし再加速。

「一刀ォォォォォ!! 両ォォォォォ断ッッッッッ!!」

 まるで空から降ってきた雷のように、全力の一撃が叩き込まれる。

 その名の通り、黒い結界を真っ二つに切る一撃。そこにわずかな隙間が生まれる。

「行けぇぇぇぇぇレイオスゥゥゥッッッ!!」

 言われるまでもない。

 再生を始める結界の隙間に、勢いそのまま転がり込んだ……!


 ………………間に合った、か。

 ふらふらと起き上がり、状況を確認する。

 女神の祭壇を表す円形の広場には、びっしりと複雑な術式が刻まれており、聖地と呼ばれていたとは思えないほど、禍々しいオーラに満ち溢れている。

 そして目の前には、見覚えのある人影。黒いローブを羽織った、筋骨隆々とした青白い肌の巨体。隙間から覗かせる肌には赤い模様が刻まれており、その姿はかつて黒蜥蜴人ブラックリザードマンの巣で戦った魔人アレイスターの姿と変わりなかった。

 そして、そんな魔人に息を切らしながら相対する、〝デュラン・デルト〟のメンバー達がそこにいた。

「哀れな子羊がまた一人迷い込んだみたいだな」

「レイオス!?」「レイオス!」「レイオスさん……!」

「みんな!? 無事か!」

 満身創痍といった具合のみんなに駆け寄り、ヒールをかける。

 だが、表情は芳しくない。みんな致命傷は避けているものの、長期戦からか疲労困憊だった。

 俺は顔を上げると、目の前で俺達を見下す全ての元凶の名を叫ぶ。

「アレイスター!!」

「誰かと思えば――あの時の治癒術師か。……どうやら一足遅かったようだな」

「一足遅かった、だと?」

 邪悪な笑みを浮かべた彼は、右手を天高くに掲げ宣言する。

「儀式はたった今、次のステップに進んだ。こうなった以上、最早誰にも我を止めることなどできないッ!!」

 次の瞬間、空から黒い雷鳴が轟き、目の前の男に直撃した。

 だが彼はそれを受けて高笑いを上げ、自分の身体が崩れ行く姿を喜んでいるように見えた。

 灰と変わり、自滅した――ように見えた。だが、当然そんなわけがなかった。

 黒い灰はまばゆい赤い光を発し、その波はドクドクと脈打つように魔法陣に広がってゆく。

 紫で刻まれた魔法陣が赤に染まりきった、その後――。

「――――――――――――!!」

 声にならない絶叫が、耳をつんざくような絶叫が、この場を支配した。

 誰かが苦しむような声に耳を塞ぎ、地響きに耐えて前方を見る――。

 すると、目の前にある女神像が――目を赤く光らせ、悲鳴を上げているように見えた。

 侵食。魔法陣から伸びた赤黒い魔の手が、女神像を昇り、その在り方を変質させてゆく。

 まるで生き物かのように、暴れているかのように思えたそれは――がくんとうなだれ。

 次の瞬間、起き上がったそれは――邪悪な何かに変わってしまっていた。

 女神像に乗り移ったとしか思えない、上半身だけの異形の姿。人の何倍かもわからない巨体は、黒に染まり。四本の手には、どこからか取り出した巨大な赤黒い剣を握り締めている。

 こちらに見せつけるは、三つの赤い目。その顔つきは、忘れもしない――あの、アレイスターと同じ邪悪な笑みだった。光り輝く髪は神々しさよりも禍々しいものとなり、その巨体には血管の代わりに魔力が脈打っている。神々しさと禍々しさが入り混じったような見た目の、怪物。

 状況が飲み込めず、唖然とする仲間達に、俺は忌々しげに推測を口にする。

「まさか……女神像を、乗っ取ったのか……?」

「乗っ取る? とんでもない。こいつは最初から我のものだ」

 お前の……? 何勝手なことを言っているんだ、こいつは。鋭く睨みつける俺に対し、目の前の愚者は笑って応える。

「愚鈍な貴様らに教えてやろう。この女神像は、元より魔神をこの地に降臨させるため、かつての古代人が作り上げし人形だったのだ。故に、我はこの人形に目をつけた。この身を流れる血と変え、一心同体と化したのだ!」

 彼が得た力――橙の魔神の力と言っていたそれは、人の身では受け止められない――ならば、最初からその器となれるだけの別の物を、自分の身体としてしまえばいい。彼の言っていることは、そういうことだった。

「もはや我は神も同然。貴様らが何をしたところで全ては無意味。後は儀式を完遂させ、この身を完全なものとすれば――我は神そのものになれるのだッ!! フハッ、フハハハハハハッ!!」

 勝ちを確信した不敵な笑みに、俺達は何も言わずに相対する。各々が武器を手に立ち向かう。

 彼の姿は完全ではない。下半身は地面に埋まったまま、その身に宿した力も不安定だ。

 ――倒すしかない。覚悟を決めて、みんなを鼓舞するように問いかける。

「いけるか? みんな」

「当たり前でしょ!」

「ああ! いつでも行けるぜ!」

「もちろん」

「はい……! まだ、やれます……!」

 吹き飛ばされそうなほど強大な魔力の衝撃。威圧感。

 それに歯を食いしばって耐えながら、気力を振り絞り、武器を構える。

 そんな彼らの様子に、顔をしかめた巨人は、その両手を構える。

「五月蝿い虫螻が、今更貴様ら如きに何ができるというのだ!!」

「アラン、リック! 攻撃が来るぞ!」

 下の手から発射される、膨大な魔力から放たれる赤黒い衝撃波。

 狙われたアランとリックは阿吽の呼吸で左右に分かれ回避し、大地を蹴り飛ばして加速する。

 額の三つ目の瞳から発射された光線がリックを狙い、剣を構えた上の手がアランに振り下ろされる……!

 間一髪、巨大な剣を横にステップを刻みギリギリで回避したアランは、振り下ろされた手に向かって突撃し、渾身の一撃を叩き込む――!

「グランドクロス!!」

 十字斬り。ホワイトパラディンの最も強力な一撃が、巨人の手に炸裂する。だが、

「――……?!」

 びくともしない。違和感を感じたアランは、即座に地面を蹴り飛ばして大きく距離をとる。

「この感じ――レイオス、妙な違和感が――まるで手応えがない!」

「っ?! まさか、〝ことわり〟か?!」

 確かに強烈な一撃が叩き込まれた――ように見えた――が、その手には傷ひとつついていない。

 驚愕に染まり、声を荒げる。

 〝ことわり〟なんてものは、簡単に扱える代物ではない。それこそ一部のものを除いて、失われた古代技術とも言われている代物だ。

 こいつがゼロから〝ことわり〟を定められるとは思えない――もしそんなことができるとしたら、正に神の所業だ――ならば、だとすると――あいつの素体になったもの、祭壇の女神像が、元々そういう〝ことわり〟を持っていた、ということか……!

「貴様らの攻撃など神の前では全てが無駄、無駄なのだ!!」

 だが、タネがわかったところで絶体絶命なのは変わりない。俺にはどうしたらいい、と歯を噛みしめることしかできなかった。

「精々あがけ、苦しめ! 神に逆らったことをその身に後悔させてやる!!」

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