第14章|『シューシンハウス』営業社員 折口勉の休日 <3>児童公園にて その2

<3>


 その後、約20年。俺と山田は、職の多様性とサブカル的刺激を求め、時間差でともに京都から東京に流れ着いた。


山田よりは少しだけ“立派な常識人”寄りの俺は、京京大学卒、というブランドのおかげもあって、さほど苦労なく就職試験を通過し、大きな会社の正社員として新社会人ライフをスタートさせたのだが、やはり世間一般に比べれば社会適合スキルは低かったのだろう。休職と転職を繰り返し、勤めた会社は今の『シューシンハウス株式会社』で4社目になる。


山田もまた東京で職を転々としながらも、相変わらず子供のように純粋な心で淡々と生きていた。


 


ーーー“哲学カフェ”をやろうよ。俺たち哲学専攻だったんだし。




 数年前、千駄ヶ谷の安い飲み屋で山田が突然、そう言い始めた時、俺は既に悪い予感がしていた。山田のような根無し草が、カフェの運営なんてできるわけがないからだ。


“哲学カフェ”とは、いわゆる喫茶店ではなく、ファシリテーターのもとで希望者が集まって、酒……じゃなかった、お茶かコーヒーでも飲みながら、色々と哲学的なお話を気軽にしましょう、という茶話会的な集まりのことである。



ーーーきっと、可愛い女の子も、来ると思うよ。


 

 その山田の甘い一言が、運営の面倒臭さという現実的な観点から渋りまくっていた俺の背中を押し、俺と山田はそれから月1回、営利目的でない集会を開くことにした。山田が好きな場所だからという理由で東京都荒川区にある某地域の町会所を借り、毎月第1水曜日の午前に開催することにした。


開催を水曜日にしたのは、俺の休みが基本的に水曜日だからだ。山田は、時期によるが基本的に無職か季節労働者かパートタイマーか、とにかくフリー属性なので、何曜日の開催でもいい、と言った。



ーーーハウスメーカーは水曜が休みだけど、住宅販売の営業マンってのはお客さんからの問い合わせとか打合せとかがしょっちゅう入る。こっちの休日かどうかなんて関係ないんだ。極力これからはカフェのために、月イチの予定は空けておくようにするけど、俺は会社員だから、いざとなったら仕事優先にさせてもらうぜ。じゃないと俺の上司、パワハラ野郎だからマジでボコボコに殴られちまうよ。あいつ、滅茶苦茶こえーんだよ。



 そう言った俺に、世間知らずの山田は、「わかるよ、家って高い買い物だものね。お客さんも上司もそりゃ真剣になるよ。社会人って大変なんだね。折口は頑張っててすごいよ」と言ってくれた。



しかし実は、その「但し書き」には、俺のがあっただけで、実際的な意味はなかったのだ。



何故ならば、何度異動させられても、配属先支店の最下位営業マンの座を抜け出せず、結果として会社で日々疎まれ、虐げられ、お前なんかはサッサと辞めちまえと殴られ蹴られ、蔑まれながらも、正社員の地位にしがみついている“どクズ営業職”のこの俺に、わざわざ水曜日に、切羽詰まった問い合わせや打合せの依頼が来ることなど、どうせあり得やしないからだ。


 

 それに山田は、頭に布を巻いたムスリムにAK-47を突き付けられ、それでも生き抜いて無事に帰還した男なのである。そんな猛者を相手に、法治国家日本の檻に入れられた、しがらみだらけの暴力上司に支配されることの怖さを漏らして、何の見栄になるというのか…………。

“半無職のお前と違って俺は忙しいのだぜ”と言わんばかりの恩着せがましいコメントをしてみたが、しょせん、自分の足の鎖を自慢する社畜の、小粒なぼやきであった。



 ただ、俺は、小粒ながら、一度やると決めたらとりあえず数年くらいは継続する愚直さだけは持ち合わせた真面目な人間なのである。


だから俺は、荒川区の寂れた集会所で男2人が開催している怪しい“哲学カフェ”には、可愛い女のコなど来やしない、という当たり前すぎる現実に気が付いてからも、旧友との約束を破ることなく“哲学カフェ”の運営を続けてきた。



 とはいっても、それほど大したことをしているわけではない。地域の掲示板にチラシを貼り、インターネットでも開催告知をする。そして決めた時間に集会所の鍵を開ける。するとたまにひとりかふたり、お客さんがやってくる。大半は地域のお年寄りで、哲学を語るより先に、偵察に来るものがほとんどである。飛び来み勢は、20人が覗きにきて、やっと1人の物好きが一回参加してくれる程度、というのがしばらく続けてわかった相場感である。


そして、発起人の山田自体が会場に来ないことが半分くらいである。それでも少し前までは、たまには山田も来ていた。だが、1年くらい前から、山田はすっかり来なくなってしまった。最初に俺が予感した通りの展開である。



 …………山田は、何故、来なくなったのか。俺の中で思い当たるのは、昨今の世界情勢だ。某国で大掛かりな戦争が起きてしまったのだ。


山田はおそらく、ウから始まるあの国に旅立ったのではないだろうか。行くならば、せめて俺にも事前に断りを入れるくらいは当然の配慮だ。しかしいつだって彼は自由だ。俺はさほど時間もかからずに、諦めの境地に到達した。


山田の『フォースブック』に変化は見られず、送ったメールにも返信はない。




(あいつ、今頃、生きているのだろうか。まさか死んではいないだろうな……………)



 そこそこ若さと可愛げがあった20年前と違って、山田はもはや立派な中年男性である。

大学生には許された奇行が、看過されない責任となって彼に跳ね返って来ることも充分に考えられるだろ……。



 そこまで考えたところで、2つめのストロング缶を飲み干してしまった。


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